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出雲大社は日本民族の象徴

 
邪馬台国の宮殿跡か……と話題になった、巻向遺跡の内部構造が出雲大社と同じで、太陽紋章が発見された。

邪馬台国の女王卑弥呼について、倭人伝は……

鬼道(きどう)につかえ、能(よ)く衆を惑わす……」と記している。

 
女王卑弥呼の出現
 
卑弥呼のつかえた「鬼道」は太陽神と祖霊の崇拝である。

鬼道とは、祖霊崇拝のことであるから、

祖霊を祭ることが、なぜ太陽信仰と結びつくのか。

それを解くヒントが、実は『古事記』と『日本書紀』の建国神話にある。

 

「天地(あめつち)初めて開けし時、高天原(たかまがはら)になれる神は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、次に神産巣日神(かみむすひのかみ=出雲族の祖神)……『古事記』

「天地(あめつち)初めてわかるときに、天之御中主尊(あめのみなかぬしのみことと)と曰す。次に高皇産霊尊(たかみむすひのかみ)、次に神皇産霊尊(かみむすひのみこと=出雲族の祖神)……『日本書紀』

 
→比(日)婆(母)山の伊邪那美神陵 カモス神(神魂神社)=神産巣日神=伊邪那美大神
 
それぞれ三例の神々のうち二例までもが「ひのかみ」「ひのみこと」としている。

これらは「日の神」のことで……

ヤマト国は太陽の神々によって建国されたことを意味する。

ヤマト国の女王の名「卑弥呼」も「ヒミコ=日の御子」を漢字をもって表現したものである。

こうして見てくると、ヤマト民族は太陽神の子孫ということであるから、

 
祖霊を祭るということは、取りも直さず太陽信仰であったことが理解される。
 
  
太陽紋章
 
出雲大社は……

太陽信仰の日本原住民のシンボルであり……

 
大国主神のルーツ →大国主神の原郷
 
出雲大社の巨大性は……
 
巨大なる太陽神殿の創建 
 
世界の太陽信仰遺跡(ピラミッド・マヤ遺跡など)に、共通するものだろう ……
 
エジプトで発見された木造船「太陽神・ラーの船」と「オロチ・伽耶族」
 
出雲大社の祭神は正面ではなく太陽を遙拝するために稲佐の浜がある西向きに鎮座している
太陽を遙拝する稲佐の浜の夕景(平成22年神迎神事時撮影)
 

出雲大社境内遺跡 ─出雲大社境内及び周囲は古代遺跡の宝庫─

 
平成12年、拝殿北側地下の発掘飼査により、
 
4世紀代(301〜400年)に、祭祀に用いられた勾玉などが検出されて……
 
出雲大社の創建 →伊勢神宮の創建
 
この地では少なくとも、その項からオマツリが行われていたことを明らかにし……
 
古(いにしえ)より悠久に祈り継がれる、歴世の建物跡が検出されました。

ことに注目されるのは、伝え継がれてきた巨大な神殿を造っていた御柱の検出です。

神殿の御社は「田」の字状の交点、正方形の周囲に8ヵ所と中央1ヵ所に配置されますが、

発掘区内に相当する3ヵ所すべてで検出されました。

もっとも重要な中央の心御社(岩根御社)、南正面の宇豆柱(棟持柱)、南東隅の脇柱で、

いずれも3本の杉の巨木を束ねて1本として立てられ、大量の根固め、裏込めの石によってつき固められていました。

また、いずれの柱材も表面に赤色の顔料(ベンガラ)がわずかに付着しており、

御社は赤く塗られていたことが明らかになりました。

このほか、御社の周囲からは祭祀用の土器が検出され、

そして大屋根の棟を支える宇豆柱の直下と前には、当時の大工道具としてもっとも大切な手斧が埋納されていました。

大工さんが神殿の平安を祈って納めたものと思われます。

 

巨大なる太陽神殿 ─日本原住民族信仰の象徴─

  
地面から屋根の棟に乗る千木(ちぎ)の上端までの高さが、

八丈=24.2メートルの出雲大社は、わが国の神社建築の中では最も大きいが、

社伝により中古は現社殿の倍の十六丈=48.4メートル……

 
さらに上古においては、四倍の三十二丈=96.8メートルの高さがあったという……
 
古代の高層社殿はどのような姿だったのだろう……

10世紀末に記された『口遊』(源為憲)に「雲太、和二、京三」とある。

 
口遊
 
「雲太」は出雲大社、「和二」は東大寺大仏殿、

「京三」は京都御所の大極殿のことであるが……

当時の出雲大社が、高さ十五丈(45メートル)の東大寺大仏殿よりも大きかったことを伝えるものである。

また、平安時代後期、出雲大社を見た寂蓮法師は……

天雲にたなびく山の半ばまで片削ぎ(千木の先端)の見えけるなん、この世の事とも覚えざりける

と、その大変な高さに驚いている。

これも、古代の出雲大社が桁外れに大きな建物であったことを伝える叙述である。

この他には、古代における社殿の高さを具体的に記す史料は見ないが、

出雲大社がかなり大規模であったことは間違いない。

半世紀も前に、建築史家の福山敏男博士が、社伝や社家に伝わる史料『金輪造営図』にもとづいて、

 
金輪造営図
 
十六丈の社殿を復元している。

また大林組は、この古代出雲大社の高層神殿が構造学的にも技術的にも可能であることを理論的に裏付け、

「草創期の出雲大社は、濃い緑の八雲山を背に、波の寄せくる海をすぐ前にのぞみ、白砂の上に高く壮大な柱の列を見せて聳え立っていたであろう」

(『古代出雲大社の復元』学生社)とし、

その姿をコンピュータグラフィックスで表わしている。

平成9年(1997)に開かれた古代出雲文化展では、その模型が製作され、

古代社殿の姿は、多くの人が知るところとなっている。 

 
…文.和田嘉宥
 
大林組の古代出雲大社の高層神殿復元図
古代出雲歴史博物館展示「巨大な本殿の柱」
 

出雲大社半世紀ぶりの遷宮

 

前回の屋根替えから半世紀が過ぎ、外観から痛みがわかるほど進んでいることから、改修することになった。

平成20年春に御神体をうつし、国宝・本殿の大修理に着手する。

完成には数年かかる見通しで、昭和28年以来、半世紀ぶりの大事業となる。

平安時代、「雲に分け入る千木…」と高さ十六丈(48メートル)もの壮大さが歌われた本殿。

国宝になっている現在の本殿は、延享元年(1744)に造営され、高さは半分になったというが、

伊勢神宮の「神明造り」、住吉大社の「住吉造り」とともに「日本の三大神社建築様式」を今に伝える。

檜皮葺の屋根は、厚さが1メートル以上、全国のヒノキの立木から皮をはいで集めなければならない。

本殿の他、八足門や神々の宿になる東・西十九社などの重文の建築物も修理させるというから、

数万枚もの驚くほどの量の檜皮が必要だ。

五年前の巨大柱出土時にも多くの研究者が訪れたが、再び、出雲大社が脚光を浴びることになる。

 
…産経新聞2005.10.7より
 
出雲大社遷宮
 
【造営遷宮】
 

造営遷宮とは、新しく社殿を建て替え、旧社殿から新社殿へ祭神をお遷しすることである。

なぜ、そのようなことをするのか……

たとえば、寺院は基本的に倒れたり、火災にあったりしない限り建て替えられないから、

法隆寺のように、世界最古の木造建築物として残ることもあるが、

一般に神社は定期毎に、また建立されてから一定の期間を過ぎたり、または倒れたり、壊れたりなどした時に、

立て替えを行い、神様の霊験をパワーアップしようとする。

そのため、寺院と神社とでは、建築構造において基本的に考え方が異なり、

寺院は柱が朽ちないように、礎石の上に柱を立てるが、

神社は祝詞に「底つ磐根に宮柱太敷く立て、高天原に千木高知りて」との文句があるように、

柱を地面深く埋めて立てて、その上に屋根を覆う構造をとってきた。

したがって、神社は年数が経つ内に柱が朽ちはじめ、寺院のように百年二百年と建物を維持することができなくなるのである。

こうした構造上の問題もあって、

神社は定期的に、または朽ちたり壊れたりした時には臨時的に、建て替えられてきたのである。

なお、現在では伊勢神宮を除いてほとんどの神社は、柱が朽ちないように礎石を敷いているため、

百年以上も前の神社建築が各地で見られるが、

 

そのような寺院のような建築構造を用いても、

なお、現在も造営または修造遷宮が神社で行われているのは……

遷宮を行う意義が、やはり神様の霊験を新たにしてパワーアップさせるのが第一で……

構造上の問題は、その次の問題であるからであろう。

 

さて、遷宮には、定期的に建て替えて、

そのたび毎に祭神を、旧社殿または仮殿から新社殿へお遷しすることを、「式年遷宮」という。

その代表は、20年毎に造営遷宮が行われる伊勢神宮があげられる。

また、伊勢神宮は、旧暦月の神嘗祭の日にあわせて遷宮を行うことから、「祭典遷宮」ともいう。

出雲大社の場合は、約60年毎に建て替えられてきたが、必ずしも定期的ではないため、式年遷宮ではなく、

また特定の祭典の日にあわせて遷宮をするのでもなく、

新社殿が出来上がったら、良き日を選んで祭神をお遷しすることから、

出雲大社の場合は、「造替遷宮」、または単に「造営遷宮」といった。

 
…千家尊祀著「出雲大社」より
 

神在月 ─出雲弥生王朝の伝統文化─

 
陰暦の10月を「神無(かんな)月」という。

全国の神々が出雲大社に集まり、国々では神さまが留守になるので、むかしから10月を神無月というのだという。

そこで出雲では、全国の神々が来られるからこの月を「神有(在)月」とよんでいる。

この言葉は室町時代の辞書『下学集』に見えているので、

かなり古くからこういう信仰が、人々の間にはあったと思われ、

また十月という文字を組みあわせると「有」という字になるというので、

大社の古い手箱の散らし紋にも、亀甲紋の中に「有」の字が描かれている。

 
…千家尊祀著「出雲大社」より
 

神迎神事・神在祭 ─出雲弥生王朝の伝統文化─

 
平成24年の神迎神事は、11月23日午後7時より稲佐の浜・神楽殿で執り行われます。

神在祭の始まる前日の「陰暦10月10日」には、神々を迎える「稲佐の浜の浜辺」には、御神火が焚かれ、

龍蛇(海蛇)を神々の使者としてお迎えする「神迎神事」が行われる。

神事が終わると……

その中央の神籬(大榊に細長い弊をつけたもの)に宿られた「八百万(やおろず)」の神々をご案内して、

3キロメートル余りの道程を神官を先頭に全国から集まった何千人の信者たちが行列して出雲大社に向かう。

全国の神々は、陰暦10月11日から17日までの7日間大社に集まり、

「幽事(かみごと)」……すなわち人には予めそれとは知ることのできぬ、人生諸般の事どもを

「神議(かむはか)り」にかけてきめられるのだと、信じられている。

男女の縁結びも、このときの「神議り」によるものであるという。

大社ではこのとき「神在祭」を執り行う。

平成24年の神在祭は、11月24日〜11月30日まで御仮殿で執り行われます。

大社の本社から西方800メートルにある「上宮(かみのみや)が神々の会議所」で、

大社境内東西の「十九社がその宿舎」とされ、ここでも祭りが行われる。

この祭事の期間は、神々の会議や宿泊に粗相があってはならぬというので、

土地の人はこの間にあっては歌舞を設けず楽器を張らず、邸宅(ていたく)を営まず、

ひたすら静粛を保つことを旨とするので、「御忌祭(おいみまつり)」ともいわれている。 

 
…千家尊祀著「出雲大社」より
 
出雲大社の祭と行事 神在祭のルーツ伽耶時代の和白制度
 
神迎神事
 

出雲大社教 ─日本民族氏神による縁結び─

 
オオクニヌシノカミは、生きとし生けるものに生きる力を与える「母なる大地」的な神であるところから、

「縁結びの神」と讃えられています。

むかしから大地が秘めている生成の力を「ムスビ」という言葉であらわし「産霊」という文字をこれにあてています。

この神がこうしたムスビの霊威をあらわされるが故に、

生きとし生けるものが栄える「えにし」を結んでいただけるのである。

オオクニヌシノカミほど、多くの「苦難を克服された神」はない。

人生は七転び八起きと言うけれども、

この神の御一生は、それに似た受難の連続であったが、

常に「和議・誠意・愛情・反省」によって、

神がらを切磋修錬され、その難儀からよみがえられたのである。

あの福々しい笑顔は、こうした修行によって得られたところのものなのである。

生み生かされた人生を、たくさんの人びとと心と心とを互に睦び合いながら、

幸福にすごさせていただくために、

オオクニヌシノカミが身を以て示された道を「神習う道」として、笑顔をもって、明るく強く歩みつづけてください。

 
…千家尊祀著「出雲大社」より
 
出雲大社教 →出雲大社結婚式
 

神々の国パワースポット →全国の神社

 
 
 
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