大いなる社「出雲大社」大国主大神
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出雲大社遷宮

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【平成の大遷宮】
 
前回の屋根替えから半世紀が過ぎ、外観から痛みがわかるほど進んでいることから、改修することになった。

平成20年春に御神体をうつし、国宝・本殿の大修理に着手する。

完成には数年かかる見通しで、昭和28年以来、半世紀ぶりの大事業となる。

平安時代、「雲に分け入る千木…」と高さ十六丈(48メートル)もの壮大さが歌われた本殿。

国宝になっている現在の本殿は、延享元年(1744)に造営され、高さは半分になったというが、

伊勢神宮の「神明造り」、住吉大社の「住吉造り」とともに「日本の三大神社建築様式」を今に伝える。

檜皮葺の屋根は、厚さが1メートル以上、全国のヒノキの立木から皮をはいで集めなければならない。

本殿の他、八足門や神々の宿になる東・西十九社などの重文の建築物も修理させるというから、数万枚もの驚くほどの量の檜皮が必要だ。

五年前の巨大柱出土時にも多くの研究者が訪れたが、再び、出雲大社が脚光を浴びることになる。

 
…産経新聞「2005.10.7」より
 
御祭神の大國主大神様のお住まいの御本殿は古くより「天下無双の大廈(たいか)」と称えられますが……

平成12年の境内の八足門(やつあしもん)前での巨大な御柱の顕現によって、

語り継がれた往昔の高さ16丈の「天下無双」の御本殿が明らかとなりました。

現在の国宝御本殿は、延享元年(1744)に御遷宮御造営され、以来、文化6年(1809)、明治14年(1881)、昭和28年(1953)と……

三度にわたり御遷宮御修造がお仕え継がれてきました。

そして、このたび、「平成の御遷宮」をお仕え継ぎいたします。

平成20年4月20日には大國主大神様を仮のお住まいの御仮殿(現拝殿)にお遷し申し上げる「仮殿遷座祭」をお仕えいたします。

御修造がととのいます平成25年5月にはもとの御本殿にお還りいただきます「本殿遷座祭」をお仕えいたします。

また御修造は、御本殿のみならず、境内境外の摂社・末社等も、御本殿御修造に併行して、またその後の平成28年に至る間、お仕えさせていただきます。

なお、この御本殿の御修造の間、ご参拝の皆々様には御仮殿にてご参拝いただきます。

また、皆々様のお願いごと等のご祈願の日々のお取り次ぎのおまつりは、庁舎前に臨時建設の仮拝殿にてお仕えいたしまし。

 
…出雲大社ホームページ「平成の大遷宮」より
 
【巨大神殿の存在】
 

出雲大社宮司の千家(せんげ)家に伝わる「金輪御造営差図(かなわぞうえいさしず)」という、

古代出雲大社の建築平面図を見ると、

一本一本の柱の中に小さな円が三つ描かれていることがわかります。

従来これは、3本の材を束にして、−本の柱として用いることを示していると考えられていましたが……

大社の巨大性を誇張したものとされ、十分な議論がされていませんでした。

しかし今回の調査で発見された柱は、まさに古図面のとおりに配置されており、

実際に巨大神殿があった可能性がにわかに高くなってきたのです。

平安時代の書物「口遊(くちずさみ)」には……

出雲大社の本殿が、東大寺大仏殿や平安京大極殿(だいごくでん)より高かったと記されています。

出雲大社の言い伝えには、かつての本殿が16丈(48m)あったとあります。

当時の東大寺大仏殿が高さ15丈(45m)ですから、

出雲大社の本殿が16丈あった可能性は、十分考えられるでしょう。

出雲大社境内遺跡の調査は今後とも続けられ、さらに同様の柱が発見されれば、

巨大神殿が実在した可能性はますます高くなるでしょう。

 
…まいぶん「島根県埋蔵文化センター編集部発行」2000.No10より
 
出雲大社 →出雲大社の創建 
 
大林組の古代出雲大社の高層神殿復元図
金輪御造営差図(写真 島根県埋蔵文化センター)
大勢の参拝者の見守るなかで顕現した御柱(島根県埋蔵文化センター)
八足門前での巨大な御柱の顕現(写真 島根県埋蔵文化センター)
 
【造営遷宮】
 

一般に神社は定期毎に、また建立されてから一定の期間を過ぎたり、

造営遷宮とは、新しく社殿を建て替え、旧社殿から新社殿へ祭神をお遷し

なぜ、そのようなことをするのか……

たとえば、寺院は基本的に倒れたり、火災にあったりしない限り建て替えられないから、

法隆寺のように、世界最古の木造建築物として残ることもあるが、

することである。

または、倒れたり壊れたりなどした時に立て替えを行い、

神様の霊験をパワーアップしようとする。

そのため、寺院と神社とでは、建築構造において基本的に考え方が異なり、

寺院は柱が朽ちないように、礎石の上に柱を立てるが、

神社は祝詞に「底つ磐根に宮柱太敷く立て、高天原に千木高知りて」との文句があるように、

柱を地面深く埋めて立ててその上に屋根を覆う構造をとってきた。

したがって、神社は年数が経つ内に柱が朽ちはじめ、

寺院のように百年二百年と建物を維持することができなくなるのである。

こうした構造上の問題もあって、

神社は定期的に、または朽ちたり壊れたりした時には臨時的に、建て替えられてきたのである。

なお、現在では伊勢神宮を除いてほとんどの神社は、

柱が朽ちないように礎石を敷いているため、百年以上も前の神社建築が各地で見られるが、

そのような寺院のような建築構造を用いても、なお現在も造営または修造遷宮が神社で行われているのは、

遷宮を行う意義が、やはり神様の霊験を新たにしてパワーアップさせるのが第一で、

構造上の問題は、その次の問題であるからであろう。

さて、遷宮には、定期的に建て替えて、

そのたび毎に、祭神を旧社殿または仮殿(立て替えの期間中だけ、祭神をお遷しするところ)から新社殿へお遷しすることを、「式年遷宮」という。

その代表は、20年毎に造営遷宮が行われる伊勢神宮があげられる。

また、伊勢神宮は、旧暦月の神嘗祭の日にあわせて遷宮を行うことから「祭典遷宮」ともいう。

出雲大社の場合は、60年毎に建て替えられてきたが、

必ずしも定期的ではないため、式年遷宮ではなく、

また特定の祭典の日にあわせて遷宮をするのでもなく、

新社殿が出来上がったら、良き日を選んで祭神をお遷しすることから、

出雲大社の場合は、「造替遷宮」または単に「造営遷宮」といった。

 
…千家尊祀著「出雲大社」より
 
県指定文化財 紙本着色 杵築大社近郷絵図(17世紀)(北島家蔵)江戸時代初期の出雲大社と港町杵築を描く鳥瞰図。
江戸時代の慶長14年(1609)造替時の出雲大社境内(部分)。中央の本殿は1609年完成。豊臣秀頼造営で、高さ19.6m、中央左下の三重塔・鐘楼など寺院建築は、16世紀前半、戦国大名尼子経久の造営になるもの。
寛文年の出雲大社と港町杵築を描く鳥瞰図。
寛文年度の出雲大社の造営遷宮
 
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出雲大社 島根県出雲市大社町杵築東195