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足立美術館の利用案内
 
■開館(利用)時間
 
4月〜9月 AM9:00 〜 PM5:30
 
10月〜3月 AM9:00 〜 PM5:00
 
■年中無休
 
■入館料(税込)
 
個人 団体(20名以上) 団体(100名以上)
 
大人 ¥2,200 ¥1,800 ¥1.600
  
大学生 ¥1,700 ¥1,400 ¥1,200
 
高校生*1 ¥900 ¥700 ¥600
 
小・中学生*1*2 ¥400 ¥300 ¥200
 
※青少年の優遇処置について
*1公立学校が休業日となる土曜日は、小中高生の入館料を無料といたします。(要学生証提示)
*2小中学校(高校は含まず)の学校教育の一環として教師等が引率し利用する場合は、事前に申込みがあった場合に限り無料といたします。
 
■音声ガイド
 
◎庭園の見所と、展示作品の解説を音声で案内します。
 
◎貸出料 日本語版 1台500円 英語版 1台350円 受付で貸出。
 
■パートナーズカード
 
◎年会費6000円で2年間に何度でも入館でき、そのほか特典も多数。
 
◎来館時に受付で申込、即日発行できます。
 
■無料シャトルバス
 
◎JR安来駅、JR米子駅、玉造温泉、皆生温泉より便利なシャトルバスを運行しています。お気軽にご利用下さい。
 
足立美術館へのアクセスはこちらをクリックしてください !
 
■お問い合せ
 
足立美術館
 
〒692-0064 島根県安来市古川町320 TEL.0854-28-7111 FAX.0854-28-6733
〈大阪オフィス〉〒541-0054 大阪市中央区南本町2-4-3 丸全ビル7F TEL.06-6264-0737
〈大阪営業所〉〒541-0054 大阪市中央区南本町2-4-3 丸全ビル4F TEL.06-6264-8610
〈東京オフィス〉〒108-0074 東京都港区高輪2-16-38-1001 TEL.03-5791-2281
 
安来市観光安来市特産品
 
安来市役所商工観光課(島根県安来市伯太町東母里580)Tel.0854-23-3340
安来市観光案内所(島根県安来市安来町2093-3観光交流プラザ内)Tel.0854-23-7667・Fax.0854-23-7654
広瀬町観光協会(島根県安来市広瀬町町帳752)Tel.0854-32-2767
伯太町観光物産協会(島根県安来市伯太町東母里580)Tel.0854-23-3340
安来商工会議所(島根県安来市安来町879)Tel.0854-22-2380・ Fax. 0854-23-2314
 
足立美術館について
島根県の東のはずれ安来市の南郊に建つのが、『日本一の日本庭園』『日本一の横山大観コレクション』で名高い足立美術館です。

足立美術館は安来市内から何の変哲もない田舎道を20分ばかり走った田園地帯にあります。

玄関を一歩入ると、眼の前に広がるのは枯山水式の一万二千坪の大庭園借景の山々の織りなす調和美の世界。そして、京風の雅な苔庭横山大観の名画を日本庭園で表現した「白砂青松庭」など、館内のいたるところから異なる風情の庭が眺められます。

また、四季の変化も素晴らしく、サツキやツツジに彩られた春の庭をみれば、萌えたつ緑一色の夏の庭園が思い浮び、晩秋の小雨に煙る紅葉の庭園を眺めれば、寂蓼とした冬の雪景色が想像できるでしょう。

床の間をくり抜いて庭園を見せ、あたかも一幅の掛軸のように工夫された「生の掛軸」など、趣向を凝らしたものを楽しんだ後、2階へ上がると、そこは日本画の展示室です。

足立美術館のコレクションは、横山大観、竹内栖鳳、川合玉堂、富岡鉄斎、榊原紫峰、小林古径、橋本関雪など近代日本画壇を創り上げてきた巨匠たちや、

上村松園、鏑木清方、伊東深水たちの描く優美な美人画など、近代日本画を中心に、河井寛次郎、北大路魯山人の陶芸、平櫛田中の木彫、林義雄、鈴木寿雄らの童画など、

1300点あまりを数えるが、展示計画は春夏秋冬の庭園の変化に合わせて観賞できるように、年四回の特別展を開催している。

昭和59年秋にオープンした「横山大観特別展示館」はあたかも浮見堂のごとく池の上に建っている。1階が軽食喫茶室「大観」、2階が「大観特別展示室」となっており、当館所蔵の大観作品130点より常時20点前後の作品を展示している。

足立美術館は、肩肘張らなくても、気軽に日本画を観賞出来るのが良いし、何と言っても庭園のしっとりとした美しさやスケールの大きさが心に残る。

展望喫茶室で、コーヒーの香りに包まれながら、夕暮の枯山水庭を眺めていると、山陰旅行の何よりの想い出となることでしょう。

 
足立美術館の日本庭園
 
四季折々に来館者の眼と心を楽しませている足立美術館の日本庭園は、大きく「四つに分ける」ことができます。
 
枯山水庭
 
自然の山々と人工の庭園が、見事な調和美を醸し出す「枯山水庭」は、当館の最大の見所として来館の方々に大きな感動を与えています。

この庭園の中心は中央にある三つの岩で、真ん中の岩が滝を表し、水の広がりゆく様を表しています。

背景に広がりゆく借景は、戦国の昔に毛利と尼子が合戦を行なった時に、毛利が本陣を張った「勝山」を中心としており、幾重にも折り重なる山並みと、その間から湧き起こる雲煙が素晴らしい景色を作り出します。

展望ロビーから眺めますと、遠景の山並み、中景の森、そして近景の枯山水庭が折り重なって、奥行きの深い情趣溢れる一景を見せてくれます。

また目を少し右に向けると、亀鶴山から轟々と落ちる高さ15メートルの「亀鶴の滝」が庭園の風趣を一段と高めています。

この滝は開館8周年を記念して、昭和53年に開瀑をした人工の滝で、この水が山間を抜けて庭園内の「環翠庵」横の小滝に流れ込んでいるように見ていただけます。

また亀鶴山はもともと現在のようなハゲ山であり、庭園の南方、1号館ピロティの方から庭園を眺めますと、借景の印象が非常に強くなり、その力強さに負けないために、先ほど説明した三つの大岩が一つの大きな岩のように見えるように、うまく造園されています。

 
  
苔庭
 
京都の庭師故小島佐一翁の手による「苔庭」で、苔を主体とした京風の雅な庭園です。

この庭園に植えられている樹木はすべて斜めに立っていますが、これは小島翁の哲学によるもので、

それは、そもそも樹木というものは、山の斜面に生まれ育ってきたものであり、それを平坦地に持って来てまっすぐ植えると、その樹木にとっては大変苦痛なこととなり、

翁はそういう木々の、肩が重いとか腰が痛いといういう声を聞きながら造園したということです。

 
 
白砂青松庭
 
横山大観の名作「白砂青松」の持つ雰囲気を日本庭園で表現すべく、前理事長足立全康が心血を込めて作庭した「白砂青松庭」です。

大観の「白砂青松庭」は昭和30年の作品で、白砂の海辺に大小の松がリズミカルに配置された名作ですが、この庭園では滝川を海に見立て、うねりながら広がる白砂の上に植えられた松が印象深いことと思います。

 
 
池庭
 
昭和59年に完成した「横山大観特別展示館」の付属庭園で、この建物自体が池の中に立つ浮見堂のように設計されており、展示館1階の喫茶室「大観」から眺める群鯉が見事な庭園です。

池庭に建つ煎茶室「清風」を囲む紅葉は、まるで色彩のオーケストラです。

 
 
横山大観 特別展示室
 
当館の横山大観コレクションは130点にものぼり、質・量とも日本一を誇っています。

ここ横山大観特別展示室では、季節の移ろいや一定のテーマに合わせ、年4回展示替えを行い、収蔵品の中から常時20点前後を展示公開しております。

 
冬期特別展 足立全康の眼 平成20年12月1日〜平成21年2月28日
 
春季特別展 横山大観名品選 平成21年3月1日(日)〜 5月31日(日)
 
大観室では、質・量ともに充実した130点におよぶ大観コレクションの中から、選りすぐりの名品を順次公開しています。

当季は、春から夏の季節にふさわしい作品を中心に展示いたします。

 
夏季特別展 横山大観名品選 平成21年6月1日(月)〜 8月30日(日)
 
幅広い画題に挑んだ大観。なかでも、多くの優れた富士図を遺したことでも知られています。

当季では、富士を描いた「神州第一峰」や「蓬莱山」に加え、「霊峰四趣・夏」「海潮四題・冬」などの代表作を展示いたします。

 
秋季特別展 横山大観名品選 平成21年8月31日(月)〜 11月30日(月)… 編集中
 
大観芸術の中でも最も豪華絢爛といわれる「紅葉」は、年に一度この季節にだけ公開される名作です。

さらに、水墨画の名品「朝嶺・暮嶽」などの代表作とあわせてお楽しみください。

 
冬季特別展 横山大観の12ヶ月 平成21年12月1日(火)〜 平成22年2月28日(月)… 編集中
 
日本には美しい四季があります。そして月ごとにも、自然は趣を変え、さまざまな花や鳥たちが姿を見せて、われわれの眼を楽しませてくれます。

古くから日本画家は、そのような季節の変化を鋭敏に感じ取り、作品にしてきました。それは横山大観も例外ではありません。

大観は、富士山をはじめとする風景画のほか、その細やかな感性をうかがわせる花鳥画の名品も数多く描いています。

それらの中には必ずと言っていいほど、季節や月によって変容する自然現象、あるいは動植物などが描かれて、作品に豊かな風情を添えています。

本展では、大観の描く風景画や花鳥画の中から、12ヶ月のそれぞれにふさわしい作品を選び展示いたします。

大観は、「花や鳥など、そのものの形態が正しく写されていなくとも、画面には春の感じなり、涼味なり、哀愁なりを暗示するだけの雰囲気を持たなければならない」という言葉を遺しています。

そのような大観の情趣あふれる世界をご鑑賞ください。

 
 
大展示室
 
冬期特別展 足立全康の眼 平成20年12月1日〜平成21年2月28日
 
春季特別展 あなたが選ぶこの1点 平成21年3月1日(日)〜 5月31日(日)
 
美術館に展示してある作品の中から、どれか1点貰えるとしたら、あなたはどの作品を選びますか?

足立美術館の創設者・足立全康は、お客様に度々こう質問していました。

こう問われると、人は不思議と作品を真剣に見るようになり、何度も見くらべて、最後に自分だけの1点を選び出すようになるのです。

当館は、横山大観をはじめとする近代日本画の巨匠たちの作品を数多く所蔵しており、年4回の特別展で順次公開しています。

画壇を代表する画家たちの名品のなかには、きっとあなたのお好きな作品があるはず。はじめて見たけどなぜか気になる、あるいは以前から好きな作品など、あなたのお気に入りの1点を見つけてください。

本展は一昨年に開催し、好評をいただいた特別展の第2弾です。

大観、竹内栖鳳、川合玉堂、安田靫彦、川端龍子、伊東深水らの日本画の名品を展示するとともに、会場には投票箱を設置。

「あなたが選んだ“この1点”」に投票していただいた方の中から抽選でオリジナルグッズをプレゼントします。さあ、あなたならどの作品を選びますか?

 
夏季特別展 花図鑑「日本画に咲く花ばな」 平成21年6月1日(月)〜 8月30日(日)
 
豊かな自然と四季に恵まれた日本では、季節を通じて美しい花が咲き、私たちの眼を楽しませてくれます。

それらはただ美しいだけでなく、時には私たちを勇気づけ、慰め、生き方すら教えてくれるのです。

また、四季折々の花はそれぞれの時代に、日本の芸術文化の中に巧みに取り入れられており、華道をはじめ、俳句や和歌に登場する季語など、独自の文化を創りあげました。

日本画において花が描かれる場合には、季節を表すものとして単に姿や形を綺麗に表現するだけでなく、自然への愛情や崇敬の思い、さらには画家の心を映し出そうとする日本人独特の感性と深い精神性が感じられます。

私たちは日本画に描かれる魅力あふれる花の姿を通じて、日本の四季を感じ、日本の心を観ることができるのです。

本展では、このような四季の花ばなが描かれた日本画を展示いたします。展示室はまさに花図鑑。日本画に咲く花を通じて日本の四季の移ろいをお楽しみください。

 
秋季特別展 くらべてみよう「墨と色」 平成21年8月31日(月)〜 11月30日(月)
 
日本画には、墨を基調とした水墨画と、岩絵具などの顔料を用いた彩色画があります。

画面のほとんどを黒一色で描く水墨画では、墨独特のにじみやかすれ、絶妙な濃淡によってあらゆるものが表されます。

また、「墨に五彩あり」と言われるように、墨一色でありながらも巧みな表現や技法によって豊かな色彩を感じさせるものもあります。

一色だからこそ際立つ、深い精神性も水墨画の魅力といえるでしょう。

一方、彩色画では鉱物から得られる岩絵具や貝殻を砕いて作られる胡粉など、様々な色の顔料が使われます。

特に岩絵具の色彩は特有の落ち着きと深みを持ち、日本画ならではの繊細で穏やかな表現が生まれます。

金箔や金泥などを使用することでより豪華に、また様々な色を組み合わせることで、水墨画とは異なる装飾性あふれる優麗な画面が作り出されるのです。

本展では、近代日本画の巨匠たちが描く水墨画と彩色画を展示いたします。

よく似た題材の水墨画と彩色画を並べて展示することで、それぞれの特色がわかりやすくご覧いただけるはずです。

味わい深い墨の世界、鮮やかで豊かな色彩の世界、二つをくらべながらその魅力を感じ取ってください。

 
冬季特別展 長寿の芸術家たち 平成21年12月1日(火)〜 平成22年2月28日(月)
 
芸術家にはなぜ長命の人が多いのでしょう。

本展では、横山大観をはじめとする長寿に恵まれた芸術家たちが、60歳を超えてから制作した作品を展示。

作品をとおして長生きのヒントを探ります。

 
 
小展示室
冬期特別展 足立全康の眼「竹内栖鳳」平成20年12月1日〜平成21年2月28日
 
春季特別展 犬と猫「身近な動物を描く」 平成21年3月1日(日)〜 5月31日(日)
 
牛や馬、猿や狐など日本画には数多くの動物が登場します。

本展では、そのなかでも犬と猫を描いた作品を展示します。身近な動物にそそがれた画家の温かなまなざしをご覧ください。

 
夏季特別展 日本男児となでしこ美人 平成21年6月1日(月)〜 8月30日(日)
 
日本人らしさとはどういうものでしょう。

本展では、日本男性と日本女性が描かれた日本画を展示します。

日本男児となでしこ美人の姿を通じて、外見だけではなく、日本人の内面的な美しさをご覧ください。

 
秋季特別展 日本画家のことばと作品 平成21年8月31日(月)〜 11月30日(月)
 
画家はどんな思いを胸に制作しているのでしょうか。

本展では、近代日本画の名品を展示するとともにそれぞれの画家の残したことばを紹介いたします。

画家の考えを知ることで、作品がより一層味わい深いものになるはずです。

 
冬季特別展 榊原紫峰の世界 平成21年12月1日(火)〜 平成22年2月28日(月)
 
花鳥画の名手、榊原紫峰の名品の数々を展示いたします。

紫峰は花や鳥たちに限りない愛情を注ぎながら、生涯花鳥画を描き続けました。彼が追い求めた美の世界をご覧ください。

 
 
陶芸館 没後50年 北大路魯山人展
(1)平成21年3月20日(金)〜 6月19日(金)
 
(2)平成21年6月20日(土)〜 9月19日(土)
 
(3)平成21年9月20日(日)〜 12月19日(土)
 
(2)平成21年12月20日(日)〜 平成22年3月22日(月)
 
陶芸家としてだけではなく篆刻家、書家、料理家としても知られる北大路魯山人。本年度は魯山人の没後50年にあたり、これを記念して陶芸館全館を使用した特別展を開催いたします。1年間を4期にわけて開催し、毎期約100点の名品を一堂に公開。1年間で当館の魯山人コレクションのすべてがご覧いただけます。この機会に魯山人が追い求めた美の世界をご堪能ください。
※会期中は河井寛次郎の作品展示はございません。
 
館内のご案内
 
館内には「寿立庵」「寿楽庵」「環翠庵」「清風」と4つの茶室があり、そのうち「寿立奄」「寿楽庵」ではご希望によりお抹茶を召し上がれます。
 
寿立庵(じゅりゅうあん)
 
京都桂離宮の茶室「松琴亭」の面影を写して建てた本格的な茶室で、館名に因んだ庵号「寿立庵」は裏千家家元千宗室氏の命名によるものです。

この茶室の庭園も見事な杉苔を主体とし、館内にあってもひときわ静かな、いわば寂境を呈しています。

 
 
寿楽庵(じゅらくあん)
 
招福と延命に縁起がよいと言われる重さ3キログラムの純金の茶釜で沸かしたお湯を使って抹茶を出しています。
 
煎茶室「清風」
 
池庭に建つ煎茶室「清風」を囲む紅葉は、まるで色彩の音楽会です。
 
茶室「環翠庵」
 
茶室「環翠庵」横の何段もの小滝が、涼感を誘います。
 
生の絵・掛軸
 
足立美術館最大の見所の一つです。壁面の一部や床の間の壁をくり抜いて、その向こうの庭園が、あたかも一幅の絵のように工夫されています。
 
 
展望コーナー
 

館内のいたるところから様々な庭を楽しむことが出来、四季おりおりの変化に心奪われることと思います。

例えば2階展望コーナーからは、尼子が本陣を設けた「月山」を一望に見ることが出来、『我に七難八苦を与えたまえ』と祈った三笠山とともに、山中鹿介の悲話が髣髴として思い起こされることでしょう。

 
喫茶室「大観」
 
横山大観特別展示館の1階にあり、池庭を見ながらゆったりとおくつろぎいただけます。
 
 
喫茶室「翠(みどり)
 
枯山水庭の眺望が素晴しい喫茶室。

庭の背景をなす毛利・尼子の悲話を秘めた史跡・勝山の霧雲湧く稜線が印象的です。

 
 
 
庭づくりに忘我の境 … 足立全康(あだちぜんこう)
 
足立美術館には現在、日本、いや世界に誇れる財産がふたつある。

一つは近代日本画の巨匠・横山大観の一大コレクションであり、もう一つは広さが一万三千坪にもおよぶ純日本庭園である。

「名園と名画」をキャッチフレーズとしているゆえんである。

美術館を造ることを決意したとき、日本画の美に最も似つかわしいものとして、日本人の美意識と深いところで関わる日本庭園をイメージに描いた。

小学校六年のとき、近くの雲樹寺で見た庭園にいたく感動したことがあったが、その時の印象が心の片隅に生き続けていたのかもしれない。

雲樹寺は臨済宗の古剃であり、1322年に後醍醐天皇の師である覚明三光国師の創建になると伝えられる。

庭は刈込み式、枯山水の禅宗庭園で、春になると雲仙ツツジが境内一帯を埋め尽くすところからツツジ寺とも呼ばれ、地元の人たちに親しまれている。

庭づくりを思い立ったのも、こうした故郷の美しい風景があればこそと思うが、私の父がとにかく庭いじりが好きだったことが、あるいは直接の原因かもしれない。

何かにつけて意見が衝突した父と私であったが、年をとるにつれて血はいよいよ争えないものとみえる。

美術館の庭園は、大阪芸術大学の中根金作教授に設計いただいたもので、「築山林泉式庭園」「枯山水式庭園」から成っている。

だが、出来上がった現在の庭のたたずまいはむしろ、足立全康作といったほうがよいかもしれない。

昭和45年秋に開館して以来、毎年のように絶えずどこかをいじくりまわしてきたので、庭の風景はしょっちゅう変わり、設計時の面影はあまり残っていない。

昭和55年11月だったか、細川隆元氏と土屋清氏との「時事放談」が、当館の茶室『寿立庵』(桂離宮にある小堀遠州作『松琴亭』の面影を写した茶室)から生中継されたとき、

土屋氏から、「遠景、中景、近景の組み合わせが素晴らしい。西の修学院離宮と言ってもよいね」とお誉めの言葉をいただいた。

それを受けて、あまり誉めることのない細川氏も表情を和らげ、「美術館と庭がマッチしている」と庭のたたずまいに目を細められた。

私の場合、収蔵品を喜んでいただくのはもちろん嬉しいが、庭を誉められると殊のほか嬉しい。

というのも、庭の一木一草に至るまで、私の目と心がつぎ込まれているからである。

中根先生の設計図をもとに、石組みや木の配置、築山の起伏など一つひとつに注文を出し、私の思い描く庭園の姿に近づけた。

庭からほんのちょっと目を上げると、そこには戦国時代の昔、毛利、尼子の両雄が戦い、毛利氏が戦勝を記念して名付けたという勝山が連なっている。

その背後には、この地方で一番高い京羅木山(きょうらぎさん)がヌッと頂を突き出している。

四季の変化をいち早く知らせてくれる、見張りの山でもある。

また方角を転じると、飯梨川の西岸近くには月山が横たわっている。そうした借景を利用して、今までにないスケールの日本庭園を築きたいというのが私の青写真だった。

そのため、京都の二条城や住友家の別邸、橋本関雪の自沙村荘など、個性的な名園を何か所か見てまわった。この中では、特別に見せてもらった住友家の庭が素晴らしかった。

庭が良ければ、建物も一段と映える。何よりも、周辺の空気がビリッと引き締まって清々しい。

私の庭づくりに賭ける情熱は、名園に刺激されてますます昂じた。

やればやるほど面白くて奥が深く、そのことがなお、いっそう私の創作意欲をかき立てた。

開館した当初の庭は芝生を敷きつめただけだったが、昭和47年に本館とも呼ぶべき2号館の増築に着手する際、本格的な日本庭園を造ることを計画した。(中略)

昭和48年7月の完成を目指して、貴賓室を含めた2号館の増築および枯山水式庭園の造園工事が始まった。私は美術館に腰を据え、日夜、庭造りの陣頭指揮をとった。(中略)

美術館にはいま、約900本の松(赤松が800本、黒松が100本)があり、庭の景観を盛り上げているが、赤松はすべて能登の産である。(中略)

枯山水式庭園のもう一つの主役である奇岩巨岩は、中国山脈の山沿いの町・岡山県新見市を流れる小坂部川(おさかべがわ)から、持ち運んだものである。

中国山地は石の産地として有名なところだ。風雪をくぐり抜けてきた自然石の黒光りした肌合いは、これまた庭にはなくてはならぬ存在感、重量感を訴えている。

昭和48年7月、こうして600坪近い2号館とその付属庭園は、能登の赤松、新見の自然石を各所に配して完成した。

また、庭園の見どころの一つにもなっている『亀鶴(きかく)の滝』は昭和53年11月に開館八周年を記念して開瀑した。横山大観の「那智の滝」をイメージにしている。

その年のある五月晴れの朝、いつものようにロビーから庭を見まわしているときのこと、枯山水の借景として半島のように突き出た亀鶴山が目に留まった。その瞬間、山肌に滝の落下するシーンが浮かんだ。

緑したたる木々にまじって、水の動きがあれば一段と風景が締まってくる、と考えたのである。

池庭の平面的な水の落ち着きと、立体的で雄大な滝の動き。それはいかにも、名園の名にふさわしい。「那智の滝」は、日本人が誇る神々の宿る名瀑である。その恩恵に少しでもあやかりたいという気持ちも少なからずあった。

私は早速、亀鶴山の所有者に意を伝え、理解と協力を仰いだ。その結果、この地に突如として、滝の落ちはじける音がこだますることになったのである。

高さ15メートルの滝は、実物の那智の滝の迫力には遠く及ばないが、当美術館の庭の情趣には欠かせぬ点景と自負している。

枯山水式庭園と並んで、当美術館の誇るのが白砂青松庭である。

1号館の前に広がるこの庭は横山大観の名作『白砂青松庭』のもつ雰囲気を表現している。

今から十数年前にその絵を見たとき、これと同じような庭を造ってみようと思い立ち、心血を注いだ。

築山の傾斜や松の形に気を付け、さらに池の先に滝を配して、全体に流動感を持たせるようにした。

石は佐治石である。白砂の上に点在する大小の松の緑のコントラスト、それに池や雪見灯寵との配置の妙をご観賞いただきたい。

また池庭の動、苔庭の静も、是非じっくりと見てほしい。

苔庭は、第1回卓越技能賞を受賞した小島佐一氏の設計になるものだ。庭全体のことを考えて、メリハリがつくように配慮されている。

一つの敷地内にこれほど多様な庭の美を有しているところはないと自負している。

その頃の私は毎日、枯山水式庭園を一望する喫茶室『翠』に顔を出し、手前から三番目のテーブルに腰を下ろして、一木一草の大きさ、形を徹底的に頭のなかに刻み込んだ。

そして、絶えず理想のイメージを思い描きながら、庭に降り立った。

庭造りを始めてから、かれこれ二十有余年になるが、まだこれで満足だということはない。

というのも、庭は生きているからだ。

モミジの一葉、松の一枝の傾き、築山の芝生の伸び具合……と、背景の山々と溶けあって日々刻々表情を変える。

それが何ともいえず神秘的で、庭に寄せる私の情熱を煽って止まない。

現実に、庭のたたずまいは午前中に見たときと午後とでは全く違う。

もちろん四季によっても大きく変わる。

そういう意味では、一日として同じ表情を見せることがない。

それはどこか、花を活けるのと似ていて、高低、奥行き、強弱のバランスのうえに成り立っている。

そうした庭園実の陰の演出者、というよりもむしろ、名脇役を演じるのが美術館の背景の山々である。

季節によって春雨に霞み、秋色に燃え、雪景に沈黙する。

それはもはや、人為の遠く及ばない自然の偉大な力であり、ただただ黙して合掌するのみである。

美術館には現在、常時五人の庭師が待機している。簡単そうに見える水やりも、それぞれの樹木の状態や芝生の傾斜によって分量を変える。

松の整枝も年に3回行うが、900本の木一本ずつすべて手作業である。最初の頃は自分が一人ひとりに指示を与えていたが、いまではみんなちゃんと心得て、管理整備に当たっている。

一般の方たちに混じって、当館の噂をきき、日本造園協会の会員の人たちも毎年、四季に応じて見学に訪れてくる。となれば、当然こちらも気合が入る。

本当の素晴らしい庭は、人々の心を癒してくれる。

めまぐるしい現代社会に生きるわれわれだからこそ、都塵を離れ、心を浄め、清涼のひとときを持つ必要がある。とりわけ、日本庭園は憩いの場、心のオアシスとして日本人の感性に極めて近しいものがあると思う。

また、精神を統一し、英気を養うには格好の空間といえよう。(中略) 

私ごとで言うと、素晴らしい美術品と庭園に囲まれ、日々、心の安らぎを得ていることが、あるいは健康の秘訣になっているかもしれない。

「自然」と「人工」 の調和の美、私は日本庭園こそ『一幅の絵画』という理念に立って、いまも作庭に心を砕いている。

…庭園日本一「足立美術館をつくった男 」より    

感動する心 … 足立全康を語る(今井 淳)
 
日本庭園と日本画の調和美
 

「なぜ足立美術館にこれほど多くの横山大観の作品があるのでしょうか」とは、当館を訪れる様々な人々の第一の疑問であり、一番多く質問を受けることでもある。

確かに茨城に生まれて、東京を主たる根拠地とし、その活動の場も東京であった横山大観の作品が、中国山地の山向こう、どじょうすくいの踊りで知られる「安来」の片隅にまとまって所蔵されているとは、にわかに信じ難いことであろう。

また一方、来館者の大半は、当館の一万二千坪におよぶ庭園の四季おりおりの風情に、半ば度肝を抜かれ、かつ何故このような田舎にこれほどの庭園がと、これまた半信半疑のような顔をされていることが多い。

「庭園と横山大観コレクション」すなわち日本庭園と日本画の調和は、当館創設以来の根本方針であるが、これは理事長足立仝康の深謀遠慮とも言うべき、深い考えがあってのことであるが、それを語る前に、氏の経歴と館の歴史に触れねばならない。

足立全康氏は明治32年2月に、能義郡飯梨村字古川(現安来市古川町。美術館所在地)に生まれた。

生家は百姓であったが、なにぶんにも農業だけでは生計が成り立たず、全康少年は小学校を卒業後すぐに木炭の運搬に従事する。美術館より3キロメートルほど奥に、広瀬という町があるが、当時その広瀬町にあった木炭問屋から約15キロメートル離れた安来、荒島の町まで運搬してその運賃を得、そのうちに一俵余分に買って道中売り歩いたのが、いわば商売の一番はじめといえる。

その後、戦前戦後と幾度か大阪へ出て、繊維問屋、不動産関係など様々な事業を興し、そのかたわら、幼少の頃より興味を持っていた日本画を収集して、昭和45年に財団法人足立美術館を創設する。

設立当初より横山大観の作品は数多く所蔵しており、一時は150点を収蔵するまでになっていたが、設立後3年ほど経った頃に、洋画に興味をもって収集をはじめたところ、例の大暴落の時期にあたり、15億近くの欠損を出して、その穴埋めに約半分の大観作品を手放さざるを得なかったようだ。

そして昭和54年に幻の『紅葉』犀風を初めとする旧北沢コレクションが館蔵品に加わってからは、当館も「大観美術館」と称されるようになり、それにつれて、院展出品作を中心とする名作がつぎつぎと持ちこまれ、現在の130点にまでいたったわけである。

もちろん大観のみならず、竹内栖鳳、川合玉堂、榊原紫峰、上村松園等、近代日本画壇を創りあげてきた巨匠たちの作品をも充実し、一方、地元安来市出身の河井寛次郎や奇オ北大路魯山人の陶芸作品も、それぞれ100点あまりを有し、開館16年(昭和61年時点)と歴史の浅い館でありながら、いまや近代日本画を語る時には、必須不可欠な美術館にまでなっている。

 
大観作品との出会い
 
さて、足立全康氏と大観の作品との出会いは実に古く、戦後まもない頃の大阪にふたたび話を戻さねばならない。

終戦間もない昭和21年の1月半ばに大阪に出た足立全康氏は、おりから不足していた衣料繊維の販売を手掛け、終日焼跡の中を自転車で走り廻っていたが、当時南区八幡筋に庇のかたむいたようなバラック建ての骨董商があり、その店先に大観の2尺5寸の『蓬莱山』と、橋本関雪の『富士』が共に8万円で売られていたそうである。

関雪の『富士』もいいが、大観の『蓬莱山』は、日の出を題材にした力強い作品で、なにぶんにも当時、大阪船場の土地が坪3000円という時だから、8万円というと26.7坪は買えるほどの大金。とても買えようはずもなく、行商の行き帰りに道端に座りこんでは眺め、諦めざるを得なかったと、今しみじみと述懐している。

戦後混乱期の辛苦の末、昭和24年には繊維の会社を設立して代表取締役に就任し、社業も順調満帆に発展してゆく。そして2年あまり後の26年頃に、ついに念願の大観の作品を初めて入手する。

それは幅2尺あまりの『杜鵑』で、湖水の上をすーと杜鵑が飛んでいる気品のある作品で、後に事情がかって手放してしまったが、実際に大観の作品に直に触れてみると、その気迫、筆勢、構図のすべてに独創の感があり、その後新しい作品出会うたびに、その作域の広さ、奥深さに傾倒せざるを得なかったようだ。

また一方、昭和30年代のはじめに、京都の生んだ孤高の画家、榊原紫峰の作品に触れ、花鳥画を描かせては、これほど上手い画家が他にいるだろうかと、心底よりこの画家に魅かれ、当時まだ相場が低かったこともあって、国展出品の大作から扇面の小品にいたるまで、100点あまりを収集し、これもまた日本一のコレクションとなっている。

 
郷土への恩返し
 

昭和27年に、かねてより考えていた不動産の会社をつくり、昭和30年代半ばからの高度成長期に乗って、社業ははますます隆盛を極め、それに従って美術品のコレクションも増え、昭和45年には郷土への恩返ししと島根県の文化発展の一助にでもなればという想いで、財団法人足立美術館を設立したことは先に述べた通りである。

財団設立後も積極的に日本画の収集を行っていたが、昭和52年頃に名古屋の展覧会に『紅葉』という極彩色の屏風が出品され、さっそく見に駆けつけたところ、ただ「うむ」と唸ったきり言葉も出ないほど圧倒されてしまった。

かなりの数の大観を見て来たつもりだったが、まだこれほどの屏風が存在していたとは、やはり大観という人間のスケールの大きさに驚かされざるを得なかったが、ようやっとして我に返ると、今度はこの犀風を何が何でも手に入れるのだとばかり、八方手を尽くして調べたところ、北沢コレクションのもので、当時不幸にして倒産していた東洋バルブの管財人の、ある商社が持っているという事だった。

それで何とかならんかと思って、その商社に話に行ったところ、「いや、まだ他にもたくさんありますよ。大観をお買いになりませんか」とのこと。『紅葉』1点ですら精一杯だと思って交渉に行ったものだから、他のものはまったく無理だと思いながらも写真を見たところ、どれもが展覧会の出品作で、垂涎ものの作品ばかり。

とくに驚いたのは、山海二十題のうちの『雨霽る』と『夏』が含まれていたことだった。

というのは、この山海二十題は、大観が昭和15年に紀元2600年と、画業50年を記念して、富士山と海とをテーマに二十幅を描き、1点25000円で売却したその売上50万円で陸海軍省に飛行機4機を寄贈したという、代表作中の代表作であり、大観の相場が2000円位の時に、このシリーズは一幅25000円という破格の価格で、しかもそれが完売されたものだから、世にちょっとした話題を投げかけたものだった。

氏はこの作品の、せめて写真でも見たいと思って、画集を手に入れたところ『雨霽る』という水墨画の傑作が目に止まり、当時25000円などというものは、金があまってしようがない人しか買えないから、とっても手も足もでず、画集の写真を切りとって、粗末な木製の額に入れ、それを十何年という長い間自分の部屋に掛けていたのだが、その夢のまた夢の絵が、今現実に目の前に存在するという「縁」の不思議さに何ともいえぬ感動を受け、しばし呆然としていたところ、一緒に行った女社長でもある館の運営委員長が「それじやあ値段があえば買いましょう」と決断するのを見るに及んで腹を括ったという。

幻の大観名画を入手もともと北沢コレクションというのは、作品は門外不出で、写真もめったに撮らせず、幻の名画と
言われていた
位だから、この話を決めるまでに、その後一年半も通い続け、大体向こうの言い値で話がまとまりかけたところ、先方が『雨霽る』『夏』を外してくれと言ったらしい。それで仝康氏もこれは黙っちゃおれんと思ったのか、「一目惚れの女に一年あまり通い続けて、枕金も決め、さあ床入りというときに、枕をかかえて逃げられるようなもんだ。そりゃあんまりじゃあないですか」と管財委員会のお歴々の前で一席ぶち、最後は泣き落とすようにして当館に決めてもらったという。

この北沢コレクションの10数点は、いま館蔵品の中でも中核をしめるが、足立美術館が8億円で北沢家のものを購入したということは、美術界に様々な話題をまき、その後も『朝嶺』『暮嶽』といった旧北沢家所蔵のものや、山海二十題のうちの『冬』『曙色』といった逸品を入手している。

 
自然美から名画を理解する
 
さていささか話が横道にそれたようだが、つまりこのようにして苦労に苦労を重ねて蒐集した作品はすべて日本庭園に囲まれた足立美術館に展示されるわけだが、

それは、大体にして一般の人々に日本画と言うと、難しいもの、どのように観賞して良いのか分からないという声が多く、それではまず日本人なら誰でも分かるであろう日本庭園を造って、その四季の美に触れてもらい、その美の感動をもって横山大観という、これまた日本人なら大体誰でも知っているであろう画家の作品に接してもらえば、日本画もより分かり易いのではなかろうかという、理事長の根本的な考えからである。

確かに大観という画家は近代日本画壇そのものとも言える画家だけに、実に作域が広い。

一般には大観といえば富士山に日の丸か桜というイメージが強いが、明治期の朦朧体と称される、それまでの日本画にない新技法の時代から大正期の優麗な色彩と水墨の融合した気韻高い作品、そして再興院展を舞台とした名品の数々は色彩、水墨を問わず、風景、花鳥、人物と実に多岐にわたり、繊細な花鳥画などはよく、これが大観ですか、と驚く人も多い。

そして、まず大観を知って貰えば、後はその人の趣味嗜好によって、村上華岳富岡鉄斎といった、多少とっつきにくい画家にまでも興味を持たれるかも知れないし、ひいては日本画の美、すなわち「美の感動」に接していただけるので
はなかろうか、という深い読みがあるのである。

と、ここまでは理事長自身が語っていることだが、今一歩揣摩臆測して言えば、つまるところ、横山大観画伯と足立仝康氏は、その性の基本的なところで一種共通しているのではないかと思える。

さればこそ氏があれほど強く大観に魅かれ、また共鳴する所が多いのではなかろうか。

天心の指導のもと、それまでの日本画にはない新しい日本画を生み出すまでの障害の多さ、大きさと、それを乗り越えた信念。明治の終わりから大正初期にかけての数年のうちに次々と肉親、朋友、師を亡くしながらも、烈々たるき気魄をもって院展を再興し、櫛比する名作を生みだし続けた大観と、15、6歳の頃から、山陰の雪の中を素足に草軽がけで大八車を引き、全くの裸一貫から、日本一の大観コレクションを有するまでになった足立全康氏は、共に辛酸をなめ尽くしたというだけでは無く、その発想の非凡さ、着想の素晴らしさ、旺盛なる行動力において相通ずるところが多く感じられる。

例えば大観が空刷毛といったような新手法を編み出して、日本画壇に革命を起こしたことと、美術館のことは全く素人であると言いながら、年間40万人という、国内2400館のミュージアムの中でもトップクラスの来館者を迎えるようにした氏の発想の間には、因盾固陋な旧弊に縛られない自由な思考の一致が見られるし、大観の作域の広さと氏の汲めども尽きぬ様々な着想の多様さには、その視点の広がりを見てとることができる。

また豪壮一途なようでありながら、出入りの若い表具師を、いかに酔っていようとも玄関まで送る大観の律儀さと、超ワンマンのようでいて、氏の孫のような我々にまで、君はどう思うかと意見を求められる謙虚さ。また多忙の中、地方新聞のわずか数行の取材に対してさえ、前日から話すべきことをメモし、軽口を混ぜながら上手く対応して、その後で疲れてしまうといった一途さは、やはり似ているように思える。

 
美への感動が行動の基準
 
学芸主任という館内部の人間である私がこのように語ることは、いわば内輪褒めになるのかもしれないが、

過ぐる年に、さる宮様がご来館になり、煙草を喫われる時に、震える手で火を点けて差し上げ、そのマッチの燃えさしを家宝にします、と涙ぐみながら話していた氏の感動の大きさは、米寿を越えながら今なお胸の奥深くに、青年の志を抱いていることの証左に他ならないし、

何年も前に入手し損なったある絵画について、「いやまったく名作との出会いは人と同じで、縁だね。絵を蒐めるのは金じゃない、値段じゃない。いいものが出たら目をつむって掴んでしまえということだ。まったくあの絵は惜しいことをした。

いまだに夜中にバッと眼が覚めては想い出し、眠れん時があるよ」と、口角泡をとばして語る氏の姿に接していると、要するに理事長が出会った絵画といわず、庭園といわず、人といわず「美なるものの感動」を何とかして人に伝えたいという心が、そのすべての行動の基準となっているのだろう。

 
…足立美術館編集「足立美術館」より  
 
祖父になりかわって … 足立隆則(足立美術館理事長)
 
足立全康は、平成2年12月19日に永眠いたしました。

享年92歳でした。亡くなる寸前まで、「夢とロマン」をいだき続け、新たな展示館の開設や国際会議場の誘致に夢を馳せておりました。

また素晴らしい美術品や人との出会いを求めて、まるで倦むところがありませんでした。その尽きせぬバイタリティーにはただただ圧倒されるばかり。まったく根っからの夢追い人であったと波潤の生涯がうらやましくも懐かしく偲ばれます。

このごろ、私は本書をひもといては、生前の祖父の言動を思い出すことがしばしばです。そのたびに美術館の運営に携わる者のひとりとして、社会的責任の重大さを痛感せずにはいられません。あらためて祖父の存在がいかに大きかったか、身の引き締まる思いがいたします。私にとって本書はいまや、祖父のよすがを偲ぶ形見というよりも、なくてはならぬ座右の書となっています。

思えば祖父の一生は、「足立美術館の創設」という、その一言に凝縮されていたような気がいたします。

もとより、いつの時代にあっても体当たりで物事に処してきた人でしたが、後年、生地のここ安来市古川町に美術館を建てたいと決意してから、それまでの人生に対する取り組み方が少しずつ変わっていったように思います。

つまり、人間としての度量が広くなり、それにともなって一段と人情の機微に通じるようになったと思います。

日々、優れた美術品と接するうちに、心がなごんで気持ちが静まり、報恩の思いが深まってきたのでしょうか。人との出会いや心のふれあいについて、以前にも増して大切に考え始めるようになりました。

とりわけ、社会への還元をはかりたいと、地元の人たちの雇用促進や社会福祉事業などに理解を示し、物心両面にわたって支援の手を差し伸べてきました。おそらく文化というものが取り持つ絆の強さを、全身で感得したにちがいありません。

「人からほめられるほどに、もっともっと喜んでもらえるような、第一級の国際的な美術館にしたい」それが祖父の口癖であり、悲願でした。そのためには常日頃から頭のトレーニングを怠ってはならないと、周辺のわれわれにどれほど熱っぼく語ってきかせたことか。そのときの真剣なまなざしを私はかたときも忘れることができません。

それは創立者としての個人的な思い込みをはるかに超えて、実に憑かれた人間の執念とでも言うべきものでした。これはと決めたら、テコでも動かない一徹さを秘めておりました。まさにイノシシ武者の、気骨の人間でした。横山大観に魅せられ、大観美術館と異名をとるまでの一大コレクションを築き上げたのも執念以外のなにものでもありません。

祖父が亡くなってから、大観作品の中でもとりわけ評価の高い『海山十題』(全二十点)のうち、『乾坤(けんこん)輝く』『霊峰四趣・夏』に続いて、平成15年春、幻の名画とされていた『龍躍る』『海潮四題・秋』の二点が六十余年ぶりに見つかり、紆余曲折を経たのち、新たに当館に輿入れしました。この作品の購入をめぐつては、ほんとうに奇跡としかいいようのない、不思議なめぐり合わせがありました。

というのも、『龍躍る』発見のニュースは新聞紙上に大きく取り上げられ、それから間もなくオークションにかけられました。「大観美術館」を自負する当館としては、何としても落札したかったのですが、金銭面でまったく太刀打ちできず、悔し涙を流した屈辱的な経緯があったからすっかり諦めていたところ、その『龍躍る』のみならず、もう一点、やはり行方がしれなかった『海潮四題・秋』の二点を一括購入しないか、との思いもかけない話が寄られたのですから、正直、私はわが耳を疑いました。

仲立ちをした業者の方の説明によれば、二つの作品を所有されていたコレクターの方が、足立美術館の基本理念に深い理解を示され、当館こそが大観作品の落ち着き先として最もふさわしいと英断された由、この話を伝え聞いたときは鳥肌が立つような感動を覚えました。

祖父は生前、折りにふれて、「『海山』が出たら目をつぶって買え」と話していましたから、幻の二作品をそろって所蔵できたことはこの上ないよろこびでした。そこであらためて思ったのが、「大観は一生の恋人」と公言してはばからなかった祖父の熱き一念が、今回の話を招き寄せ、結実させたにちがいないということです。

実際、金銭面だけの話でしたら、当館よりも条件のいい提示をしたところが他にもあったからです。そうした条件をもはねのける、美術館としての信望と大観との強い粋がなければ、到底まとまる話ではなかったのです。

これで当館にはあわせて八点の『海山十題』作品がそろったことになり、足立美術館の大観コレクションがいちだんと重みを増すことになったと自負しています。

この幻の二作品が発見されたのを記念して、「横山大観『海山十題』展」が東京芸術大学大学美術館(平成16年7月27日〜8月29日)と、足立美術館(平成16年9月3日〜9月26日)の二会場で開催されました。

今後、このような歴史的な展覧会は二度と開かれないかもしれず、それだけに当館の「大展示室」に全二十点が一堂に会したことは、まさに夢のような出来事であり、祖父も感無量の涙を流したにちがいありません。

 
庭園日本一の称号 … 米国の庭園専門誌が選定
 
『海山十題』の二作品を購入してから間もなく、もうひとつ、びっくりするような朗報が飛び込んできました。

アメリカの日本庭園専門誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング(JOJG)』(日本庭園の情報を世界に紹介する隔月刊誌。英語圏を中心に37カ国で発行)が初めて日本の庭園ランキングを発表、当館の庭を日本一に選定したのです。

 
これは日本、アメリカ、オーストラリアの庭園専門家のうち、

過去10年に50箇所以上の日本庭園を訪れた審査員が、全国389箇所の庭園のなかから、

庭そのものの質の高さや建物との調和、利用者への対応など、

維持管理から職員一人ひとりのもてなしにいたるまで、あらゆる角度から総合評価した結果、

足立美術館の庭園を日本一に選んだというわけです。

 
ちなみに二位はあの桂離宮でした。
 
今回の日本庭園番付は、「日本庭園イコール京都」「名所史跡」といった既成観念にとらわれず、

真にすぐれた日本庭園を客観的に評価しょう、と世界で初めて企画されました。

日本人だけが投票したのではないところに、逆に大きな意味があると思います。

審査員の何人かは、「細部にまで維持管理がされ、造園の大傑作だ」と最大級の賛辞を惜しみませんでした。

 
もし祖父がこの話を聞いたらどんなによろこんだことか。私は感慨に胸を熱くしながら、気宇壮大な夢を追い続け、亡くなってからも一つずつ夢を叶えていく、祖父の遺志の迫力に身震いする思いでした。

足立美術館の日本庭園が、桂離宮や二条城、詩仙堂、金閣寺といった、京都の有名寺社を抑えて第一位に選ばれたというニュースは、全国紙に報じられ大きな反響を呼びました。

美術館のホームページへのアクセスが目に見えて多くなり、雑誌などに紹介される機会もふえました。

祖父がいったいどういう人物で、どうやってそれほどの美術館、日本庭園をつくったのか、ということに大方の興味関心があるようです。

本書を読んでいただいておわかりのように、祖父は美術学校を出たわけでもなければ、庭づくりについて修業を積んだわけでもありません。言うなれば、一介のシロウトに過ぎません。

そんな祖父が今日のような美術館、庭園をつくることができたのは、奇跡としかいいようがありません、何ごとも思いこんだら命がけという激しい気性は、誰も真似することができない、神がかり的な喚覚、直感力を秘めていました。

 
いわば美の本質を見抜く、偉大なるシロウトだったゆえに実現できたのだと思います。
 
誰でも親しめる安らぎとくつろぎの美術館
 
庭もまた「一幅の絵画である」との強い信念から、祖父は世界に誇れる日本庭園をつくりたいと精魂を傾けてきました。

「日本画」と「日本庭園」による「日本美術の殿堂」をつくることが、終生の夢でもあったのです。

それだけにこのたび、当館の庭が「日本一」に選ばれたとの知らせは、庭づくりに人生の集大成をはかろうとした祖父にしてみれば、まさに本懐を遂げた思いだったでしょう。

足立美術館の庭は現在、来館者を招じ入れる迎賓の庭、雅やかな情趣がただよう苔庭、自然と人工美が織りなす枯山水庭、築山と泉水を配した池庭、横山大観の作品をイメージした白砂青松庭、桂離宮の松琴亭を模した茶室「寿立庵」の庭……などから構成されています。

一つの敷地内にこれほど多彩、かつ変化に富んだ日本庭園を有している美術館は、世界でも類例がないのではないでしょうか。
 
これらの庭園は祖父が朝な夕な手塩にかけた、いわば情熱と執念の結晶であるといっても過言ではありません。

一木一草から白砂の一粒にいたるまで、祖父の熱い息吹がそそがれています。

この貴重な財産を守るため、庭師さんはもとより、職員も毎朝、落ち葉拾いや庭の掃き掃除をおこなっています。

足立美術館は年中無休のため、毎日来館者があります。いつどなたが御こしになってもいいように、庭の手入れには万全を期しています。

日本画から目を転じたとき、余韻を損なうような景色が飛び込んできては興ざめです。芸術鑑賞と自然観照が同時に満喫できる「美の理想郷」として、日本人なら誰でも楽しめる心のオアシス、それが基本的なコンセプトになっています。

 
かしこまった美術論、理屈はいっさいありません。

館内に一歩足を踏み入れただけで、たちまち世俗の塵填から解放され、

安らぎの空間に心が洗われる、それが足立美術館なのです。

 
平成16年の1月9日、庭園の一角に建っている祖父の銅像のすぐ脇に、「庭園日本一」の記念碑が建立されました。

祖父が指さす先には池庭、枯山水庭があり、その向こうには穏やかな山並みが借景として広がっています。

日々刻々、表情を変えていく庭の風情を楽しみながら、祖父はあの世でもきっと自慢の笑顔を大盤振る舞いしていることでしょう。

JOJGによる日本庭園のランキング発表は毎年続けられ、ことしで5年目となります。

対象となる庭園の数も第1回は389だったのが、第2回は631にふえ、3回目は693、4回目は731というように、年々、その規模は大きくなっています。

嬉しいことに、足立美術館は第1回から四年連続して「庭園日本一」に選出され、お陰様で知名度は飛躍的に向上し、海外からのお客様も目に見えてふえてきました。

それとともに、庭園をあずかる私たちの責任もいちだんと大きくなり、ただ手放しで喜んでばかりもおられません。

今まで以上にメンテナンスに気を配り、栄誉に恥じない日本庭園の美しさ、素晴らしさを追い求めていきたいと考えています。

 
祖父の遺志を忠実に受け継ぐ
 
足立美術館の基本理念は、創立者である足立全康の遺志をどこまでも尊重し、継承することにあります。

現代日本画館にしても、童画館にしても、祖父の遺志が強く反映されています。祖父の撒いた種子を上手に育て、開花させ、それを広く一般の方々にご覧いただくことで、美術館としての主体性をあきらかにしたいというのが、私達の基本的な考え方になっています。

祖父が逝ってから、早いもので17年になります。この間、アッという間に月日が流れていったような気がします。

しかし、私の中では祖父はいまも生きており、その存在はますます強いものになっています。美術館理事長という重職を仰せつかり、祖父が希求してやまなかった「世界の美術館」になるため、いま何が必要なのか、何をすべきなのか、自問自答する毎日です。

最近、私が思うことは「美術館は生きている」ということです。

話がちょっと抽象的に聞こえるかもしれませんが、日本庭園が日々刻々、さまざまな表情を見せるように、展示してある作品もこちらの精神状態、生活環境の変化などにより、いろんな表情をみせるものだということが、実感としてわかるようになってきました。

つまり、庭にしても美術品にしても、ほんとうにすぐれたものはこの世に人間が存在する限り、時空を超えて生きる強い生命力を宿しているということが、おぼろげながら理解できるようになったのです。

「近代日本画」と「日本庭園」を二枚看板とした祖父の遺志を忠実に受け継ぎ、そのすばらしさを世界に向けて発信することこそ、私に課せられた使命だと考えています。

デジタル化が加速し、ますます多様化する現代にあって、もどかしく見えながらもじつは、人間の根源的なところで結
びついている手づくりの美、芸術作品の重みを恒久保存していくことに、生きる意味と価値を見出したいと考えています。

 
…庭園日本一「足立美術館をつくった男」より  
 
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