| 足立美術館には現在、日本、いや世界に誇れる財産がふたつある。
一つは近代日本画の巨匠・横山大観の一大コレクションであり、もう一つは広さが一万三千坪にもおよぶ純日本庭園である。
「名園と名画」をキャッチフレーズとしているゆえんである。
美術館を造ることを決意したとき、日本画の美に最も似つかわしいものとして、日本人の美意識と深いところで関わる日本庭園をイメージに描いた。
小学校六年のとき、近くの雲樹寺で見た庭園にいたく感動したことがあったが、その時の印象が心の片隅に生き続けていたのかもしれない。
雲樹寺は臨済宗の古剃であり、1322年に後醍醐天皇の師である覚明三光国師の創建になると伝えられる。
庭は刈込み式、枯山水の禅宗庭園で、春になると雲仙ツツジが境内一帯を埋め尽くすところからツツジ寺とも呼ばれ、地元の人たちに親しまれている。
庭づくりを思い立ったのも、こうした故郷の美しい風景があればこそと思うが、私の父がとにかく庭いじりが好きだったことが、あるいは直接の原因かもしれない。
何かにつけて意見が衝突した父と私であったが、年をとるにつれて血はいよいよ争えないものとみえる。
美術館の庭園は、大阪芸術大学の中根金作教授に設計いただいたもので、「築山林泉式庭園」と「枯山水式庭園」から成っている。
だが、出来上がった現在の庭のたたずまいはむしろ、足立全康作といったほうがよいかもしれない。
昭和45年秋に開館して以来、毎年のように絶えずどこかをいじくりまわしてきたので、庭の風景はしょっちゅう変わり、設計時の面影はあまり残っていない。
昭和55年11月だったか、細川隆元氏と土屋清氏との「時事放談」が、当館の茶室『寿立庵』(桂離宮にある小堀遠州作『松琴亭』の面影を写した茶室)から生中継されたとき、
土屋氏から、「遠景、中景、近景の組み合わせが素晴らしい。西の修学院離宮と言ってもよいね」とお誉めの言葉をいただいた。
それを受けて、あまり誉めることのない細川氏も表情を和らげ、「美術館と庭がマッチしている」と庭のたたずまいに目を細められた。
私の場合、収蔵品を喜んでいただくのはもちろん嬉しいが、庭を誉められると殊のほか嬉しい。
というのも、庭の一木一草に至るまで、私の目と心がつぎ込まれているからである。
中根先生の設計図をもとに、石組みや木の配置、築山の起伏など一つひとつに注文を出し、私の思い描く庭園の姿に近づけた。
庭からほんのちょっと目を上げると、そこには戦国時代の昔、毛利、尼子の両雄が戦い、毛利氏が戦勝を記念して名付けたという勝山が連なっている。
その背後には、この地方で一番高い京羅木山(きょうらぎさん)がヌッと頂を突き出している。
四季の変化をいち早く知らせてくれる、見張りの山でもある。
また方角を転じると、飯梨川の西岸近くには月山が横たわっている。そうした借景を利用して、今までにないスケールの日本庭園を築きたいというのが私の青写真だった。
そのため、京都の二条城や住友家の別邸、橋本関雪の自沙村荘など、個性的な名園を何か所か見てまわった。この中では、特別に見せてもらった住友家の庭が素晴らしかった。
庭が良ければ、建物も一段と映える。何よりも、周辺の空気がビリッと引き締まって清々しい。
私の庭づくりに賭ける情熱は、名園に刺激されてますます昂じた。
やればやるほど面白くて奥が深く、そのことがなお、いっそう私の創作意欲をかき立てた。
開館した当初の庭は芝生を敷きつめただけだったが、昭和47年に本館とも呼ぶべき2号館の増築に着手する際、本格的な日本庭園を造ることを計画した。(中略)
昭和48年7月の完成を目指して、貴賓室を含めた2号館の増築および枯山水式庭園の造園工事が始まった。私は美術館に腰を据え、日夜、庭造りの陣頭指揮をとった。(中略)
美術館にはいま、約900本の松(赤松が800本、黒松が100本)があり、庭の景観を盛り上げているが、赤松はすべて能登の産である。(中略)
枯山水式庭園のもう一つの主役である奇岩巨岩は、中国山脈の山沿いの町・岡山県新見市を流れる小坂部川(おさかべがわ)から、持ち運んだものである。
中国山地は石の産地として有名なところだ。風雪をくぐり抜けてきた自然石の黒光りした肌合いは、これまた庭にはなくてはならぬ存在感、重量感を訴えている。
昭和48年7月、こうして600坪近い2号館とその付属庭園は、能登の赤松、新見の自然石を各所に配して完成した。
また、庭園の見どころの一つにもなっている『亀鶴(きかく)の滝』は昭和53年11月に開館八周年を記念して開瀑した。横山大観の「那智の滝」をイメージにしている。
その年のある五月晴れの朝、いつものようにロビーから庭を見まわしているときのこと、枯山水の借景として半島のように突き出た亀鶴山が目に留まった。その瞬間、山肌に滝の落下するシーンが浮かんだ。
緑したたる木々にまじって、水の動きがあれば一段と風景が締まってくる、と考えたのである。
池庭の平面的な水の落ち着きと、立体的で雄大な滝の動き。それはいかにも、名園の名にふさわしい。「那智の滝」は、日本人が誇る神々の宿る名瀑である。その恩恵に少しでもあやかりたいという気持ちも少なからずあった。
私は早速、亀鶴山の所有者に意を伝え、理解と協力を仰いだ。その結果、この地に突如として、滝の落ちはじける音がこだますることになったのである。
高さ15メートルの滝は、実物の那智の滝の迫力には遠く及ばないが、当美術館の庭の情趣には欠かせぬ点景と自負している。
枯山水式庭園と並んで、当美術館の誇るのが白砂青松庭である。
1号館の前に広がるこの庭は横山大観の名作『白砂青松庭』のもつ雰囲気を表現している。
今から十数年前にその絵を見たとき、これと同じような庭を造ってみようと思い立ち、心血を注いだ。
築山の傾斜や松の形に気を付け、さらに池の先に滝を配して、全体に流動感を持たせるようにした。
石は佐治石である。白砂の上に点在する大小の松の緑のコントラスト、それに池や雪見灯寵との配置の妙をご観賞いただきたい。
また池庭の動、苔庭の静も、是非じっくりと見てほしい。
苔庭は、第1回卓越技能賞を受賞した小島佐一氏の設計になるものだ。庭全体のことを考えて、メリハリがつくように配慮されている。
一つの敷地内にこれほど多様な庭の美を有しているところはないと自負している。
その頃の私は毎日、枯山水式庭園を一望する喫茶室『翠』に顔を出し、手前から三番目のテーブルに腰を下ろして、一木一草の大きさ、形を徹底的に頭のなかに刻み込んだ。
そして、絶えず理想のイメージを思い描きながら、庭に降り立った。
庭造りを始めてから、かれこれ二十有余年になるが、まだこれで満足だということはない。
というのも、庭は生きているからだ。
モミジの一葉、松の一枝の傾き、築山の芝生の伸び具合……と、背景の山々と溶けあって日々刻々表情を変える。
それが何ともいえず神秘的で、庭に寄せる私の情熱を煽って止まない。
現実に、庭のたたずまいは午前中に見たときと午後とでは全く違う。
もちろん四季によっても大きく変わる。
そういう意味では、一日として同じ表情を見せることがない。
それはどこか、花を活けるのと似ていて、高低、奥行き、強弱のバランスのうえに成り立っている。
そうした庭園実の陰の演出者、というよりもむしろ、名脇役を演じるのが美術館の背景の山々である。
季節によって春雨に霞み、秋色に燃え、雪景に沈黙する。
それはもはや、人為の遠く及ばない自然の偉大な力であり、ただただ黙して合掌するのみである。
美術館には現在、常時五人の庭師が待機している。簡単そうに見える水やりも、それぞれの樹木の状態や芝生の傾斜によって分量を変える。
松の整枝も年に3回行うが、900本の木一本ずつすべて手作業である。最初の頃は自分が一人ひとりに指示を与えていたが、いまではみんなちゃんと心得て、管理整備に当たっている。
一般の方たちに混じって、当館の噂をきき、日本造園協会の会員の人たちも毎年、四季に応じて見学に訪れてくる。となれば、当然こちらも気合が入る。
本当の素晴らしい庭は、人々の心を癒してくれる。
めまぐるしい現代社会に生きるわれわれだからこそ、都塵を離れ、心を浄め、清涼のひとときを持つ必要がある。とりわけ、日本庭園は憩いの場、心のオアシスとして日本人の感性に極めて近しいものがあると思う。
また、精神を統一し、英気を養うには格好の空間といえよう。(中略)
私ごとで言うと、素晴らしい美術品と庭園に囲まれ、日々、心の安らぎを得ていることが、あるいは健康の秘訣になっているかもしれない。
「自然」と「人工」 の調和の美、私は日本庭園こそ『一幅の絵画』という理念に立って、いまも作庭に心を砕いている。
…庭園日本一「足立美術館をつくった男 」より
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