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出雲は美しい穏やかな土地です。

北側には東西65キロメートルの島根半島が長々と横たわって、日本海の風涛を防ぎ、

南側には重畳たる中国山脈が1000メートル級の高峰を連ねて走り、

それらに抱かれた出雲は、まるで箱庭のようなこじんまりとした世界です。

宍道湖と中海の二つの湖水はアップリケのように出雲の風情を引き立たせています。

静かな空の下で、雲は人の心を追い掛けながら去来します。

益田出身の作家田畑修一郎は湖水の風景を見ながら。

雲は多いばかりでなく美しい。

(略)いつとはなしに、雲を見ては水を眺め、水を見ては雲の方に目をやったりした。

(略)私には、この水と空と雲とのつくり出す或る微妙なたゆたひが、

あらゆる出雲的な性格に反映しているように思われる。

志賀直哉『濠端(ほりばた)の住まひ)』より

ひと夏、山陰松江に暮した事がある。

(略)私は此処で出来るだけ簡素な暮しをした。

人と人と人との交渉で疲れ切った都会の生活から来ると、大変心が安まった。

虫と鳥と魚と水と草と空と、それから最後に人間との交渉ある暮しだった。

こう記した志賀直哉が、友人里見と三カ月余り滞在したのは、大正3年の夏のことでした。

直哉32歳、里見27歳でした。

直哉はそのころ、孤独と不安な精神状態にありましたし、里見も恋愛問題で苦しんでいました。

里見『在る年の初夏に』より

二人は松江の宿を拠点に、よく近郊を歩きました。

旧い神話の舞台である土地は、私たちにも忘れられない美しい印象を残した。

と書いています。

芥川龍之介が失恋の痛手を癒すため、友人井川(恒藤)恭の招きで松江を訪れたのは、大正4年のことでした。

彼は滞在中、地元の松陽新報に松江の印象記を投稿しました。

芥川龍之介『松江印象記』より

松江は殆ど、海を除いて「あらゆる水」を持っている。

椿が濃い紅の実をつづる下に暗くよどんでいる濠の水から、(略)

滑らかな硝子板のような光沢のあり、

どことなくLIFELIKEな湖水の水に変るまで、水は松江を縦横に貫流して、

その光と影との限りない調和を示しながら、

(略)絶えず懶(ものう)い呟(つぶや)きを此処に住む人間の耳に伝えつつあるのである。

渡辺淳一も『みずうみ紀行』で書いています。

宍道湖ほど(略)自然のおおらかさをたたえている湖はない。

宍道湖には原色のけばけばしさはありません。

その周りの山々も、松江の町並みも淡い色に包まれ、落ち着いた静けさが感じられます。

こうした風景を、

五木寛之『地図のない旅』より

松江は永遠に静かな、すんだ町なのだろう。

立原道造『長崎ノート』より

しづかだ、だが、そのしづかさは眠ってゐるしづかさだ。

と書いています。

しかし、穏やかに広がる湖水の光と影、家並みを水面に映し出す風情の中にかすかにきらめくものが潜み、旅人の郷愁を誘っています。

二葉亭四迷の心に文学的なものを芽生えさせたのは、少年期を過ごした松江の風土でした。

また多くの作家、詩人が松江の風景を求めて訪れました。

昭和2年、島崎藤村は次男鶏二と訪れました。

10日余り山陰を旅した藤村はこの町が大変気に入って、いっそ松江の人にでもなってしまおうか『山陰土産』と冗談を飛ばすほどでした。

その3年後、与謝野鉄幹、晶子夫妻が松江に遊びました。

幼児期を大社で過ごした阿部知二は『宍道湖のほとり』でこう記しています。

出雲の印象は、私にとっては宍道湖の中心として心にあらわれてくる。

(略)温和な、親しみやすい、一見平凡ともいえそうな、しかし繊細で陰影がゆたかで、どことなく夢幻的なものを感じさせる。

その宍道湖が温和な姿をかなぐり捨てる一瞬があるのです。

それは夕陽に映える湖です。

宍道湖に於て見るペきものはただ一つしか無い。

壮麗なる落日のけしきである。

『諸国畸人伝−小林如泥』と書いた石川淳だけでなく、夕陽の美しさを描いた文人は少なくありません。

田山花袋『山水小記』、駒田信二『湖と私』、尾崎士郎『雷電』、岡本太郎『日本再発見』など……

数え切れないほどの文人たちが、神秘的な情景に魅せられたのでした。

大正2年暮れから、二年余り出雲今市に住んだ詩人の田中冬二の詩集『青い夜道』に「松江」という詩があります。

「秋になった 湖水の鱸の美味しいころとなった 秋の星座をうつしたしづかな湖水に 鱸はかなしくも美味になっていった

宍道湖は四季折々の味覚を楽しませてくれます。

鱸が悲しくもおいしくなるころ、白魚捕りの漁火が湖面にきらめき、長い冬ごもりに入ります。

出雲は茶どころです。

安来出身の陶芸家河井寛次郎は次のようにいっています。

出雲の冬は、炬燵とぽてぽて茶で明けくれた。

薄茶がこの町の暮らしの中に立てられ出したのは何時頃であったろう。

朝10時頃になると家人はみな座敷に集まって、火鉢か炬燵の横に短冊形の茶箱を置いて母親たちが立てました。

江戸時代、民家にとって無縁であった不昧の茶の湯は、知らず知らずの間に民衆に受容されていったのです。

そして、陶器、漆器、工芸、和菓子、料理などの茶道文化は、民衆に見守られて育ちました。

『神々の国の首都─松江』と、日本人の気付かなかった音に聞き入って、知られぬ日本の面影を求めたのは小泉八雲でした。

からころと下駄の音が、漸次高く響いてくる。

大橋の上で下駄の鳴る音は、何うしても忘れられない。

彼は明治23年(1980)はるばる長い旅をして松江にやって来ました。

孤独な八雲の心に出雲の自然と文化、そして人々がどれほど慰めとなったか、はかり知れません。

開高健もいっています。

この町へくるには濁りに濁り、疲れに疲れしたうえでのほうがいいのではあるまいかと思われる。

 
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