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勢溜から神苑
いよいよ出雲大社神域の入口である勢溜の木製の鳥居をくぐつて出雲大社参道人ります。
出雲大社神域は、宇迦山のふもとまで約20万平方メートル(約6万坪、荒垣内の境内は23,701坪)あり、参道入口のこのあたりの広場を勢溜といいます。神門通りを振り返りますと、ここが小高い丘になっていますので、いま歩いてきました大鳥居や大社の町並みが見渡せますね。あの大鳥居から更に南に真っ直ぐ伸びる駅通りの先には平成2年(平成2年3月31日JR大社線廃止)までJR大社線が走り、JR出雲市駅間を結んでいました。今は当時の線路が大きな道路に変わり見る影もありませんが、駅舎(旧JR大社駅、大正13年建築、県指定文化財)は当時そのままに保存されています。後で行ってみましょう。
さて、自動車が普及する前は、この通りからここ勢溜は大変賑わい、広場東側には芝居小屋があったそうです。
この勢溜は、寛文7年(1667年)出雲大社のこ造営に併せ、今まで松林であったところを切り開いてにぎわいのために造った広場てす。そしてその東側に間口12間 奥行き19間の大きな芝居小屋力造られました。当時、近郷の人々が大勢集まって楽しみ、大いににきわったことは言うまでもありません。そこて人の勢いの溜まるところといったことから、この広場を勢溜と呼ぶようになりました
ところが、嘉水7年(1854年)に大地震があり、この芝居小屋は倒壊しその辺りの民家百戸も倒れてしまいました。それから6年後、これまでよりさらに大規模な間口20間(36.4m)奥解き35間(63.7m)の芝居小屋か再建されたのてす。それは 京都を除いて西日本一の大きさを誇り、以前にも増して大勢の人々がここに集うようになりました(大正13年にこの小屋は朝日町に移築し、お国座として建立)
明冶45年には、念願の国鉄大社線が開通しました。それによって参拝客が一段と増え、旅館や土産品店の盛況もさることながら、勢溜でもいろいろなイベントが繰り広げられ、大いににぎわいました。
最近は春の大祭礼と秋の献穀祭、夏のご緑祭りなどお祭りのとき賑わいます。
また、秋11月頃には、菊の愛好家による菊花展(出雲大社奉納町花菊花大会)の展示会場になり、手をかけて育てられた色とりどりの菊の秀作(三本立、懸崖、だるま等数百点が出展)を見ることができます。
参道に向かって右手の丘の上には千家尊福公の銅像が建てられています(第80代出雲国造、出雲大社大宮司、出雲大社教初代管長、司法大臣、東京・静岡・埼玉の県知事)。「とーしのはーじめーのためしーとてー」とみなさんも一度は聞かれたことがあるでしょう。正月の定番「一月一日」のうたは千家尊福公の作詞です。では、今度は参道を下って出雲大社に向かいましょう。
参道の坂の途中右手(東側)には小さな社がありますね。 ここは、祓社といって参拝者を祓い浄められる祓井神四柱が祀られています。
そして、坂を下っていきますと太鼓橋が見えますね。この 橋は祓橋と呼ばれています。
…物語ろう出雲国大社より
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