大山の魅力

 
【大山隠岐国立公園】

大山国立公園の名で、富士箱根や吉野などと、初期に指定され、山陰地方唯一の山岳公園であった。

その後、岡山県の境にひろがる高原地帯や、蒜山(ひるぜん)・島根半島・隠岐島・三瓶山を含む地域にまで指定区域が拡げられ、名称も現在のように改められた。

伯耆大山が公園の中心で、春夏秋冬の眺望の素晴らしさと、四季を通じての行楽、夏の登山や冬のスキーなどが楽しめ、

スキーコースとしての優秀さは西日本随一の評があり、臨時列車も運転されるほどである。

各宿泊施設や行楽施設も完惜しており、大山寺・中ノ原・桝水高原に国民宿舎、ロッジは中ノ原に、鏡ガ成には国民休暇村がある。

主要観光地には、大山連峰と、

山麓の、大山寺・豪円山・中ノ原・上ノ原・寂静山・元谷・南光河原・桝水高原・一ノ沢・ニノ沢・三ノ沢・大平原・鏡ガ成・篭良原・瓜菜沢などがある。

 
【大山(標高1713m)】
 

大山(だいせん)は、鳥取県の大山町・伯耆町・江府町・琴浦町・米子市・倉吉市・北栄町・岡山県真庭市にまたがる、国内有数規模の成層複成火山。

現存する大山に関する最も古い記述は出雲風土記の国引き神話で、

三瓶山(島根県)と同様に縄を引っ掛けて島根半島を引き寄せたとある。

出雲風土記中には「火神岳(ほのかみだけ)」と記されている。

奈良時代の養老年間に山岳信仰の山として開かれたと言われ、山腹に大神山神社奥宮や大山寺・阿弥陀堂がある。

古来より日本四名山に数えられた。

また、登山家 深田久弥選出の日本百名山の一つであり、日本百景にも選定されている。

山容は東西約40km、南北約35km、総体積120平方キロメートルを越える。

大山は連峰の総称で、主峰を御山(弥山)という。

御山の最高点を剣ガ峰(1713m)といい、そこを中心に東の大狗ガ峰から御山に至る4kmの間が主稜をなしている。

主稜から東南へ、槍ガ峰・烏ガ山(1388m)がつらなり、東北へは三鈷峰(1510m)から野田ガ山、

さらに、矢筈ガ山(1359m)・甲ガ山(1310m)・勝田ガ山(1300m)が雲海の中に浮かび、

船上山(689m)を最後に平地に没している。

一方、北に向かって豪円山・高岳・鍔抜山などの山々が、大山をとりまき、その間に広大な裾野をひろげている。

これらの山々は、いずれも白山火山脈に属し、少なくとも2回の大噴火によって、現在の山容を形づくったものといわれている。

大山の頂きは、安山岩でできているため、非常にもろく、主稜付近はつねに崩壊をくりかえして断崖になり、

とくに荒々しく崩れ落ちた北壁の凄まじさは、ベテランアルピニストすら容易に近寄れないガレの多い岩場になっている。

しかし、これを西方の米子・皆生温泉の方角から仰ぐと、

長く裾野をひろげて吃立する山容は、まさに伯者富士・出雲富士の名に恥じない見事な左右対照をみせ、

剛柔あわせもった名峰である。

近世まで、山そのものが信仰の対象になっていたため、登山が制限されていたが、

国立公園に指定された現在では、誰でも比較的楽に頂上をきわめることができるようになっている。

山頂からの眺望は雄大で、北方に弧を描く弓ガ浜・中海・島根半島・米子を一望のもとにおさめ、

青海原のただ中に浮かぶ隠岐島も、眺めることができる。

 
 
【三鈷峰(標高1510m)】
 

北壁の左手、一見独立峰にも見える三角錐の形にそびえる山。

山肌は灰白色をしていて、大山連峰とやや趣きを異にし、アルプスのような美しさをみせている。

頂上に立つと、豪壮な大山北壁を真近かに望むことができる。

このあたり一帯には、クガイソウ・ギボンなどの高山植物の群落があり、7月ごろにいっせいに花をひらき、一面のお花畑になる。

 
【地獄谷】
 

飯盛山と烏ガ山の間、三鈷峰の東壁の下にある谷で、加勢蛇川の源である。

ここは大山中の秘境ともいうべきところで、探訪には道案内人と時間的な余裕が必要である。

一般には、大山寺部落から横手道を回って文珠堂から鳥越峠に出、峠を越えたところの駒鳥でベースキャンプを設営し、

改めて、そこから出発するというルートが選ばれでいる。

地獄谷の下流には、大山連峰中最大の大山滝があるが、そのほかにも、この谷へ落ちこむ数々の沢に滝がかかっている。

また、夏なお残雪を残す谷間には、底知れぬ無気味さをたたえた深淵もあり、まさに深山幽谷の境地である。

 
【大山北壁】
 

大山の西方から眺めた場合、まさに出雲富士の名にふさわしい優しさを見せるが、

寂静山・豪円山あるいは麓の金門・元谷あたりから仰いだ大山は、わずか2000m足らずの山とは思えない山容を見せている。

とくに、北壁のすさまじさは、単に景観のみごとさだけではなく、アルピニストの征服欲をかきたてずにはおかない。

雪どけごろになると、百雷が一度に落ちるようなすさまじい音を谷間に響かせて落石する。

 
 
【剣ガ峰(標高1731m)】
 
頂上の弥山から東へ足元に渦まくような霧や雲をかきわけながら、カーブしたヤセ尾根を辿ると、

およそ30分ぐらいで最高峰の剣ガ峰に到達する。

ここからさらにラクダの背、天狗ガ峰をすぎ、三鈷峰へでる尾根道は、岩質がもろく、

南北が削りとられて、その幅わずか数十cmという心細さで、

ベテランアルピニストでも、十分な注意が必要である。

しかし、この縦走コースを征服して、はじめて、大山に登ったという満足感にもひたれるところである。

 
 
【豪円山(標高891m)】
 
大山寺バス停から徒歩30分、大山部落からわずか500mのところ、

冬はスキー場になるなだらかな草原を隔てて、大山の北壁と向かいあってそびえる山で、頂上からの展望はよい。

宝珠山を前景に、元谷・北壁、さらに三鈷峰・矢筈ガ山・勝田ガ山・甲ガ山の峰々をパノラマ風に展望でき、

眼を転じると、米子から島根半島を指呼の間に望むこともできる。

頂上には、電波の中継施設と大山寺中興の名僧豪円の石像がある。

豪円は、大山寺の寺領安堵のことで、米子城主の中村忠と争い、

城主にのろいをかけるために、遺言を残してここに葬られたという伝説があり、

そのためか、豪円の石像は米子城のあたりをにらむようにして建てられている。

この山の南に面した尾根には海岸性の見事なクロマツ純林があり、その付近にはウツギの群落も見られる。

 
【中ノ原】
 

大山寺から徒歩約500m。

大山寺の東にある高原で、谷を隔てて向うは上ノ原といい、北西には豪円山、南東には宝珠山がそびえている。

頂上付近はブナ林だが、ふもと付近は雑木を交えた緩やかな草原地帯になっている。

大神山神社奥宮や寂静山にも近いので、春・秋のハイキングコースに最適である。

 
【阿弥陀堂(重要文化財)】
 

桝水高原から北(右)へおよそ4キロ、再びブナの林の中を抜けて行くと大山寺(だいせんじ)がある。

安来(やすぎ)の清水寺(きよみずでら)、平田鰐淵寺(がくえんじ)と共(とも)に、

山陰の天台三大寺と称された地蔵信仰の大寺院。

大山寺を訪れる人々を観察していると、たいてい本堂へ参詣して引き返すようだ。

大山寺本堂の南、南光河原を隔てた山腹の深い林間に、重文阿弥陀堂が秘められている。

この参道の美しさ、幽寂の雰囲気は秀逸だ。

大山の夏山登山口にも当たり、登山シーズンには山行きの人々に行き合うことも多いが、5月中旬の阿弥陀堂参道には人影もなかった。

石段道沿いに、金剛院、蓮浄院、やや上の右手に洞明院、円流院などの塔頭寺院が、

茅葺き屋根のまま、江戸時代の面影を残して静まっている。

1山3塔42院を数えた中の、西明院の名残がここで、道の左右に残る低い石垣は、明治維新に亡びた院坊の跡だ。

蓮浄院は文豪・志賀直哉が滞在した宿坊である。

今は精進料理の坊として名高いが、当院へ滞在中の文豪は大山へ登ったようだ。

志賀直哉は代表作『暗夜行路』の終章で、主人公時任(ときとう)謙作を大山へ登らせ、神秘の世界を見せる。

……謙作は不圖(ふと)、今見てゐる景色に、自分のゐる此大山がはっきりと影を映してゐる事に気がついた。

影の輪郭が中の海から陸へ上って来ると、米子の町が急に明るく見えだしたので初めて気付いたが、それは停止することなく、恰度(ちょうど)地引網のやうに手操られて来た。

地を嘗(な)めて過ぎる雲の影にも似ていた。

 

(岩波書店刊・志賀直哉全集から)

 

大山の山影を平地に見るこの夜明けの光景は、主稜西端のピーク、弥山(みせん)からの眺めである。

志賀直哉は「山影が手操りよせられてくる」光景を見たに違いない。

私は急に、宿坊へ泊まり、夜明け前の大山へ登ってみたい誘惑を強く感じた。

それは強引で、泡立つような強い誘惑だった。

登山装備の用意さえあれば、まだ山開き前の弥山へ私は登ったかもしれない。

杉や樅(もみ)の高木(こうぼく)をまじえたブナ、ミズナラの新緑がまぶしい。

あいにく空は灰白色の雲に覆われてひととき周囲は暗くなったが、その暗い空に映(は)える緑のみずみずしさは、ひときわ鮮烈な印象を与えた。

林の下かげにシロバナヘビイチゴがひっそりと咲き、亡び去った院坊の石垣に、山吹が黄金(こがね)色の花を群れ咲かせている。

登っても、登っても、石段道は林の中に消えて果てがない。

山岳仏教天台の奥深さである。

蓮浄院からおよそ15分、登り着いた山腹の右に、阿弥陀堂が清楚な側面を見せ、沈み込むような重い静寂につつまれていた。

石段からまっすぐに深い森へ消え入るような細道は、そのまま大山へ続く夏山登山道である。

阿弥陀堂は方五間(ま)、宝形造り柿葺(こけらぶ)きの重厚な古建築。

当寺には慈覚大師円仁和尚が大唐留学から帰国の後、五台山に修得した「引声(いんじょう)の阿弥陀経」の秘曲を伝えた、という伝承がある。

秘曲の修行道場として、二十四間(けん)四面という巨大な常行三味堂があった。

すこしまぎらわしいから書いておくと、寺院建築で一間(ま)、という場合は柱と柱のあいだ、柱間(ま)で、

規準は十尺(3.03メートル)、一間(けん)という場合は規準尺度で六尺(1.818メートル)。

だから二十四間(けん)四面の御堂は柱間(ま)にして実に十四間(ま)、一面43.6メートル余の大建築となる。

東大寺大仏殿が正面57メートル、側面50.5メートル ── 比較してその大きさが偲ばれよう。

常行三味堂は享禄2年(1529)、大洪水に流出した。

流された古材を拾い集め、天文23年(1554)に再建したのが今に残る阿弥陀堂で、

総円柱、細部に鎌倉様式、室町様式が混合しているけれども、総体的な印象に藤原時代の優雅な雰囲気をたたえている。

堂内は内陣、外陣の結界がない。

簡素な須弥壇に安置された金色(こんじき)に輝く巨大な阿弥陀三尊像と、いきなり向き合うのである。

はじめて堂内を拝した時、私も妻も一瞬息がとまる思いがした。

圧倒的な何かの「力」を感じたのである。

単なる造形を超えた、神秘な何かが、そこには立ち込めていた。

照明はない。明け放した入口からさし込む外光に、黄金の仏だけが浮き立ってみえた。

その仏は中尊2.46メートル、衣の裾が台座へ豊かに垂れている──裳懸座と言い、中国の唐代に流行した古い型式を伝えたものだ。

裳のかかる台座から仏体が切り離されているのは、時代の新しさを感じさせるけれども、肉置(ししお)きは厚く、張りがある。

身光、頭光を重ねて雲中奏楽菩薩の浮彫をはめ込んだ光背も壮麗だ。

この如来が仮に立ち上がれば、5.5メートルを超える巨人になる、と言えば大きさが実感できるだろうか ?。

左右に侍立する脇侍は向かって右の観音菩薩が左手を肘(ひじ)から曲げて蓮華を持ち、

左の勢至菩薩は反対に右手で蓮華を捧げている。

いずれも像高2.73メートルの立像(りゅうぞう)で、13の種子(しゅうじ)をはめた精巧な舟形光背を負う。

天承元年(1131)、京の大仏師良円の造像銘があるそうだから、藤原時代後期の秀作。

観音は宝冠に弥陀を戴き衆生の一切の苦難を除く。

勢至は智をつかさどると言われるが、この菩薩は宝冠の中に宝瓶(ほうびょう)を戴いており、

その中に前生の父母の遺骨を秘めている、ということはほとんど知られていない。

親孝行な菩薩であり、化現して月になるといわれる。

以上は饒舌(じょうぜつ)に類するが、三体そろって国の重文。

堂内に鎌倉時代の古鐘がある。

『大山雑記』は、阿弥陀川の河口、海へそそぐあたりに、弥陀の小像を抱いて沈んでいたとしるしている。

何となくロマンティックな梵鐘で、名は竜鐘 ── 一種の沈鐘伝説として興味深い。

 

…小山 和著「古道紀行 出雲路」より

 
 
【信濃坊源盛碑】
 

大山寺の本堂に向かう石段の左手にある碑で、源盛の勤皇の志をたたえて建立されたものである。

源盛は伯耆の豪族名和長年の実弟であったが、元弘3(1333)後醍醐天皇が隠岐島を脱出してきたとき、兄とともにこれを助け、

大山寺僧兵をひきいて船上山で鎌倉幕府方と闘い、京都の六波羅攻撃では獅子奮じんの荒法師ぶりを発揮して幕府軍におそれられた。

やがて建武3年(1336)、足利尊氏の離反にあって建武中興は崩壊、九州から上洛した尊氏軍を京都に迎えうって兄長年は戦死し、

源盛は熊本の八代に退いたが、かの地で没した。

 
【大山寺(だいせんじ)】
 
私は蓮浄院下の駐車場へ車を置いたまま、歩いて大山寺橋を渡った。

この川は奇妙な川だ。

普段は水のない掴(かれ)川で、金門から元谷へと続き、峨々としてそびえ立つ大山北壁へ達するが、川尻がない。

途中で消えてしまうのである。

大雨の時は激流になり、佐陀川へそそぐと聞いたが、私は水流を見たことがない。

掴沢、というには幅が広い。

室町時代の末期、巨大な常行三味堂を押し流したのが、この掴沢の洪水だった。

橋を渡れば大山の町の上部へ出て、石敷の参道がゆるやかに登り、左に五つの山内寺院がある。

右の近代的な建物は大山寺宝物館霊宝閣。

大山寺一山の秘宝を収蔵すると共に、常設展示もしている。

白鳳時代の金銅観世音菩薩立像三躯、中国末代の精巧な金銅観世音一躯の四重文仏のほか、

重文鉄製厨子その他、多くの古仏があって、仏教古美術行脚には欠かせないだろう。

中に大変美しい、金銅の半跏踏下(はんかふみさげ)地蔵尊があった。

頭部残欠を残して焼失した菩薩に、仏体を補作して継いだと問いている。

焼け残った頭部へ、体部を補作して継ぐということは数例あるが、私はその行為に、昔の人の深い尊信、

そして仏を焼いたことへの言い難い畏怖(いふ)と悔恨(かいこん)を見る心地がする。

大山寺本尊は地蔵菩薩で、地蔵信仰の中心だったのである。

大山寺縁起は、出雲ノ国玉造の猟師依通(よりみち)が美保ノ浦で金色に輝く狼を見かけ、これを追って大山へ入り、

まさに矢を射ようとしたところ、忽然(こつぜん)と矢の先に地蔵菩薩が現れた。

依道は驚倒し殺生の罪を深く悟って僧になった、と語っている。

西行法師作といわれる『撰集抄(せんじょうしょう)』では、養老の頃(717〜723年)、俊方(としかた)という猟師が大鹿を追いつめ、鋭く矢を放った。

彼は多くの鹿を得たが、帰ってみると、射放した矢はすべて安置してあった地蔵尊に深く突き立っていた。

『撰集抄』は西行を作者に仕立てた偽書とわかってはいるが、鎌倉時代の作と認められてもいる。

依道、又は俊方の法名を金蓮と呼び、大山寺開山としている点は縁起も『撰集抄』も同じだ。

金蓮は地蔵示現の山へ草庵を結び、地蔵菩薩を安置して深い信仰生活に入った。これが大山寺のはじめである、と。

地蔵菩薩が、いつ頃から日本に知られていたのか興味があって、調べたことがある。

地蔵はインドの地母神に発し、地神として現れるけれども、文献に確認できる最古は宝亀二年(771)、興福寺地蔵堂建立だった。

後代成立の伝承は別として、飛鳥時代に、地蔵信仰の痕跡を探しあてることはできなかったのである。

造像の遺例としては南大和室生寺、明日香の橘寺、京都広隆寺像が古く、いずれも平安初期、弘仁時代(810〜823年)の作。

大山寺縁起が『撰集抄』のいうように、宝亀年間のことと仮定すれば、どうやらここが地蔵信仰発祥地である。

貞観八年(866)、慈覚大師が大山寺へ登って顕密の大法を伝え、秘曲「引声の阿弥陀経」を伝授した。

以来天台宗に列したと寺伝にある。

引声の阿弥陀経はどういうものかよくわからない。

ただ、グレゴリー聖歌に優るとも劣らない、と高い評価を受ける仏教声楽・声明梵唄(しょうみょうぼんばい)は、慈覚大師が唐から持ち帰られた。

大師の『入唐求法(にゅうとうぐほう)巡礼記』に、帰朝早々綵帛使(さいはくし)を大山寺に登らせ、綵帛(色絹)を捧げ、金剛般若経五千巻を転読させた記載がある。

入唐留学に先立ち、行旅の安全を大山寺へ祈願、無事帰国したことへの奉謝であった。

慈覚大師は天台密教(台密)を大成なさったかただが、貞観六年(864)1月14日のご遷化。

寺伝に年代の錯誤があるけれども、以上の伝承は初期の声明梵唄が当寺へ伝えられたことを想像させ、

比叡との密接な結びつきも伺わせる。

平安時代初期には、既に中央へ名の聞えた霊山として発展していたことを知る。

霊宝閣の裏手も美しいブナ、ミズナラ、イタヤカエデなどの自然林である。

林を抜けると荒々しい石の堆積する涸(かれ)川だ。

南光河原と呼ぶ。

河原の対岸に阿弥陀堂の森が見える。

石敷参道は高く急な石段へ続く。

登りついた宝形造りの大堂が大山寺本堂に当たるが、もとは密教の教主大日如来を安置する大日堂であった。

明治維新の神仏分離で、大智明権現と尊崇された本尊を大日堂へ移して、本殿を大神山神社へ引き渡したのである。

現存の御堂は昭和26年の再建。

本堂前、向かって右手に大きな牛のブロンズ像がある。

宝牛(たからうし)とも、撫で牛とも呼ぶ。

この牛を撫でて願掛けをすれば、一顧は必ずかなうといわれる。

一願不動、一顧地蔵などは多いが、一顧牛は珍しい。

実は江戸時代、当寺祭礼に牛馬市(いち)が立った。

山村に強固な信仰基盤を持ち、牛に緑が深かったのである。

江戸時代の牧牛は、大山寺が信徒の基盤とする中国地方の山間部に盛んであり、

牛市は大山市(いち)と石見の阿須那市(いち)が最もにぎわったという。

阿須那は中国山地のただ中、三次(みよし)の北西、邑智郡羽須美村(現美郷町)に今も阿須那の地名が残る。

広島県境に近い山の村だ。

昔は輸送、農耕の主役であった牛を大切にする気風が、牛の説話を生み、宝牛の信仰になったのであろう。

私は牛の脚部を撫でながら、盛大な牛市が立った頃の、当寺の賑わいへと心が漂い流れてゆくような気がした。

老婆が一人寄って釆て、口の中で何かとなえながら伸びあがり、牛の腰をさすって合掌した。

「あ、腰が痛いんやな」と思いながら、私は愕然(がくぜん)とした。

ご利益というものを信じない私が、無意識に、牛の足を撫でている……歩き疲れて、脚がすこし痛かったのである。

 
…小山 和著「古道紀行 出雲路」より
 
 
【大山御幸(みゆき)】…大山寺を彩る時代行列
 
山岳信仰に帰依する修行道場として栄えた古刹を舞台に、

毎年5月、博労座駐車場から、大山寺参道、そしてココ大山寺を舞台に繰り広げられる御幸(みゆき)は、

古の装束をまとった男たち、また煌びやかな御輿が参道を練り歩くこの地方独特の時代行列。

平安時代に始まったと言われる大山寺の祈願法要で、地元の人からは「大山さん」と呼ばれ親しまれるなど長きに渡り受け継がれてきた伝統行事です。

 
 
【高綱等身地蔵】
 
大神山神社奥宮の鳥居の側にある石造りの地蔵である。

この地蔵は出雲と伯耆の守護職であった佐々木高綱が重病にかかったとき、夢の中でこの地蔵を造って供養することを教えられ、

それによって平癒したと伝えられている。

天文・寛政の火災によって破損してしまったが、江戸末期に再建された。

 
 
【金門渓谷】
 

大山寺から徒歩20分。

大神山神社奥宮へ通ずる石畳の参道を案内標識に沿って行くと、南光河原の上流、元谷の入口に清流が流れている。

両側から岩壁が迫って渓谷をなしているが、昔は「キリワケ」とよばれ、ここから先は不浄の者は立ち入れない神域とされていた。

また大山寺の創建の際、ここに立ちはだかる大岩壁のため、工事は困難を極めた。

そのとき2羽の神鳥が飛来して偈(げ)を説き、工事を助けた。

それからここに「御金門」の額をかかげるようになった。

金門の名はこれに由来するという。

しかし、今は大山を眺める絶好の地になっており、元谷から大山北壁を仰ぐ代表的な場所として、訪れる人が絶えない。

とくに、新緑・紅葉のころはいちだんと素晴しく、ハイキングの好目的地である。

 
 
【賽の河原】
 

大山の金門と元谷の間をよび、北壁からくずれてきた安山岩が無数に堆積している。

付近には、地蔵なども建てられて、冥符の平穏を祈るため、ここに石片を積みあげるならわしがある。

賽の河原は、親に先立って死亡した子供が、その親不孝の報いで苦を受ける場とされる。

そのような子供たちが賽の河原で、親の供養のために積み石(ケアン)による塔を完成させると供養になると言うが、

完成する前に鬼が来て塔を破壊し、再度や再々度塔を築いてもその繰り返しになってしまうという俗信がある。

このことから「賽の河原」の語は、「報われない努力」「徒労」の意でも使用される。

しかしその子供たちは、最終的には地蔵菩薩によって救済されるとされる。

 
【寂静山(標高900m)】
 

大神山神社奥宮参道の途中から、自然研究路をたどると山頂に達する。

頂上は広くはないが、豪円山と並んで大山北壁、元谷を眺める絶好の展望台となっている。

この山は、大山寺を開山したと伝えられる金蓮上人が入寂したところといわれ、金蓮塔と呼ばれる五輪石塔が建てられている。

参詣道からも近く、女性や子供でも簡単に登れる山なので、手軽なハイキング地として親しまれている。

また、この山から豪円山方面へ出るハイキングコースも開かれている。

 
【大神山神社奥宮】
 
大山寺本堂石段下から左へ分かれ細道を行くと、大神山神社奥宮参道へ突き当たる。

この参道は、阿弥陀堂参道と並んで大山で最も美しいと私は思う。

石敷の小道は、ゆるやかな登坂となって、林の中へ吸い込まれていく。

ブナ、カエデ、ミズナラ、ミズキ、ところどころに杉の巨木もまじえ、緑のトンネルをつくつている。

道の両側、数十メートルが疎林となっているのは、社家・院坊の跡であろう。

私は本堂前の石段は登らずに、この石敷道から本堂へ、そして奥宮へと登ることが多かった。

参道へ入ってほどなく、高い台座へ安置された佐々木地蔵と、姿のよい不動尊石仏がある。

佐々木地蔵は初め木彫だったそうだ。

鎌倉時代初期の武将佐々木四郎高綱像との伝がある。

この人は源頼朝の挙兵当初から参陣して鎌倉幕府の創業をたすけ、備前の守護となったが、

出雲、伯耆(ほうき)、因幡(いなば)など山陰諸国にも恩賞地を持ち、大山寺信仰圏に強い影響力を持っていたと思われる。

父は近江源氏佐々木秀義、母は源為義の女(むすめ)、鎌倉初代将軍頼朝にとっては従兄弟に当たる。

大病して大山寺へ祈願、平癒したため当山へ厚い信仰を寄せたという。

石敷の小道は約1.2キロ、途中で右へ分岐する枝道へ入れば、数十メートルで金門の奇勝がある。

切りわけとも呼び、岩壁を鋭く切り割ったような高い断崖が左右へ立ちあがる。

そのあいだから、豪快な大山北壁がくつきりと姿を現すのである。

それはまるで、ドラマティックな一幅の絵だ。

もと大山寺の行場として断崖上に、五大虚空蔵堂、求聞持堂、文殊堂などがあったとも、大智明権現の正門として御金門の額を掲げたとも伝えている。

今は東の岩壁にただ一尊、地蔵菩薩のレリーフを残すだけではあるが、北壁の展望はここが最も美しい。

もとの石敷参道へ戻って左へとれば、一塊の大きな自然石へ弥陀の名号と半肉彫りに尊形を刻む吉持地蔵を過ぎ、

木立が次第に密生して、やがて左へ石段を登る。

この広い石段は上部左右へ豪壮な袖石垣を設け、いかにも僧兵が現れそうな構えである。

登りついた正面に、入母屋造り妻入り、軒唐破風(のきからはふ)付きというユニークな拝殿があり、左右へ各八間の長廊下を付属している。

まことに珍しい、長大な建物な建物──文化二年(1805)に再建された江戸時代後期の建築ではあるが、

本殿、幣殿とともに国の重文指定を受けた。

神仏混淆(こんこう)の時代、大山寺一山の本尊とされた大智明権現本地の地蔵菩薩を奉安し、

牛馬の守護神として厚く信仰された社である。

明治の神仏分離令で本地仏を大日堂へ移したことは前述した。

その時、社殿は大山の山神を祀る山麓尾高の大神山神社へ引き渡され、その奥宮となった。

尾高の大神山神社は『続日本後記』に、「承和四年、伯耆国無位大山神、授位」の記載があり、

二宮明神とも、大仙(だいせん)権現とも呼ばれたから、大山寺にゆかりの深い神社だったに違いない。

祭神を大己貴神としるしているけれども、『続日本後記』にある通り、当初は大山の山神を祀ったものであっただろう。

古風土記に、火神岳(ひのかみのたけ)としるされていたのが思い出される。

大山寺本堂前はかなり賑わっていたが、奥宮には取材中一人の人も来なかった。

深閑として、奥宮境域は大山寺の別天地、という感が深い。

大山寺衆徒(しゅうと)三千と先に書いたが、元弘三年(3321)二月、隠岐遠流の後醍醐天皇が島を脱出、

名和庄の豪族名和長年(なわながとし)を憑(たのん)で船上山(せんじょうせん)へ籠(こも)られた時、

峰続きの大山から衆徒七百が駆けつけている。

寺記は別当信濃坊源盛が衆徒を率いて参陣したとしるし、この人は名和長年の弟としている。

船上山に籠もられた後醍醐天皇は、山上から各地の豪族、有力寺院へしきりに討幕の綸旨(りんじ)をだされた。

豪族は興亡が激しいためそうした古文書を残さないが、後出の鰐淵寺に後醍醐天皇御願文、名和長年の執達状が現存し、

山陽道尾道(広島県)の浄土寺に綸旨一通が残る。

大山寺は数度焼けて古文書を失ったが、船上山からは最も近い大寺院として、多分綸旨を賜り駆けつけたのだろう。

『太平記』船上合戦の段にも、「大山ノ衆徒七百余騎」とある。

大山の衆徒は信奉する大智明権現──今の奥宮に肩を接して群れ集まり、精祈して出陣した……そんな風景が見える。

木立の中に、私は七百余の僧兵が充満し、祈祷の声が四囲に谺(こだま)したであろう光景を想像した。

その繁栄はもうない。

日雀(ひがら)であろうか、澄んだ鳥声が二声、三声、耳に快く響くばかりで、奥宮の静寂は限りなく深い。

息づくような微風には冷えびえとした湿気があった。

私はその静けさをすこし惜しみながら、石敷の小道を戻った。

どういうわけか、これほど豊かな大自然の緑の中に、野鳥の声は乏しかった。

大山の山腹にはヒガラ、コガラ、シジュウガラなどカラ類が多いのだが、まだ暖かい山麓から登って来てはいないのかもしれない。

このあたりは標高約770メートル、初夏というよりも、まだ春めいた風が吹いていたのである。

 
…小山 和著「古道紀行 出雲路」より
 
 
【元谷】
 

大神山神社奥宮の右手を行くと、護岸工事を施した河原に出る。

そこから大犀風岩を目指すとその下に建っている元谷小屋につく。

ここは夏山登山の主要路に当たり、右手には雄大な大山北壁がそそり立ち、累々と崩れ落ちた岩塊が奇観を呈しているが、

冬期には積雪が全てをかくして絶好のスキー場に変り、大山中でも最もいい雪質を誇っている。

 
【大山夏山開き祭】
 

本格的な夏山シーズンを迎える6月には、夏山の安泰を祈念し、自然と人間との結び付きを高めることを目的とし、夏山開き祭が開催されます。

その前夜祭では、2000本のたいまつ行列が大神山神社奥宮から博労座まで続き、参道は松明の光のウェーブに照らされます。

翌日の早朝、大山頂上の弥山で夏山登山の安全祈願が行われます。

ふもとの博労座ではフリーマーケットや、コンサートなどのイベントが開催されます。

前夜祭 6月3日(土)  

18時30分〜大神山神社でザイル祭とあわせて神事を行います。

19時30分〜本格的な夏の到来を告げる美しい炎のウエーブ2000本の「たいまつ行進」が行われます!

(大神山神社〜博労座までの約1キロ)

山頂祭 6月4日(日)

10時〜大山頂上で、登山者の安全祈願「山頂祭」の神事が営まれます。

(登頂は各自自由)

 
 
【大山登山】
 

夏山登山道から1,710メートル。

ピークである実質上の山頂弥山にある山頂小屋付近までは、登山可能であるが、

そこから一等三角点地点や最高点の剣ヶ峰方面へは、稜線が両サイドとも崩落しており縦走は禁止されている。

これは特に鳥取県西部地震以降、山肌の崩落が激しくなって危険なためである。

しかし、毎年無謀な縦走を試みる人が後を絶たず、死傷事故も発生している。

地形は毎年変化しており、過去の情報が通用しない場合があることを銘記されたい。

登山コースは数種あるが、大山寺や下山キャンプ場から入る夏山登山道が一般的で登山者も最多である。

ついで元谷〜ユートピア避難小屋ルート、また船上山〜甲ヶ山・野田ヶ山に至る縦走路もオススメだが経験者向きである。

公共交通機関でのアプローチは、

JR米子駅から大山寺行きのバス(1日8往復)のほか、大山るーぷバス(臨時)、

JR大山口駅から大山寺行きのバス(1日6往復)、

自家用車では、大山寺付近の駐車場(スキーシーズン以外は無料開放)から徒歩での登山が一般的。

[大山登山コース]

普通登山道〈上り2時間30分・下り1時間30分〉部落登山道→六合目→頂上(行程3.2km)

行者谷登山道〈上り3時間・下り1時間30分〉大山寺部落→元谷→行者谷口→六合目→頂上(行程3.5km)

正面登山道〈上り 2時間30分・下り1時間20分〉桝水原→横道→頂上(行程3km)

頂上縦走コース〈3時間・行程4.5km〉山頂→大狗ガ峰→ユートピア→宝珠尾根→元谷

烏ガ山登山コース〈上り4時間・下り3時間〉桝水原→一ノ沢→文珠堂→鳥越峠→烏ガ山(行程7.5km)

地獄谷コース〈6時間・行程15km〉鳥越峠→駒鳥小屋→大休口→大休峠→川床→大山寺部落

鏡ガ成コース〈4時間・行程13.5km〉桝水原→文珠堂→御机→鏡ガ成

 
 
【大山のブナ林】
 

大山の亜高山帯にはブナの天然林が広がり、そこより低い場所ではミズナラやシデを中心とした植生が広がる。

また、イヌワシやクマタカやヤマネなどの野生動物も多数生息していることから、国指定大山鳥獣保護区(大規模生息地)に指定されている(面積5,156ha、うち特別保護地区2,266ha)。

一帯は大山隠岐国立公園に指定され、8合目以上には、国の特別天然記念物ダイセンキャラボクの日本一の群生地、

中腹には西日本一のブナの原生林があり、新緑・紅葉の季節には、崩落した岩壁とのコントラストが、素晴らしい景観を生み出している。

ブナ林(ぶなりん)とは、温帯に見られる落葉広葉樹林の典型的なものである。

日本では、九州地方の山地から北海道南部の平地にかけて分布する、ブナを中心とする森林のことである。

ブナ林は、日本では温帯の植物群落の代表である。

本州中南部では、平地は照葉樹林帯であり、常緑広葉樹林が成立するのが本来の姿である。

それより寒い地域、標高の高い地域では、落葉樹が優占する森林が出来るが、この森林の代表がブナ林である。

ブナの他、ミズナラなどを交えた森林である。

常緑樹林と比べて葉が薄いため、森林内が明るく、見通しがよい。

しかしながら、日本のブナ林では、林床をササが覆う場合が多い。

それも太平洋側ではスズタケなど、2mにもなるものなので、歩くにはやっかいな森である。

日本の森林で、古来の姿を保っている場所は少ない。

いわゆる原生林というのは、本当に数えるほどしか存在しない。

 
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
 
【ダイセンキャラボク】
 

鳥取県伯耆大山の8合目近辺にあるキャラボクの群生地は天然記念物のダイセンキャラボクとして知られる。

大山キャラボクは、暗緑色を呈して群生する1m前後の低い木で、

頂上付近に、およそ8万平方メートルの載囲にわたって密生している。

この木はイチイ種のキャラボクが変種したもので、

雌雄異株で、花は春(3〜5月)に咲き、雌木は秋(9〜10月)になると赤い実をつけ、味はわずかに甘い。

大山では1200mあたりからまばらに生えはじめ、1600m付近では純林の大群落となっている。

一般には庭木として観賞用に植えるが、自生するのは、国内においてはこの大山と矢筈ガ山・氷ノ山・道後山だけである。

昭和27年、植物学上重要視され、特別天然記念物に指定された。

 
 
【大山スキー場】 ホームページ
 

大山スキー場は、鳥取県西伯郡大山町大山にあるスキー場の総称。

裾野を長くひく大山山麓には、スキー場として格好なスロープが多く、しかも積雪量・雪質とも滑降に適し、

西日本の代表的なスキー場として知られ、シーズン中は臨時列車も編成されている。

また、ゲレンデ以外にも変化に富むスキーツアーが楽しめる規模の大きいスキー場である。

ツアーの場合は、大山部落と桝水原をベースとし、大山頂上まで、上り4時間、下り2時間程度の行程だが、

天候がよく激変するため、上級者向きである。

ゲレンデは中ノ原スキー場を中心に4カ所があり、それぞれの特色をもっている。

シーズンは12月下旬から3月下旬ごろまで。

リフトは中ノ原・上ノ原ゲレンデに12基、豪円山ゲレンデに4基、国際ゲレンデに5基ある。

交通は、大山寺部落から中ノ原・豪円山ゲレンデまで徒歩15分、上ノ原・国際両ゲレンデまで同20分。

いずれも貸しスキー・靴の用意がある。

[上の原スキー場]

降雪量も多く、気温の低さを利用してスノーマシンによる人工雪で天候に左右されないゲレンデ整備が可能。

5本のリフトにより、2本のコースが設定されている。

[豪円山スキー場]

降雪量も多く、おおよそ12月下旬から3月下旬まで滑走可能。

大山観光開発が運営している。

4本のリフトにより、1本のコースが設定されている。そのうち2本は大山スキー場への連絡用リフトである。

[大山国際スキー場]

降雪量も多く、気温の低さを利用してスノーマシンによる人工雪で天候に左右されないゲレンデ整備が可能。

9本のリフトにより、5本のコースが設定されている。

初級者ゲレンデ テクニダスコース パラダイスコース リーゼンコース チャンピオンコース

[中の原スキー場]

降雪量も多く、気温の低さを利用してスノーマシンによる人工雪で天候に左右されないゲレンデ整備が可能。

4本のリフトにより、4本のコースが設定されている。

 
大山スキー場管理組合(事務局 : 0859-52-2315) 豪円山 : 0859-52-2311 / 中の原 : 0859-52-2447 / 上の原 : 0859-52-2521 / 大山国際 : 0859-52-2321
 
 
【赤松池】
 

米子駅から大山寺行バス30分赤松下車、徒歩5分。

大山北西琵にある小さな池で、澄みきった水が付近の山々を映して美しい。

とくに、新緑のころは目を洗うような緑が湖面をいろどり、全山燃えるような紅葉のころもまた格別である。

池のほとりには赤松大明神の両があるが、いろいろな伝説をもった池である。

干ばつに祈ると雨が降る、といった天候に関する話が多く伝えられている。

近くに、植樹祭記念碑と大野ガ池がある。

 
【大山フィールドアスレチック】 ホームページ
 

森の国は自然体験施設。

西日本最大規模のアスレチックや広場でしっかり遊べるし、

いろんな自然体験プログラムやキャンプなどで楽しめます。

 
森の国 大山フィールドアスレチック [営業時間 9:00〜17:30] 〒689-3319 鳥取県西伯郡大山町赤松634(大山観光道路沿い 県道24号線沿い)TEL 0859-53-8036 FAX 0859-53-8004
 
 
【大山乗馬センター】 ホームページ
 

大山乗馬センターはこんなところ

大山乗馬センターは初心者OK、上級者OK、外乗トレッキングOK、競技会OK、馬のことなら何でもの施設です。

めいっぱい自然を満喫するのなら乗馬にチャレンジしてみてはいかがでしょう。

豊かな大自然に包まれる国立公園大山(だいせん)のふもとで、サラブレッドと過ごすゆったりとした時間。

このかけがえのない充実感こそが乗馬の醍醐味なのです。

まずは馬場内で基本をマスター。すこし慣れてきたら大山ふもとの林間トレッキングコースへ出かけましょう。

「大山乗馬センター」は、初心者から上級者までじっくりと楽しんでいただける大山で唯一の施設です。

[施設概要]

屋外馬場2面(3000m2 1500m2) インドア馬場(800m2) 完備

トレッキングコース有り 厩舎35頭分

レストラン 宿泊用コテージ3棟 完備

[インストラクター]

全国乗馬倶楽部振興協会 認定指導員6名 など

 
大山乗馬センター 〒689-3319 鳥取県西伯郡大山町赤松2459-130(大山観光道路)TEL 0859-53-8211 FAX 0859-53-8245
 
 
【大山まきばくるみの里】 →ホームページ
 

のどかな風景が続く大山放牧場内にあるレジャー施設。

周辺では数多くの牛が放牧され、間近にふれ合うことも可能です。

牛舎での授乳体験、みるく工房での乳製品作りといった各種酪農体験も人気で、併設するレストランには、新鮮なミルクをたっぷり使ったフードメニューも充実しています。

名物ミルクソフトは来場の記念に欠かせない必須アイテム。

 
【桝水高原】
 

伯耆溝口駅からバス30分、桝水高原下中。

米子駅・大山寺からもバスの便がある。

伯耆溝口駅から東へ、ほとんど真正面に大山の魔峰を仰ぎながら8kmほど登ったところ、大山の西腹にひらける高原で、

湧水が多く、年中清例な清水が絶えないところから、こう呼ばれるようになったという。

ここから南の江府町の御机まで、大山環状有料道路が通じている。

ゆたかなひろがりを見せる高原は、ススキや低木におおわれ、新緑のころ、紅葉の秋ともによく、夏はキャンパーの訪れでにぎわう。

絶好のハイキング地として親しまれており、冬は一面の銀世界が、多くのスキーヤーを集めている。

眺望にも恵まれ、西に米子平野から弓ガ浜・島根半島などの秀景が一望につくせる。

なおスキーのシーズンは12月下旬〜3月下旬。

417mの桝水高原観光リフト1基のほか、宿泊施設・駐車場が整っている。

名物は大山地域の郷土料理「大山おこわ」

【大山おこわ】
 

大山山麓地域に伝わる郷土料理で、味の主役は、自然の恵み豊かな大山の原野に育つ季節の山菜や野菜。

JR米子駅の駅弁としても発売されるなど、すっかり地元を代表する名物料理として定着しています。

地域によりその呼び名も違い、一部では深山おこわとして親しまれたり、またシンプルに五目おこわと呼んだりと、様々。

具材に関しても、特に固定されている訳ではなく、家庭により使うものも多種多様。

季節においしい地元の素材という点だけで、後は各家庭オリジナルだそうです。

地元で収穫される天然の山菜は、蒸してもほのかに香るほど、野趣溢れる滋味が格段に優れていて、

蒸し上がりを一口頬張れば、米の一粒一粒から、大自然のうま味がジュワッと口いっぱいに染み出します。

【鍵掛峠】
 

秀峰大山南壁の圧巻大パノラマを、新緑、紅葉の中で楽しむことができる景勝地で、

その雄大さを写真に納めようと多くの人が訪れる。

 
 
【棚田から見る大山南壁】
 

江府町御机からの大山。

心に染みいる景観である。

田植え時期に棚田に水が張られた風景をぜひ見てみたい。

 
 
【烏ガ山(標高1387m)】
 

大山連峰のひとつで、第1期の噴火によってできた、トロイデ型の山。

主峰剣ガ峰の東南にあたり、西方からの烏ガ山の眺望は、岩稜が険しくそそりたって奇観を呈している。

登山路には二方向があり、一つは文珠堂からのルートで、

そこから鳥越峠に出、峠の尾根を右へ稜線伝いに行くと岩峰のほぼ中間にでる。

このあたりから頂上を目指すわけだが、斜面は非常に急である。

もう一つのコースは、大山環状道路の途中にある新小屋峠あたりからの登はんである。

頂上は狭いが、ここから眺める大山南壁は、まるで巨大な手で荒々しく削りとられたような景観を見せ、

青空にそびえ立った山の姿は雄大である。

 
 
大山鏡ガ成国民休暇村
 

大山の南東腹、いわゆる裏大山にひらける標高900m前後の高原。

烏ガ山・象山・擬宝珠山などの諸峰に囲まれた摺鉢の底のような感じのところで、

一面野草とススキにおおわれ、間をせせらぎが流れていれる。

国民休暇村として宿泊施設が整えられており、ハイキングやキャンプ、山菜採りが楽しめ、

冬は絶好のゲレンデとしてスキーヤーでにぎわう。

ここと蒜山高原とを結ぶ蒜山大山道路、鏡ガ成入口の御机と桝水高原とを結ぶ大山環状道路なども開かれており、

自然景観に恵まれたドライブコースとして人気を集めている。

昭和37年、鏡ガ成一帯が国民休暇村に指定され、特異な山頂をもつ烏ガ山を前に、カヤ原の中に宿泊施設ぎぼし山荘(収容200名)が建てられてある。

スキー場(リフト415m1基)・キャンプ場・駐車場などが整っており、貸しスキー・テントも用意されている。

宿舎の自ノ慢料理は、ワラビ・ウド・スズタケのタケノコなどをふんだんに使った山菜料理や、

ジンギスカン鍋、ニジマス料理、鯉の刺身など、山の味が十分に味わえる。

 
 
【エバーランド奥大山】
 

「奥大山スキー場」ふもと「 」で飲む地ビール「ブナの森から」は最高。

木谷沢渓流(江府町御机)は、エバーランド奥大山前の駐車場からわずか300歩ほど。

大自然の懐に飲み込まれたような別世界にたどり着くことができます。

 
 
【かまこしき渓谷】(江府町助沢)
 

長い年月をかけて奥大山の水量の多さと流れの速さによって形成された特異な浸食地形が見どころ。

大瀑布が奇岩の間を白い水煙を上げて流れ落ちる様は豪快かつ優美な風景を描く。

 
【奥大山チロルの里】
 

森林浴・遊歩道散策・キャンプ・登山など高原の自然がいっぱい。

 
 
【蒜山】
 

県の西北部、鳥取県との県境に丸味を滞びで女性的な三つの山が寄りそうようなかっこうで並んでいる。これが蒜山三座とよばれる山々で、南麓一帯は広大な蒜山高原となり、一面の草原が展関している。

この高原は、太古から人々が狩りや農耕を営んでいたところで、

付近には四つ塚古墳に代表される、考古学上貴重な墳墓が分布している。

また、中国山地の奥にあたっているため、古い風俗や文化財がむかしのままの形態をとどめ、

民族学的にも見落とすことのできない、文化遺産が数多く残されており、

一帯におい茂るブナの原生林には、他の地方では見られない、多種多様な動物が生息して、生物研究のための宝庫ともなっている。

この地区は、昭和38年、大山隠岐国立公園に編入され、キャンプ・スキー・ハイキング・登山と、野外活動の聖地として若い人々に親しまれているが、

国民休暇村宿舎・ダイニングロッジ・公営ユースホステルなども設置され、四季それぞれの利用者が絶えない。

 
 
【蒜山高原】
 

岡山痕と鳥取県の境に位する上・中・下の蒜山三座の南麓にひろがる高原で、

標高約500m、東西20km、南北10kmの台地は一面の草原となって、放牧の乳牛がのんびりと草を食む雄大な景観を展開している。

一帯は、オオサンショウウオ・ギフチョウなど珍しい動物が多く、

また、ブナの原生林があって、自然探勝に好適な場所となっている。

ここには、大むかしから人々が生活を営んできたらしく、四ツ塚古墳(史跡)をはじめ、貴重な史跡が散在して、歴史探究の楽しみもある。

これらの自然や文化遺産は、「岡山のチベット」といわれる中国山地のけわしさに守られ、

また、明治以来、軍馬の放牧地や軍の演習地となっていたため、一般人の立入りが禁止されたこともあって、

むかしにかわらぬものを今日に伝えている。

この地の日本ばなれした景観に、キャンプ・スキーの諸設備やロッジ、コテージなど宿泊施設も整えられ、

県北の観光地として、ハイカーや行楽客も多い。

 
 
【蒜山国民休暇村】
 

鳥取県との県境に近い、蒜山高原の一角、三木力原に開設された国民休暇村。

三木力原の草原には、ジャージー種の牛がのどかに草を喰み、まことに牧歌的な風景である。

豊富なウド・ワラビ・ゼンマイなどの山菜狩りが楽しめる春、

キャンパーでにぎわう夏、

ススキの穂がゆれる秋、

そしてスキーヤーでにぎわう冬と、

四季折りおりの楽しみに恵まれている。

 
 
【道の駅蒜山高原】
 

県道蒜山高原線沿いにある道の駅です。

ホテル蒜山ヒルズ・蒜山山菜茶屋・サイクルセンターを施設とする道の駅です。

タッチパネルで目的地を簡単チェック出来るコーナーや蒜山の特産品も購入出来るようになっています。

人気メニューの山菜そば・山菜うどん・山菜定食は、ここでしか味わえない一品。

[観光情報が一望]

タッチパネルで蒜山高原内観光施設をすぐに探せます。

パソコンを前に楽しみながら検索。

滞在型観光拠点としてふさわしい施設をととのえています。

[特産品も充実]

ジャージー牛乳や、ヨーグルト、アイスクリーム、蒜山大根の漬物などの販売PRも行っています。

[自然牧場公園]

道の駅「蒜山高原」やホテル蒜山ヒルズの向かいに位置する自然牧場公園は、蒜山の豊かな自然を楽しめ、高原でのんびりとした時間を過ごすのに最適です。

すぐ後ろに雄大な蒜山三座を望むことのできるこの公園は、4月下旬〜10月下旬までジャージー牛が放牧され、間近でその姿を見ることができます。

季節ごとの花や樹木も楽しめ、芝生広場や簡単な子供の遊具施設もあるので、家族連れにもおすすめです。

●年中無休(積雪期間利用不可)

●入場無料

●お問い合せ : Tel.0867-66-2511

 
 
【蒜山三座】
 

真庭廊と鳥取県東伯郡の境に位する、上蒜山・中蒜山・下蒜山をいう。

これら三つの山は、大山火山群の一部をなしているトロイデ(鐘状火山)で、東西にほぼ直線状に並び、

おわんをふせたような温和な姿をみせている。

最西端に位する上蒜山が標高1200mで最も高く、中蒜山1122m、下蒜山1101mと順次に低く、

これらの三つの山が寄りそうように連なる姿は、美しい三姉妹に例えられる。

山々はブナの原始林におおわれており、また、シコクフウ・ツタシゼリなど高山植物の群落もみられる。

山頂は好展望地で、中国地方第一の名峰大山の岩峰が鋭く天を突き、そのむこうには遠く重厚な色合の日本海が、東西に長くのびて印象的である。

これらの山の南ろくは、広大な高原となっている。

 
四ツ塚古墳
 

旭川上流の蒜山盆地にある横穴式古墳で、4個の円塚が並立しているところから四ツ塚という。

いずれも封土の直径28m内外。

天井・壁面に宋を塗り、底部には石・木炭を敷き、水抜きとしている。

 
【塩釜の冷泉】
 

中蒜山の山ろくに湧いている泉で、盛夏でも5度以下の冷泉である。

この泉は噴出するとき、地底から湧き上がる気泡とともに周囲の砂粒を吹き上げているが、

この状態が塩田の塩釜で塩を煮つめるときの様子に似ているので、塩釜の名でよばれるようになった。

 
【黄金杉】
 

下長田、原地内にある高さ16.5mの老杉で、樹齢150年といわれている。

この杉は、枝葉の葉緑素を失っているため、一年中金色にかがやくという奇観を呈しており、日本では他に例をみない。

  
【ギフチョウ】
 

ダンダラチョウの名でも知られる日本特産のチョウで、川上村の一帯にみられる。

このチョウは、世界的な珍種に属するため、外国の学者の間でも珍しがられており、

早春のころ、他のチョウが出る前に、周辺の野原を飛び回る。

 
【黒岩の山桜】
 

東茅部にある樹齢約700年の巨木で、根回り8m、高さが16mある。

地上1mほどのところから7本の枝が出ており、幹に多くの植物が密生している。

桜樹としては、県下でもこの桜が最も古い。

 
【黒岩の三度栗】
 

黒岩の山桜同様、東茅部にある樹齢100年の栗の木で、高さ約10m。

この木には年間3度の花が咲き、うち2回は普通より大粒の実がなる。

 
【川しんじゅ貝】
 

氷河時代に生息していた貝で、形はからす貝に似て殻が堅い。

日本でこの貝をみるのはまれである。

 
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