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出雲市観光 ─日御碕─

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【日御碕】
 
島根半島の最西端、稲佐の浜から北の日御碕へつづく海岸。

海岸線は、日本海の海食を受けてできた奇岩・絶壁・岩礁がつづく変化に富む海岸で、遠くには山陰の名峰三瓶山が望まれる。

海岸の北西端、海上にのぴた海抜25mの岩盤上に建つ高さ38.8mの日御碕燈台は、石造燈台としては東洋一の規模といい、塔上からの46万3000燭光の光は、夜間40kmの海上にまで達する。

燈台近くには遊歩道が設けられ、散策しながらの日本海の眺望は見事である。

燈台の下に経島(ふみしま)がある。

経島は、日御碕神社西側の海岸にある面積200平方メートルほどの岩礁で、柱状節理の石英角斑岩からなり、経巻を重ねたようにみえるところから経島の名がある。

この経島は、日本海岸西部における代表的なウミネコの繁殖地として、国の天然記念物に指定されている。

ウミネコは、2月ころ飛来して4月ごろ産卵しヒナを育て、7月ころ四国・九州や華南方面へ姿を消す。

ウミネコは魚群の接近を知らせる瑞烏として漁師から珍重される渡り鳥で、鳴き声が猫に似ているところからこの名がある。

この島は、日御碕神社下の宮が、天暦2年(948)現在地に移るまで鎮座した地で、以来神社境内として、8月7日の神幸祭に宮司が渡る以外は渡島を禁止されている。

 
…人文社「郷土資料事典=島根県・観光と旅」より
 
 
【大社温泉】 二俣の湯(活魚料理 銀 海)
 
出雲大社参拝の折は美味しい活魚料理を食べながら、温泉でごゆっくりと疲れを取ってください。
 
泉質はナトリウム-塩化物泉(低張性アルカリ低温泉)で、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え症、病後回復期、疲労回復、健康増進、きりきず、やけど、慢性皮膚病、虚弱児童、慢性婦人病に効能があると言われています。
 
【筆投島(ふでなげじま)】
 
ひろげの浜を過ぎ、幕鳥海水浴場の手前に岩肌と松の緑が美しい小島が見えます。

平安時代の画聖巨勢金岡(こせのかなおか)が、この島を措こうとしましたが、

朝夕に色彩が変わる妙姿をついに写すことができず、筆を投げてしまいました。

以来、この島を筆投島というようになりました。

…物語(ものがた)ろう「出雲国大社」より
 
 
【礫岩(つぶていわ)】
 
古事記・日本書紀の「国譲り神話」では、国譲りの使者武嚢槌神(たけみかづちのかみ)と大国主神の子建御名方神(たけみなかたのかみ)が力比べをされ、

建御名方神が負けて国譲りが進んだと記されています。

大社湾の中間に丸い大きな岩を積み重ねたような島がみえますが、

これが二神の力比べの際、稲佐浜から海に向かって岩を投げ合ってできたものだといわれ、「つぶて岩」と呼ばれています。

そういいますと、この辺りの海岸部は昔隆起してできたものですが、この島(つぶて岩)だけが丸みを帯びた特異な形をしています。

 
…物語(ものがた)ろう「出雲国大社」より
 
 
【日御碕神社】
 
花崗岩で出来た鳥居をくぐると宋塗りの楼門がみえます。

楼門を抜けると正面の「下の宮」と、右手の石段上に「上の宮」があります。

正面の「下の宮」は天照大御神を祀り、今から約1000年前(天暦2年、948年)にウミネコの繁殖地として有名な経島(ふみしま)から遷されました。

このお宮は「日抗宮(ひしずみのみや)」(社伝によると、須佐之男命の御子、天葺根命(あめのふきねのみこと)が御崎の浜(清江の浜)に出かけたとき、

経島の百枝(ももえ)の松に瑞光が輝いて天照大神の神託があったので、この島に大神を奉斎した。

開化天皇2年、島の上に神殿を築き、これが『出雲国風土記(いずものくにふどき)』に載る「百枝槐社(ももええにす)」であるといわれてる)ともいわれ、

西の海に太陽が沈むところだと言われています。

ちょうど夏至の日、この日御碕神社と出雲大社、木次町の「日登地区」、そして和歌山県の日ノ御崎を結んだ直線上を太陽が昇り沈んで行くそうです。

「上の宮」は「神の宮」ともいわれ素盞鳴尊を祀り、背後の隠ケ丘(かくれがおか)から遷されたものです(安寧天皇の13年)。

歴史をたどると、『出雲国風土記(奈良時代)』に「美佐伎社(みさきしゃ)」、『延喜式(平安時代)』に「御崎社」と記されている古社です。

日御碕神社は、平安時代末期には平田市の鰐淵寺とともに山岳霊場として全国に知られていたらしく、『梁塵秘抄(りょうじひしょう)(後白河上皇撰、鎌倉時代)』には、

聖(ひじり)の住所(すみか)は何処(どこ)何処(どこ)ぞ 

   箕面(みのお)よ勝尾(かつお)よ

      播磨(はりま)なる書写山(しゃきょうざん) 

         出雲の鰐淵(わにぶち)や日の御崎

            南は熊野(くまの)の那智(なち)とかや

と記され、平安時代末に都で流行した歌謡にも歌われていました。

そして、室町時代には、当時の室町幕府(将軍足利義澄)から「日御碕造営勧進簿」をもらったことが史料にのっています。

そして、この年代に活発化した「廻国聖」によって全国にその名を知られるようになりました。

──中世日御碕社の祭神は十羅刹女(じゅうらせつにょ)(スサノオノミコトの末娘と考えられていた)で、廻国聖の信仰対象となった。

廻国聖が法華経埋納の場所を奉納山としたのは、出雲大社と日御碕の両方が見とおせる地であったため、出雲大社と日御碕を参詣してはじめて意味をもつものと考えられていた。

また、戦国時代の大名、尼子氏が日御碕神社を尼子氏領国の守護神に指定したことにより、戦国期には日御碕神社は出雲大社と肩を並べる神社になっています。

現在、両方の社殿(権現造=本殿が弊殿を通して拝殿へ続く建築様式)を中心とする建築群は国の重要文化財に指定されており、桃山時代の建築様式を残しています。

徳川家光の命により寛永11年(1634年)に着手し、寛永21年(1644年)に完成しました。

本殿蛙股(かえるまた)(上を支えるための蛙の股のような建築部材)を中心とする彫刻は、

竜虎をはじめ鶴亀や松竹梅、そして日光東照宮のように「見ざる、言わざる、聞かざる」の猿をかたどった見事な彫刻が施されています。

これら社殿の造営資金は、幕府から1200貰文(現在の金額で30〜40億円)が寄付されています。                    

また、日御碕神社の宝物の中には、「白糸威鎧兜(しろいとおどしよろいかぶと)・大袖付(おおそでつき)」(平安時代になって完成された日本独自の甲胃。源頼朝が神馬一頭とともに寄進したと伝えられるが、

形状から南北朝時代の製作と推定。

現在東京国立博物館に収蔵)があり、国宝に指定されています。

 
…物語(ものがた)ろう「出雲国大社」より
 
[問]日御碕神社社務所(0853-54−5261)[アクセス]一畑バス大社連絡所からバス22分、日御碕下車[場所]島根県出雲市大社町日御碕455
 
【日御碕神社の「千木・鰹木」について…… ? 】
 
屋根の上にあるのが鰹木、両端で交叉しているのが千木。

千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)は、今日では神社建築にのみ見られる、建造物の屋根に設けられた部材である。

千木は屋根の両端で交叉させた木であり、鰹木は屋根の上に棟に直角になるように何本か平行して並べた木である。

どちらも元々は上流階級の邸宅にも用いられていたが、今日では神社にのみ用いられ、神社建築の象徴のようになっている。

千木は古代、屋根を作るときに木材2本を交叉させて結びつけ、先端を切り揃えずにそのままにした名残りと見られる。

千木・鰹木ともに元々は建物の補強のためのものであったと考えられている。

鰹木は、形が鰹節に似ていることが名前の由来であると云われる。

鰹木は「堅緒木」「堅魚木」「勝男木」「葛尾木」などとも書く。

出雲大社を始めとして出雲諸社は、祭神が男神の社は千木を外削ぎ(先端を地面に対して垂直に削る)に、女神の社は内削ぎ(水平に削る)にしており、他の神社でもこれに倣っているものが多い。

また鰹木の数は、奇数は陽数・偶数は陰数とされ、それぞれ男神・女神の社に見られる。

ただし、伊勢神宮の場合、内宮の祭神天照坐皇大御神、外宮の祭神豊受大御神とともに主祭神が女神であるのにもかかわらず、内宮では千木・鰹木が内削ぎ・10本、外宮は外削ぎ・9本である。

同様に、別宮では、例えば、内宮別宮の月讀宮、外宮別宮の月夜見宮は主祭神はともに同じ祭神である月讀尊(外宮別宮は「月夜見尊」と表記している)と男神であるが、祭神の男女を問わず内宮別宮は内削ぎ・偶数の鰹木、外宮別宮は外削ぎ・奇数の鰹木であり、摂社・末社・所管社も同様である。

この理由には諸説あり、外宮の祭神がもともと男神的性格を帯びたものではなかったとする議論もある。

…出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

神社の説明によると日御碕には隠れが丘に素盞鳴尊だけが祀られていたという。

天照大神が祀られるようになったのは「日本書紀」に記載された以降である。

天孫族が出雲を征服した証として天照大神を祀るようにしたのであろう。

かし、天照大神を祀ってある「下の宮」の千木が、男の神を祀る「外削ぎ」で、素盞鳴尊を祀る「上の宮」の千木が、女の神を祀る「内削ぎ」だということがよくわからない。

日御碕も出雲族の本拠地であり、記紀神話ではなく、史実として考察すれば、上古には、造作された天孫族祖神のアマテラスなどを祀っていることなどありえない。

当然のことながら、出雲大社と同じ神々が祀られていたと推察するのが自然だろう。

とすれば、主祭神として「下の宮」に出雲族の祖神であるスサノオが祀られ、「上の宮」には日本民族の祖神である、イザナミ(クナトノ大神)が祀られていたのではないのか。

神社様式も「大社造」であったはずである。

 
日御碕神社全容
朱塗りの楼門
日沈宮(下の宮)
神の宮(上の宮)
 
新鮮な魚介類、舟盛り、皿盛り

日御碕神社・経島の近くの夕日が美しい宿

日御碕民宿「おおみや荘」

 
日御碕灯台・島根半島海中公園