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出雲大社は日本民族の象徴

 
邪馬台国の宮殿跡か……と話題になった、巻向遺跡の内部構造が出雲大社と同じで、太陽紋章が発見された。

邪馬台国の女王卑弥呼について、倭人伝は……

鬼道(きどう)につかえ、能(よ)く衆を惑わす……」と記している。

 
女王卑弥呼の出現
 
卑弥呼のつかえた「鬼道」は太陽神と祖霊の崇拝である。

鬼道とは、祖霊崇拝のことであるから、

祖霊を祭ることが、なぜ太陽信仰と結びつくのか。

それを解くヒントが、実は『古事記』と『日本書紀』の建国神話にある。

 

「天地(あめつち)初めて開けし時、高天原(たかまがはら)になれる神は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、次に神産巣日神(かみむすひのかみ=出雲族の祖神)……『古事記』

「天地(あめつち)初めてわかるときに、天之御中主尊(あめのみなかぬしのみことと)と曰す。次に高皇産霊尊(たかみむすひのかみ)、次に神皇産霊尊(かみむすひのみこと=出雲族の祖神)……『日本書紀』

 
神魂(かもす)神社
 
それぞれ三例の神々のうち二例までもが「ひのかみ」「ひのみこと」としている。

これらは「日の神」のことで……

ヤマト国は太陽の神々によって建国されたことを意味する。

ヤマト国の女王の名「卑弥呼」も「ヒミコ=日の御子」を漢字をもって表現したものである。

こうして見てくると、ヤマト民族は太陽神の子孫ということであるから、

 
祖霊を祭るということは、取りも直さず太陽信仰であったことが理解される。
 
  
太陽紋章
 
出雲大社は……

太陽信仰の日本原住民のシンボルであり……

 
大国主神のルーツ →大国主神の原郷
 
出雲大社の巨大性は……
 
巨大なる太陽神殿の創建 
 
世界の太陽信仰遺跡(ピラミッド・マヤ遺跡など)に、共通するものだろう ……
 
エジプトで発見された木造船「太陽神・ラーの船」と「オロチ・伽耶族」
 

出雲大社境内遺跡

 
平成12年、拝殿北側地下の発掘飼査により、
 
4世紀代(301〜400年)に、祭祀に用いられた勾玉などが検出されて……
 
出雲大社の創建 →伊勢神宮の創建
 
この地では少なくとも、その項からオマツリが行われていたことを明らかにし……
 
古(いにしえ)より悠久に祈り継がれる、歴世の建物跡が検出されました。

ことに注目されるのは、伝え継がれてきた巨大な神殿を造っていた御柱の検出です。

神殿の御社は「田」の字状の交点、正方形の周囲に8ヵ所と中央1ヵ所に配置されますが、

発掘区内に相当する3ヵ所すべてで検出されました。

もっとも重要な中央の心御社(岩根御社)、南正面の宇豆柱(棟持柱)、南東隅の脇柱で、

いずれも3本の杉の巨木を束ねて1本として立てられ、大量の根固め、裏込めの石によってつき固められていました。

また、いずれの柱材も表面に赤色の顔料(ベンガラ)がわずかに付着しており、

御社は赤く塗られていたことが明らかになりました。

このほか、御社の周囲からは祭祀用の土器が検出され、

そして大屋根の棟を支える宇豆柱の直下と前には、当時の大工道具としてもっとも大切な手斧が埋納されていました。

大工さんが神殿の平安を祈って納めたものと思われます。

 
古代出雲歴史博物館展示「巨大な本殿の柱」
 

巨大なる太陽神殿

 
地面から屋根の棟に乗る千木(ちぎ)の上端までの高さが、

八丈=24.2メートルの出雲大社は、わが国の神社建築の中では最も大きいが、

社伝により中古は現社殿の倍の十六丈=48.4メートル……

 
さらに上古においては、四倍の三十二丈=96.8メートルの高さがあったという……
 
古代の高層社殿はどのような姿だったのだろう……

10世紀末に記された『口遊』(源為憲)に「雲太、和二、京三」とある。

 
口遊
 
「雲太」は出雲大社、「和二」は東大寺大仏殿、

「京三」は京都御所の大極殿のことであるが……

当時の出雲大社が、高さ十五丈(45メートル)の東大寺大仏殿よりも大きかったことを伝えるものである。

また、平安時代後期、出雲大社を見た寂蓮法師は……

天雲にたなびく山の半ばまで片削ぎ(千木の先端)の見えけるなん、この世の事とも覚えざりける

と、その大変な高さに驚いている。

これも、古代の出雲大社が桁外れに大きな建物であったことを伝える叙述である。

この他には、古代における社殿の高さを具体的に記す史料は見ないが、

出雲大社がかなり大規模であったことは間違いない。

半世紀も前に、建築史家の福山敏男博士が、社伝や社家に伝わる史料『金輪造営図』にもとづいて、

 
金輪造営図
 
十六丈の社殿を復元している。

また大林組は、この古代出雲大社の高層神殿が構造学的にも技術的にも可能であることを理論的に裏付け、

「草創期の出雲大社は、濃い緑の八雲山を背に、波の寄せくる海をすぐ前にのぞみ、白砂の上に高く壮大な柱の列を見せて聳え立っていたであろう」

(『古代出雲大社の復元』学生社)とし、

その姿をコンピュータグラフィックスで表わしている。

平成9年(1997)に開かれた古代出雲文化展では、その模型が製作され、

古代社殿の姿は、多くの人が知るところとなっている。 

 
…文.和田嘉宥
 
大林組の古代出雲大社の高層神殿復元図
 

出雲大社の由来

 
出雲大社は「天日隅宮(あめのひすみのみや)、天日栖宮(あめのひすのみや)、所造天下大神宮(あめのしたつくらししおおかみのみや)、杵築大社(きずきのおおやしろ)ともいわれています。

祭神大国主命は「大己貴神(おおなむちのかみ)、八千矛神(やちほこのかみ)、所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)、葦原色許男神(あしはらしこおのかみ)、大物主神(おおものぬしのかみ)」などの別名で呼ばれています。

わが国最古の神社建築を誇り、古来より伊勢神宮と並び称されてきました。

神話伝承や過去の記録に残る出雲大社は、歴史上、常に特別の神社として位置づけられ、

その時代の為政者(後醍醐天皇、豊臣家、毛利家、松平家等)より社領の寄進や祈願等、加護と信仰を受けてきました。

「古事記」には大国主命の国譲りの項に、

「私の住む所として、天子が住まわれるような壮大な宮殿を造ってくれるのなら、国を譲り、世の片隅で静かに暮らしましょう」

ということで造営されたと記されています。

「日本書紀」には、

「汝が祭祀をつかさどらん者は天穂日命(あめのほひのみこと=天照大神の第二子)これなり」

とあり、

この天穂日命の子孫が出雲国造で、現在まで継承されているといわれています。

平安時代の「口遊」(源為憲著、天禄元年・970年成立)には、全国の大きな建物の順として「雲太、和二、京三」と記され、

これは出雲太郎、大和二郎、京都三郎のことで「一番出雲大社、二番東大寺大仏、三番京太極殿」を意味し、その巨大性を示す有力な証となっています。

出雲大社は古くから民衆の間に広く知られ、参拝者も多く、伊勢神宮と天下の人気を二分していました。

交通の発達に加え普及に大きな役割を担ってきたのが、御師(おし)と呼ばれる組織で、諸国を回ってお札を授け歩き、全国津々浦々にその名を広めました。

また南北朝以後は神仏習合により、寺院の守護、豊饒を司る大黒天と集合され、

財福の神、縁結びの神として信仰されるようになり「ダイコクサマ」として親しまれています。

 
[問]出雲大社社務所(0853-53-3100)[アクセス]JR出雲市駅から一畑バスで25分(運賃は大人510円)※便によっては28分かかる便もあり。一畑電車電鉄出雲市駅から出雲大社前駅まで25分(運賃は大人480円)※川跡駅で乗換・山陰道宍道ICから車40分・出雲空港からタクシーで40分[場所]島根県出雲市大社町杵築東195
 
出雲大社の祭神は正面ではなく太陽を遙拝するために稲佐の浜がある西向きに鎮座している
 

稲佐の浜

 
稲佐の浜(いなさのはま)は島根県出雲市大社町にある海岸であり、日本の渚百選にも選ばれている。

国譲り神話の舞台でもあり、「伊那佐の小濱」(古事記)、「五十田狭の小汀」(日本書紀)などの名がみえる。

また稲佐の浜から南へ続く島根半島西部の海岸は「薗の長浜(園の長浜)」と呼ばれ、

出雲国風土記に記載された「国引き神話」においては、島根半島と佐比売山(三瓶山)とをつなぐ綱であるとされている。

毎年旧暦の10月10日には、ここで全国の神々を迎える「神迎神事」が行なわれる。

 
[アクセス]JR出雲市駅よりバス25分 出雲大社より車3分[場所]出雲市大社町杵築北2844-73
 
…ウィキペディアより
 
太陽を遙拝する稲佐の浜の夕景(平成22年神迎神事時撮影)
 

神迎神事

 
陰暦の10月を神無(かんな)月という。

全国の神々がみな出雲大社に集まり、国々では神さまが留守になるので、むかしから10月を神無月というのだという。

そこで出雲では全国の神々が来られるからこの月を神有(在)月とよんでいる。

この言葉は室町時代の辞書『下学集』に見えているので、かなり古くからこういう信仰が人々の間にはあったと思われ、

また十月という文字を組みあわせると「有」という字になるというので、大社の古い手箱の散らし紋にも、亀甲紋の中に「有」の字が描かれている。

神々を迎える「稲佐の浜」の浜辺には、御神火が焚かれ、龍蛇(海蛇)を神々の使者としてお迎えする神迎えが行われる。

神事が終わると、その中央の神籬(大榊に細長い弊をつけたもの)に宿られた八百万(やおろず)の神々をご案内して、

3km余りの道程を神官を先頭に全国から集まった何千人の信者たちが行列して出雲大社に向かう。

全国の神々は陰暦10月11日から17日までの7日間大社に集まり、

幽事(かみごと)すなわち人には予めそれとは知ることのできぬ、人生諸般の事どもを神議(かむはか)りにかけてきめられるのだと信じられている。

男女の縁結びもこのときの神議りによるものであるという。

大社ではこのとき神在祭を執り行う。

大社の本社から西方800mにある上宮(かみのみや)が神々の会議所で、大社境内東西の十九社がその宿舎とされ、ここでも祭りが行われる。

この祭事の期間は神々の会議や宿泊に粗相があってはならぬというので、土地の人はこの間にあっては歌舞を設けず楽器を張らず、第宅(ていたく)を営まず、

ひたすら静粛を保つことを旨とするので「御忌祭(おいみまつり)」ともいわれている。

神迎神事の竜蛇祭(りゅうじゃさい)は旧10月10日に執り行われる。

この神在祭の間は風波ははげしいのであるが、このとき海蛇が波に乗って稲佐浜に浮かび寄ってくる。

これを「竜蛇さま」といって、八百万(やおろず)の神が大社に参集されるについて、祭神の使として来るのだと信じられ、

祠官はあらかじめ潔斎して海辺に出で、竜蛇さまを玉藻の上にうけ、曲げ物に載せて大社の神殿に納めるのを例としている。

竜蛇さまは豊作や豊漁、家門繁栄のしるしとして、大社の教信徒は貰いうけて帰る。

 
 

命主社と真名井遺跡

 
葦原中国(あしわらなかつくに)を経営した、所造天下大神大穴持命が鎮座する出雲大社……

その広い境内じたいが大きな遺跡である。

 
縄文時代から古墳時代、さらには室町時代にまでおよぶ多くの遺物が出土している。

その大社の東方200mの摂社・命主(伊能知奴志)神社の本殿のうしろから江戸時代初期に四本の青銅製利器と曲玉が出土したとされ、

その場所には真名井遺跡との標識が立っていた。

 

寛文5年(1665)の出雲大社御造営にあたり、命主社の裏の大石を石材として切り出したところ、

大石の下から、4本の剣とヒスイの勾玉が発見されたという。

現在、出雲大社の宝物として残されるこの剣は……

総長31.2cmの銅戈で北九州でよく見られる「中広形戈」の特徴を持っていると教えられた。

銅戈は北九州から、ヒスイ玉は北陸からこの地へ伝えられたことに、

北ツ海を媒介とした出雲の文化圏の広がりと、杵築と筑紫や越とのつながり、

はるか朝鮮半島からの人と文物の流入が感じられる。

 
命主神社といえば必ず登場する巨大なムクの木を仰ぎながら、オオクニヌシの窮地を救い、大穴持神の宮殿造りを命じた、

出雲の御祖神とよばれる地位にある神魂命(かむむすびのみこと)を祀るこの社を目にしたとき、

出雲の神々と銅鐸・銅剣・銅戈・銅矛に代表される青銅器文化、イヅモという大きな勢力を誇った古代人の営みと神々の姿がほうふつと浮かんできた。

 
…江原 護著「出雲の神々に魅せられて」より
 
 

日本民族の大租神を祀る「出雲井神社

 

聖武〜桓武までの各天皇はクナトノ大神の力を恐れ、平安京、長岡京、信楽(しがらき)京などではサイの大通りを作り、都の四隅に神社を建てて鎮魂の供養をした。

この神は、岐(ふなどの)神、来名戸(くなと)之祖(さえの)神、衡立船戸(つきたちふなと)神、八衢(やちまた)神、久那斗神、道祖神などと書く。

『日本書紀』では、泉津平坂(よもつひらさか)で、イザナミから逃げるイザナギが「これ以上は来るな」と言って投げた杖から、岐神(ふなどのかみ)、来名戸祖神(くなとのさえのかみ)が化生したとしている。

『古事記』では、上述のイザナギの禊(みそぎ)の場面で、最初に投げた杖から衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)が化生している。

後に、中国から伝来した道路の神である道祖神と習合した。

また、仏教の地蔵菩薩とも同一視された。

日本列島を生み出した伊弉諾(イザナギ)、伊弉冊(イザナミ)の大神の長男で出雲神族の大祖神。

6月、12月には道饗(みちあえの)祭を催し、祝詞(のりと)を捧げた。

 
常磐国など東国はこの神が開拓したもので、香取神宮の主祭神普都(ふと)大神ともなっている。
 

私は出雲(出雲市)を訪れたとき、ひょんな体験をした……

クナトノ大神を祀る出雲井神社(いづもいかみのやしろ)に寄ってみようと思い、出雲大社(出雲市)の社務所で道をたずねた。

ところが、なかなか教えてくれないのである。

うさん臭そうに、こちらの顔を眺めながら、

「なぜ、そんなところへ行くんですか。小さな社がポッンと立っているだけで、なんにもありませんよ」

と言う。

道順を聞き出すのに、五、六分も押し問答をしなければならなかった。

社家では出雲井神社と聞いただけで、神経をビリビリさせるのである。

社家にとって、出雲井神社を訪れる者は、危険人物なのであろう。

出雲井神社は、出雲大社の東、宇伽(うが)山のふもとの竹薮に、ひっそりと忘れられたように建っていた。

 
…吉田大洋著「謎の出雲帝国」より
  
 

古代出雲歴史博物館

 
2007年3月10日に出雲大社の東隣に開館。

主に出雲大社を中心とした古代出雲についての展示を行っており、荒神谷遺跡より出土した国宝を含む銅剣358本・銅矛全点、加茂岩倉遺跡より出土した国の重要文化財の銅鐸全点が公開されている。

古代出雲以外では石見銀山など旧石見国も含めた島根県全体の歴史についての展示がある。

中央ロビーには2000年に出雲大社境内から出土した宇豆柱が展示されている。

敷地内には「風土記の庭」や体験用の水田、工房が設置されている。

建物は建築の主張を抑えるために面と線を簡素に表わし、素材も鉄とガラスというシンプルな組み合わせになっている。

また、壁面の鋼は古代のたたら製鉄、ガラスは現代性をそれぞれ象徴する役割も担い、古代と現代の融合という意味合いもある。

また元々の敷地は駐車場と湿原であったため、庭園の樹木にはシイやカシなど常緑の広葉樹が植えられた。

 
[問]Tel.0853-53-8600 Fax.0853-53-5350[開館時間]9時〜18時(11月〜2月は9時〜17時)[休館日]第3火曜(祝日の場合は翌日)[観覧料]常設展 一般:600円/大学生:400円/小中高生:200円・企画展は各企画展毎に金額が異なります[駐車場]普通車244台 大型バス15台(無料)[アクセス]一畑電車では大社線出雲大社前駅下車、徒歩7分・バスは一畑バス正門前停留所下車、徒歩3分、一畑バスは古代出雲歴史博物館前停留所下車すぐ[場所]島根県出雲市大社町杵築東99番地4
 
…ウィキペディアより
 
 

出雲阿国の墓

 
世界に誇る日本の伝統芸能、歌舞伎。

中村歌右衛門、片岡仁左衛門、市川團十郎、中村鴈治郎、尾上菊五郎等々……。

現代にあってなおその芸名と芸風が人気を博す梨園の名優たち。7代、10代、さらには12代と続く彼等の系符は、そのまま日本文化の歴史を今日に伝えている。

 
そして、その多くの系符をさかのぼると、やがてただ一人の女性と巡り逢うことになる。
 
中世末期から近世初頭にかけ、豊臣秀吉や徳川家康などの天下人、あるいは京・大阪の民人たちを魅了した舞姫こそ「出雲阿国」その人である。

この頃大社の中村という在所で鍛冶職人をなりわいとしていた三右衛門に女の子が産声をあげた。

クニと名付けられた女の子は、やがて出雲大社の巫女となり、美しい娘に成長していく。

永禄年間(1558〜69)、阿国は大社本殿修理費勧進(寄付集め)のため、女たちとともに諸国巡業の旅に出る。

生れつき舞踏にすぐれた才能を持っていた阿国は、京都で念仏踊りを上演して人気を博し、出雲阿国の名はたちまち京の都や大阪に広まっていく。

慶長8年(1603)徳川家康により江戸幕府が開かれ、まさに新しい時代が始まろうとしたこの年の4月、

阿国は小鼓打ちの名手と評された名古屋山三と組んで、京都の四条河原で男装に刀をさして舞い、思い切った演出で見物人を魅了する。

人々は軽快な鼓のリズムをバックに、大胆な男装舞いにゆれる阿国に拍手喝采する。

「みごとな傾き(かぶき)方じや!」「天下一、阿国 !」……

ちなみに「傾く(かぶく)」とは、新奇で異様、一際目立つということであり、新しいものを積極的に取り入れ、時代の先端をきって進む出雲阿国は「傾き者(かぶきもの)」としてその名を不動にしていく。

そして、この踊りこそが、まさに歌舞伎の始まりだったのである。

 
晩年、阿国は故郷の大社に帰り尼となって智月院と称し、

連歌庵で静かな余生を送り75歳で没したといわれている。

 

今日、出雲大社から国譲り神話で知られる奉納山へと続く道沿いには、

連歌庵や阿国の墓、そして奉納山の登り口に男装の阿国を描いたレリーフの「於國塔」が建ち、往時を偲ばせている。

 
[問]Tel. 0853-53-2298[アクセス]一畑電車大社線出雲大社前駅から一畑バス日御碕方面行きで4分、奉納山入口下車、徒歩5分[場所]出雲市大社町杵築北2544
 
 

吉兆館(きっちょうかん)

 
吉兆幡を中心として、大社地区に伝えられる文化・歴史・信仰などを模型、パネルなどで紹介し、

地域のインフォメーションも行なっている。

 
[問]Tel.0853-53-5858[営業時間]午前9時〜午後5時[休み]無休[入館料]無料[アクセス]一畑バス 吉兆館前下車徒歩2分[場所]出雲市大社町修理免735-5
 
 

出雲そば

 
出雲そば(いずもそば)は、島根県の出雲地方で広く食べられる郷土料理の蕎麦(割子そば・釜揚げそば等)の産地名を使った総称で、三大そばの一つ。

出雲地方では奥の院詣り(出雲大社、日御碕神社、美保神社、大山寺、一畑寺)の際に、門前のそば屋で蕎麦を食べるのが庶民の楽しみであった。

また「神在月(かみありづき)」に行われる「神在祭」(通称「お忌みさん」)の際、神社の周りに屋台のそば屋が立ち並び、身体の温まる「釜揚げ」で新蕎麦を食べた。

「釜揚げそば」は、出雲を去る神々を見送る儀式「神去出祭(からさでさい)」にちなんで、「神去出そば」また「お忌みそば」と呼称されることもある。

松平治郷はこの地域の産業・文化を振興した名藩主として「不昧公(ふまいこう)」と呼ばれ親しまれているが、

当時「高貴な人はそばを食べない」とされていたにも拘らず、不昧公はお忍びで夜に屋台の蕎麦(いわゆる夜鷹そば)を食べに行くほどの蕎麦好きで……

こだわりの食べ方を語っており、茶人としても茶懐石に蕎麦を取り入れその地位向上に一役買っている。

 
「出雲そば」は、蕎麦粉を作るときソバの実を皮ごと石臼で挽くため、そばの色は濃く黒く見え香りも強い。
 
出雲そばの中では三段の丸い漆器にそばを盛って出す割子(わりご)そばがもっとも有名な形であるが、

これは江戸時代に松江の趣味人たちがそばを野外で食べるために弁当箱として用いられた形式が基となっている。

出雲地方では昔から重箱のことを割子と呼んでおり、当時の割子は正方形や長方形、ひし形などさまざまな形であったが、

明治40年頃に当時の松江警察署長の発議によりヒノキを用いた底の厚みのある丸形の漆器に変わった。

(警察署長の発議は、割子が四角形であると四隅が洗いにくく、衛生的見地から問題があると見たからと言われている。)

食べ方は他の地方の蕎麦に比べて、だし汁の掛け方が違う。

普通は、蕎麦をだし汁の中に入れる場合が多い。が、出雲そばの場合、だし汁自体を器に入れて食べるため、だし汁を入れる容器の口が狭くなっている。

それに薬味をかける場合が多く、おろし大根は定番である。

茹でたてのそばを水洗いせず、釜や鍋から麺を直接器に入れてつゆや薬味を使って食べる「釜揚げ」と呼ばれる食べ方も好まれている。

 
…ウィキペディアより
 
 

出雲大社観光一覧

 
 
出雲大社
御祭神は大国主大神で人々を幸せな縁で結ぶ神様として崇められています。『古事記』『日本書紀』によれば、大国主大神の『国譲り』に際して、底つ磐根に宮柱を深く立てた壮大な宮殿を造られたのが、出雲大社の始まりです。『出雲国風土記』には、大国主大神のために大勢の神々が集まって宮を寸付(きづき)いたと記されており、「杵築大社(きづきたいしゃ)」ともいわれています。
島根県出雲市大社町杵築東195
 
北島国造館
出雲大社に向かって右手、神域内で最古の建造物四脚門をくぐると北島國造館があります。出雲國造北島家は大国主大神に神勤奉仕をなさった天穂日命の子孫であり、出雲教を通して大神様の御神徳を広く世に広めることを勤めとされています。
島根県出雲市大社町杵築東194
 
命主社
正式な名称は「神魂伊能知奴志神社(かむたまいのちぬしじんじゃ)」で天地開闢の造化三神の一柱、神皇産霊神(かみむすびのかみ)が祀られています。巨岩の前に建てられていることから、古代の磐座(いわくら…神の御座所)が神社に発展した例として貴重な神社です。
島根県出雲市大社町杵築東181-1
 
出雲井神社(日本原住民の祖神)
祭神はクナトノ大神。熊野大社は「旧辞記」に『出雲国熊野杵築神宮』と見えている。出雲大社が杵築へ移ったのは、霊亀二年(716)のことで、それまでは熊野にあり、『クナトノ大神』を祀っていた。常磐国など東国はこの神が開拓したもので、香取神宮の主祭神普都(ふと)大神ともなっている。
島根県出雲市大社町修理逸
 
社家通り
青銅鳥居をはさんで東西にのびる道は、社家の家々が並ぶ社家通りである。重厚な門構えと落ち着いたたたずまいが歴史の重みを感じさせる。大社を訪れたら、ぜひ足を運んでみたいコースの一つである。
島根県出雲市大社町杵築
稲佐の浜(国譲神話)
出雲大社から西に向かってほぼ1kmに ある日本の渚・百選の浜。ここは出雲 神話「 国譲り」の舞台であり 、神在月の到来を告げる「神迎神事」が執り行 われるところ。穏やかな景観の浜にそ びえる巨岩の弁天島に夕日がかかる 様子は絶景です。
島根県出雲市大社町杵築北
 
古代出雲歴史博物館
出雲大社の東隣りに位置するとあって、出雲大社関係の展示はもちろん、石見銀山・たたら製鉄・青銅器・風土記神話(神話シアター有り)など、島根県全域に渡る歴史と文化を紹介する博物館。1Fは展示室とミュージアムショップ。2Fには喫茶(40席)。3Fにある展望テラスからは、出雲大社御本殿の屋根を見ることができる。
島根県出雲市大社町杵築東99-4
 
出雲弥生の森博物館
弥生時代の全国最大級の王墓が集まる「西谷墳墓群」。博物館では、王墓から発見された責重なガラス勾玉や腕輪などを展示。特に王の葬儀の様子を大胆に復元した巨大ジオラマは必見。見る人を弥生時代へ、出雲王の世界へといざないます。史跡公園には、埋葬された王が出現する展示施設があり見どころ満載です!
島根県出雲市大津町2760番地
 
西谷墳墓群(出雲王の墓)
「西谷墳墓群」は墳丘を持つ墓だけでも27基が密集し、特に弥生時代後期〜終末期に造られた6基の四隅突出型墳丘墓は、出雲の権力者たちの墓として全国的に有名です。西谷墳墓群の中で特に巨大な規模を持つ2・3・9号墓は,弥生時代に出雲を支配した王たちの墓と考えられます。弥生時代としては全国トップクラスの壮大な王墓です。
島根県出雲市大津町2760番地
 
出雲文化伝承館
正面の門、中央の出雲屋敷は、明治29年に建てられた出雲地方の大地主であった江角(えずみ)家の母屋、長屋門を移築したものです。南に面する大戸口を入ると広い土間に立派なケヤキの大黒柱、また重厚な黒松の梁組が屋敷の風格を物語ります。建物の南側は、三の間、二の間、書院と座敷が続く三間造りで、書院からは、出雲流庭園が見渡せます。
島根県出雲市浜町520
 
吉兆館
出雲大社の一の鳥居「宇伽橋の大鳥居」南西の「道の駅出雲市ご縁広場」にあります。建物は和風神社様式構造で、屋根には吉兆の扇と鉾がそびえており、大社町のお正月三日に行なわれる伝統行事「吉兆神事」にまつわるものを展示しています。施設内には観光情報コーナー、休憩室がありますので、周辺の観光情報を得るには最適です。
島根県出雲市大社町修理免735-5
 
手銭記念館
手錢(てぜん)家は江戸時代初めから現在までの三百五十年余、明治維新までは造り酒屋を営んでいました。代々の当主が漢詩、俳句、茶道、華道といった趣味を愉しんだことで、さまざまな分野の美術工芸品があつまり、手錢記念館は、手錢家から寄贈されたこのような作品を保存、公開するために設立された美術館です。
島根県出雲市大社町杵築西2450
 
旧大社駅
明治45年開業、平成2年に営業を閉じました。駅舎は大正13年に改築されたものです。意匠的に優れた近代和風建築で、「東京駅」「門司港駅」とともに国の重要文化財に指定されています。
島根県出雲市大社町北荒木465
 
今岡美術館
全国唯一の古木美術館として、数百年の風雪を生き抜いてきた古木群が自然界のロマンを私たちに語りかけてきます。また、館蔵品の絵画、彫刻、陶芸作品などを中心に、季節に応じた企画展を開催しています。
島根県出雲市天神町856番
 
出雲民藝館
出雲の豪農、山本家の屋敷を改装し民芸館としたものです。一町歩を越える雄大な敷地を持つ山本家は、虚飾を戒め、出雲の風土と伝統を背景に、家の内も外も無駄な飾りが無く、すべてが直線で構成された力強い質素簡潔なたたずまいです。本館は出雲地方の「暮らしの道具」、西館は「仕事の道具」を展示しています。
島根県出雲市天神町856
 
しまね花の郷
四季折々に咲く可憐な花々に包まれる癒しの空間。ガラス室も季節毎に植え替え、違った表情でお迎えします。
島根県出雲市西新町2丁目1101-1
 
万福寺「大寺薬師」
大寺薬師は594年、智春上人によって創建されたとされ、741年に行基が諸国巡歴の途中、「大寺」にとどまって多くの仏像を刻み、諸仏を安置して護国の道場としたと伝えられています。薬師如来坐像、菩薩形立像(日光・月光菩薩)、観音菩薩立像2躯、四天王像が重要文化財に指定されており、裏山の大寺古墳は出雲地方では最古の前方後円墳と言われています。
島根県出雲市東林木町416
 
上塩治地蔵山古墳
周囲が削られていますが、現状では15mほどの大きさの古墳です。南東に口を開けた全長9.2mの横穴式石室があります。石室は前後二つの部屋にわかれます。奥の部屋は壁と天井がおのおの一枚の板石で組み上げられており、その中いっぱいに家形石棺と箱形の石棺が置かれています。約1400年前、上塩冶築山古墳の次に造られた権力者の墓と推定されます。
島根県出雲市上塩冶町651
 
上塩治築山古墳石棺
墳丘の直径約46m,周りの堀を含めると直径約77mもある出雲最大級の円墳です。横穴式石室は全長約14.6m,高さ2.9mあり,ブロック状の切石を組み上げた精美なものです。内部には,大小の家形石棺2基が置かれています。県内屈指の質と量を備えた副葬品が見つかっており,古墳時代後期(約1400年前),今市大念寺古墳に続いて造られた権力者の墓と考えられます。
島根県出雲市上塩冶町262
 
今市大念寺古墳
古墳時代後期(約1450年前)に造られた,県内最大(全長約92m)の前方後円墳です。後円部には巨石を積み上げた横穴式石室があり,奥にある石棺は日本最大級の大きさで,重さは推定10tにもなります。江戸時代に石室が発見された時,多くの副葬品が出土しました。出雲西部に君臨していた権力者の墓と考えられます。出土品を描いた絵図(コピー)が出雲弥生の森博物館にあります。
島根県出雲市今市町鷹の沢1696
 
出雲阿国の墓
出雲大社から稲佐浜へ向かう途中、山根の太鼓原の石段を登っていくと中村家の墓があり、出雲阿国の墓は、特別に石棚で囲った平たい自然石で作られています。平成14年に改修され、表通りには駐車場も整備されました。今でも、芸能関係者や歌舞伎ファンなど多くの参拝者がいます。
島根県出雲市大社町杵築北2529
 
安養寺
毎年阿国の法要が行われるお寺。ここには阿国が信仰していた観音像2体がある。また、昭和8年、同寺で於國の遺品と見られる古手鏡と数珠が発見され、今日も大切に保存されている。於國塔から徒歩4分。
島根県出雲市大社町杵築北仮の宮2822
 
阿国寺「連歌庵」
歌舞伎の始祖として一世を風靡した出雲阿国は、晩年は大社に帰り、尼僧「智月」となり、読経と連歌に興じて静かに余生を過ごしたといわれています。そのため、この草庵は阿国寺「連歌庵」と呼ばれるようになりました。現在の建物は、昭和11年「劇祖阿国会」によって再建されたもの。
島根県出雲市大社町杵築北
 
 
 
日御碕灯台
島根半島の最西端、日本海に突き出た岬の先端にあります。灯台の高さは43.65m、平均水面から灯塔の頂上までは63.30mあり、日本一の高さを誇っています。灯台の上は展望台となっており、はるか北方に隠岐島を望み、南方には中国山地と「国引き神話」の杭となった三瓶山、南西にはウミネコの繁殖地「経島」を見下ろすことができます。
島根県大社町日御碕
 
日御碕神社
社殿は徳川家光の命により造営され た朱塗りの権現造りで、江戸時代初期 の貴重な建築として重要文化財に指 定されています。本殿蛙股を中心とす る彫刻は、竜虎や鶴亀や松竹梅など見 事なものです。
島根県出雲市大社町日御碕455
 
出雲松島
眼下に浮かぶ大小20余りの島々を総称して「出雲松島」と呼んでいます。いずれも流紋岩(りゅうもんがん)からできており、それが激しい波の浸食作用や海面の昇降(しょうこう)運動によって次第に美しい姿に仕上げられたもので、中には海蝕洞の発達した島も見られます。
島根県出雲市大社町宇龍
 
経島
島の名は経本を並べたごとく見えることから由来し、日本では数少ないウミネコの繁殖地として、国の天然記念物に指定される小島。付近には遊歩道もあります。
島根県大社町日御碕
 
筆投島
ひろげの浜を過ぎ、幕鳥海水浴場の手前に岩肌と松の緑が美しい小島が見えます。平安時代の画聖巨勢金岡(こせのかなおか)が、この島を措こうとしましたが、朝夕に色彩が変わる妙姿をついに写すことができず、筆を投げてしまいました。以来、この島を筆投島というようになりました。
島根県出雲市大社町日御碕
 
礫岩
古事記・日本書紀の「国譲り神話」では、国譲りの使者武嚢槌神と大国主神の子建御名方神が力比べをされた。大社湾の中間に丸い大きな岩を積み重ねたような島がみえますが、これが二神の力比べの際、稲佐浜から海に向かって岩を投げ合ってできたものだといわれ、「つぶて岩」と呼ばれています。
島根県出雲市大社町日御碕
 
日御碕グラスボート
島根半島西部の日本海に突出した日御碕は柱状節理の発達した石英斑岩、及び溶岩などの火成岩によって、複雑な海岸線を造っています。海底は岩場、砂場、海蝕洞、海中崖等さまざまな変化をみせます。ホンダワラ、アラメ、ワカメなどが波に静かにゆれる神秘的な海藻の林には、イシダイ、メバル、スズメダイなどの沿岸魚が多数生息しています。
島根県出雲市大社町宇龍76
 
島根ワイナリー
地元のぶどうを使ったワイン工場。見学、試飲の他、島根和牛のバーベキューなどの食事やお土産も充実しています。
島根県出雲市大社町菱根264-2
 
夢の森うさぎ(海まで送迎)
風光明媚な森と海の森林公園です。公園より徒歩5分の船着場より梅の灘ビーチまで船で送り迎えします。自分たちだけで海水浴を楽しめる、家族の皆さんに喜ばれています。磯釣りは、公園より徒歩5分の駐車場から渡船に乗り沿岸の島に送り迎えします。公園より徒歩5分の防波堤にて釣りを楽しむことができます。釣竿はレンタルしています。
島根県出雲市大社町鷺浦1013-1
 
浜遊自然館(園の長浜)
自然とふれあい、自然を感じ、自然と親しむ、そんな所です。手作り体験教室や、農業体験、観察会、星座観望会などのイベントを頻繁に行っています。その他にも、1万点の貝の展示コーナーや蝶の展示室があります。特に蝶の展示室は、網で囲ったハウスの中の、生きた蝶を間近に見る事が出来ます。
島根県出雲市大社町中荒木2484番地
 
長浜神社(国引神話の主人公)
「出雲国風土記」の冒頭を飾る「国引き神話」は、綱をかけ海のむこうから土地を引き寄せ縫い合わせた国土生成の話である。長浜神社は、国引きの綱の「薗の長濱」の地に鎮座し、国引きの神「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)」を主祭神としてお祀りしている。
島根県出雲市西園町上長浜4258
 
浜山公園
県立浜山公園は、出雲地方の中心である簸川平野の一角に位置する都市公園です。ここは県木であるクロマツが群生する緩やかな丘陵地となっており、野鳥が飛び交う等豊かな自然に恵まれています。また、周辺には出雲大社などの歴史的文化的遺産が点在する絶好の環境となっています。
島根県出雲市大社町北荒木1868-10
 
出雲ドーム
48.9mの高さを誇る世界最大級の木造ドーム。人工芝のグラウンドは各種競技大会やイベントなどに利用されています。
島根県出雲市矢野町999
 
出雲ゆうプラザ
中四国最大級のウオーターアミューズメント施設。六種類のプール、ジャクジー、ハープサウナなどが楽し申ます。
島根県出雲市西新町1丁目2547-2
 
出雲平成温泉
スポーツ公園内にある温泉施設。男女別の大浴場があり、7種類の薬草を入れた薬草風呂やジェット風呂、開放的な露天風呂などがあります。平成スポーツ公園内にあることから、運動後に利用する方が多いです。
島根県出雲市平成町2320-13
 
北山健康温泉
北山山系が一望できる立地。介護の必要な高齢者でも安心して入浴できる個人入浴施設も完備。
島根県出雲市西林木町61-1
 
一畑薬師(スクナヒコナ伝説)
目のお薬師さんとして古くから信仰を集める臨済宗の名刺。二歳児詣りなど子供の無事成長の仏様としても知られています。
島根県出雲市小境町 803番地
 
佐香神社(全国酒神社の総本社)
酒神の祖として祭られているのが、延喜式神名帳よりも二世紀古い「出雲国風土記」に登場する佐香神社(松尾神社)です。出雲国風土記には佐香に神々が集まり、飲食物を煮炊きする調理場を建て酒を造り、半年にわたり酒宴をしたという記述があります。
島根県出雲市小境町108番地
 
宍道湖自然館「ゴビウス」
宍道湖・斐伊川など島根の汽水・淡水域に生息する生き物の生態を、楽しみながら学べる体験型水族館です。市内小中学生の理科授業を行なう他、幅広い年代に向けて科学の楽しさや不思議を体験できるものづくりや実験などを行なっています。
島根県出雲市園町沖の島1659-5
 
湖遊館
山陰最大規模のアイスリンク。冬期はアイススケートやアイスホッケーなどが楽しめ、オフシーズンは多目的スペースとして親しまれています。
島根県出雲市園町1660-1
 
宍道湖グリーンパーク
宍道湖グリーンパークは、宍道湖西岸に人と自然の共存をめざして、多自然型の公園として整備されました。斐伊川河口一帯を中心としたこの周辺は、マガン、ヒシクイ、コハクチョウの集団越冬地であり、西日本最大の野鳥の宝庫として知られています。
島根県出雲市園町1664-2
 
割烹温泉ゆらり
中国地方最大級の天然温泉100%源泉掛け流しの日帰り温泉施設。約50坪の大露天風呂、開放感あふれる内湯、お一人様用の檜・瓶の露天風呂、女性に人気の塩塗りミストサウナなど種類の多さも自慢です。
島根県出雲市平田町7178 
 
木綿街道
木綿街道は新町と片原町と宮ノ町の通りからなります。長短の格子が美しく組み合わされた出雲格子を持つ家並み、白木綿地に木綿街道と染め描きされたのれんが風情を感じさせる空間で、ノスタルジックなものが好きな人にはきっとお気に入りになってしまうような通りです。
島根県出雲市平田町841
 
康国寺庭園
臨済宗の古刹、康国寺。茶人としても名高い松江城主松平不昧公のお抱えの築庭師、沢玄丹が三年がかりで作ったという旅伏山を借景とした枯山水庭園は、端正な美しさで訪れる人々を魅了します。 米国の日本庭園専門誌で2006年にランキング12位となる。
島根県出雲市国富町1301
 
平田本陣記念館
松江藩の本陣宿として代々の松江城主が体を休めたという本木佐家。享保20(1735)年建築の当時そのままに移築してあります。出雲流庭園は、大ぶりの飛石、短冊石、そして臼型の人口飛石を高く打った枯山水の平庭です、大らかな趣きの中にも侘びた風情を持っています。
島根県出雲市平田町515番地
 
愛宕山公園
戦国時代には、尼子氏、毛利氏などがさまざまな攻防を繰り返した古戦場です。山陰十景のひとつに数えられる展望台からは、眼下に宍道湖、築地松が広がる出雲平野、遠く東に大山、西に三瓶山を望めます。ソメイヨシノなど約600本の桜をはじめ、木々、花々が四季を通じて楽しめます。
島根県出雲市平田町
 
韓竃神社(日本文化のあけぼの)
「出雲国風土記」には『韓竃社(からかまのやしろ)』延喜式には『韓竃神社』と記載されています。祭神の素盞嗚命が新羅「しらぎ」に渡られ、わが国に「植林法」やタタラ製法、鍛冶技術などの「鉄器文化」を伝えられたとされています。「岩船」伝説でも知られており、この大岩は、新羅から植林法や鉄器文化を伝えられるときに、素盞嗚命が乗られた船であるといわれています。
島根県出雲市唐川町408
 
鰐淵寺(弁慶伝説)
近辺随一といわれる見事な紅葉を誇る天台宗の古剰。浮浪の滝の落口岩窟にしつられえられた蔵王堂など見どころも多数。若き日、武蔵坊弁慶が修行したことで有名なお寺です。
島根県出雲市別所町148
 
猪目洞窟(黄泉の国入口)
縄文から古墳時代にかけての埋葬や生活を物語る数々の遺物が発見された洞窟。「出雲風土記」に記載のある黄泉の穴はこの洞窟だといわれます。
島根県出雲市猪目町1338
 
神西湖(遊覧船・ヤマトしじみ)
神西湖九景と呼ばれる風光明媚な景観をもつ湖。ヨシやガマが自生する湖畔は守り残したい自然のひとつです。
島根県出雲市湖陵町
 
クアハウス湖陵
湖陵温泉の湯を利用した神西湖畔の多目的温泉施設。寝湯、気泡浴など12種の浴槽、サウナ、プールなどが楽しめます。
島根県出雲市湖陵町二部1230
 
湖陵温泉(出雲観光の拠点)
観光の拠点に便利。山陰道出雲ICから西へ約5分・出雲大社まで車で約10分・石見銀山まで車で約60分。日本海の幸としまね和牛を使用した料理長おまかせコースがしまねふるさと料理認定を頂きました。長期滞在されるお客様にオススメ ビジネスコースは2泊よりご利用いただけます。1泊2食付 お1人様4,980円〜
島根県出雲市湖陵町二部1230
 
キララコテージ
キララコテージ頂上一帯はコテージタイプの宿泊棟です。全室ベランダからは日本海が一望できます。壁と床には杉板を使用し、建物の中はあたたかな雰囲気となっております。居間は板張りと畳の2タイプあり、冬にはコタツがつきます。飲食物のお持ち込みは自由です。備え付けの器具等で自由に調理していただけます。
島根県出雲市多伎町多岐
 
道の駅キララ多伎
北欧風の外観が目印の道の駅。行楽やドライブの休憩ポイントとして最適。レストラン、ショップも充実しています。隣接する見晴らしの丘公園にはキララコテージがあります。
島根県出雲市多伎町多岐
 
マリンタラソ出雲
海洋療法タラソテラピーを取り入れたリラクゼーション施設。日本海に沈む夕日が眺められる宿泊ルームも人気。
島根県 出雲市多伎町多岐859-1
 
多伎いちぢく温泉
露天風呂やいちじく薬草湯が楽しめる日帰り温泉。温泉の後は、隣接するレストラン「華」でゆったりと日本海をながめながら、出雲の特産物を使った四季折々の和食をお楽しみ下さい。
島根県出雲市多伎町久村654
 
多伎いちぢく館
いちじくを便つたジャム・お菓子の加工体験室やいちじくの加工品をはじめ農産品などの直売施設。施設内には、コンテナ養液栽培を行っている実証圃場てあります。
島根県出雲市多伎町多伎17-1
 
華蔵温泉
出雲風土記にうたわれた多枝町。その多枝町に華蔵温泉はあります。広大な山陰の海岸線と山塊にいだかれた名湯です。美しい自然と神話の舞台にもなったこの地で新鮮な料理に舌づつみ。 こころが温かくなる温泉です。
島根県出雲市多伎町久村915-4
 
小田温泉
大正末に開湯の自噴温泉。芸術家の主人と女将のこだわりが随所にみられる隠れ家的な一件宿。
島根県出雲市多伎町小田208-3
 
手引ヶ丘公園
出雲市の西端に位置する日本海を見晴らす高台の公園。大きな風力発電の風車が目印。風の子楽習館も併設
島根県出雲市多伎町口田儀458番地1
 
朝日たたら跡
出雲地方では、江戸時代から明治時代にかけてたたら製鉄が盛んに行われました。朝日たたらは製鉄場跡の一つで、昭和56年(1981)に発見され、調査の結果、江戸時代の17世紀から18世紀初頭に操業したと推定されています。ほかに例を見ない、複雑で精巧な炉の地下構造が、ほぼ完全な状態で見学できます。
島根県出雲市佐田町高津屋
 
目田森林公園
目田地のほとりに造られた公園内にはバンガローやテントサイトのほか、設備の整ったコテージを備えています。
島根県出雲市佐田町反邊1141-4
 
須佐神社
「出雲国風土記」にも出てくる歴史の古い神社で、出雲神話のヒーロー「フサノオノミコト」を祀っています。近年は日本有数のパワースポットとして、人気となっています。
島根県出雲市佐田町須佐730
 
出雲須佐温泉「ゆかり館」
出雲神話・須佐之男命を祀る須佐神社に隣接する温泉宿泊施設「ゆかり館」。土蔵風の白い建物が山々の緑豊かな景色と美しい景観美を醸しています。しずかなロケーションの中で、時を忘れておくつろぎください。
島根県出雲市佐田町原田737
 
八雲風穴
夏でも10度前後の冷風が吹き出す不思議スポット。ひんやりとした天然の涼を求めて多くの人が訪れます。
島根県出雲市佐田町朝原1671-1
 
立久恵峡
「山陰の耶馬渓」と称され、そそり立つ奇岩、柱石に老松がからむ絶景は、四季折々(紅葉、雪景色など)に楽しめます。五百羅漢などを巡る遊歩道も完備されています。
島根県出雲市乙立町
 
出雲キルト美術館
皆様をまるごと包む美術館です。築地松に囲まれた出雲平野の地で私は布をデザインし、紡ぎ四季の移ろいの中、日本の心を伝えて行きたいと願っております。皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます。2007年八幡垣睦子
島根県簸川郡斐川町大字福富330
 
出西窯
柳宗悦先生、河井寛次郎先生達の教えにめぐりあい、民藝の教えを作陶の理念として、健やかで、あたたかい実用の陶器作りをモットーに、製作しています。二〇名ばかりの共同体となり、大きい登り窯を中心に灯油の窯も用いて高温焼成の丈夫な陶器作りにはげんでいます。
島根県簸川郡斐川町出西3368
 
湯の川温泉
大国主命と恋に落ちた八上姫が大国主命を慕って出雲の国に入り、温泉で旅の疲れをいやしたところ、一層美しい姫神になったと伝わる。湯の中に含まれるほう酸に美白効果があるとされ、古くから“美人の湯”として有名で、川中温泉、龍神温泉と並んで「日本三美人の湯」と呼ばれています。
島根県簸川郡斐川町大字学頭
 
万九千神社
出雲では全国八百萬神が毎年旧暦十月十一日から七日間出雲大社へ神集われ神在祭が執行されます。引きつづいて佐太神社において神在祭が執行され、最後に当社に神集い、幽議をなされ、同月二十六日には当神社より諸国の神社へ帰国の途におつきになります。
島根県簸川郡斐川町大字併川字神立5258
 
荒神谷遺跡
荒神谷で発見されたとき、全国の銅剣出土総数は300本余りでしたが、荒神谷では4列に並んだ同じ形の銅剣358本が一度に出土しました。この発見はわが国の弥生時代の青銅器研究の見直しを迫る大きな出来事となりました。
島根県簸川郡斐川町大字神庭873-8
 
  
  
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