| 美保関(みほのせき)の神様は卵がお嫌(きら)いである。鶏の卵がお嫌いである。
同様に牝鶏(めんどり)もひよこもお嫌いで、とくにいけないのは雄鶏(おんどり)で、大嫌いでいらっしゃる。
それだから美保関には雄鶏も牝鶏もいない。ひよこも卵もない。
この土地では鶏卵一個にその二十倍の目方の金で支払うといっても卵を買うことはできない。
美保関に向けて卵は無論のこと鶏(とり)の毛一本運ぼうとしようものなら、小舟も帆舟も蒸気船も雇うことはできない。
それだけではない、朝方卵を食べた人は翌日まで美保関を訪ねるのは遠慮した方がよいとされている。
それというのは美保関の大神(おおかみ)は船乗りたちの守護神でありかつ嵐をしろしめす神だからでもある。
それだからこの大神の神域(いき)へ卵の匂いのあるものを持込む舟には災(わざわい)あれというものだ。
一度松江と美保関の間を毎日通う小さな蒸気船が中海(なかうみ)から外へ向い、外海に出た途端、思いもかけぬ恐ろしい天気に出会った。
乗組員は、なにか事代主神(ことしろぬしのかみ)のお気に召さぬものがこっそり船内に持込まれたに相違ない、と言い張った。
乗客全員が調べられたが、それらしい品が出て来ない。
が船長がふと見ると、客の一人がいかにも真(まこと)の日本男子らしく死を前にして悠々(ゆうゆうと)と煙管(きせる)をふかしている。その小さな真鍮(しんちゅう)の吸口(すいくち)になんと時を告げる雄鶏の図柄(ずがら)が彫ってあるではないか。
その煙管が海中に投げ棄てられたのは言うまでもない。
それから怒れる神は次第に鎮まり給い、小さな蒸気船は無事に神聖な港にはいり、美保神社の大鳥居の前で錨(いかり)を降したのだった。
美保神社の大神がなぜかくも雄鶏(おんどり)を嫌い給い、その領土から鶏を追い払われたかについては、さまざまな口碑(こうひ)が伝わっている。
だがその話の主旨はどれもこれもおよそ次の通りである。
『古事記』に記されたように、杵築(きづき)の大国主命(おおくにぬしのみこと)の御子である事代主神(ことしろぬしのかみ)は美保関へ行って「鳥の遊びし、魚(な)取」るのが常だった。そしてそれ以外の理由もあって事代主神は夜よく家を留守にした。
それでも夜明けまでには必ず帰宅せねばならなかった。
当時、雄鶏は事代主神の信頼厚い僕(しもべ)で、神が帰宅せねばならぬ時刻になると雄々しく時を告げて鳴くのが課せられた義務だった。
ところがある朝、雄鶏はその義務を怠ったのである。
それで事代主神は大急ぎで舟に乗って帰ったが、途中で櫂(かい)をなくし、櫂代りに両手でもって漕がねばならなかった。そうこうするうちに両手を性悪(しょうわる)な魚どもに噛まれてしまったのである。
天気の好い日に松江から美保関まで蒸気船で行くのは素晴(すば)らしい旅である。
中海という美しい潟から外海へ出た後、小さな郵便船は左手の長い出雲海岸に沿いながら進む。
この海岸は切り立ってたいへん唆(けわ)しく、断崖や丘は海から頂上にいたるまでほとんど緑に蔽(おお)われ、多くは段々状に耕されてまるで緑の段々畠のピラミッドの連続のようである。
断崖の麓は、岩がごつごつとして、岩石に刻まれた奇妙な皺(しわ)や褶(ひだ)は古代の火山活動の名残りをしのばせる。
右手のはるか遠くには、青い静かな海面が何哩も続く向うに、長くのびる低い伯耆の浜が見える。
蜃気楼(しんきろう)のように霞んで、その遠く続く砂浜がまるで果てしない白い条のようでそれが青い水面に縁を付けている。
そしてその向うに靄(もや)のかかった森や雲のかかった山なみが横に線上に並んでいる。
そしてそうしたすべての向うに、すばらしい形をした大山(だいせん)の霊峰(れいほう)が空に高く浮び出て、その頂上の筋目は雪を戴(いただ)いている。
こうして多分1時間ほど伯耆(ほうき)と出雲(いずも)の間の海を進む。
左手の峨々(がが)とした砕けた緑の海岸はたまに二つの丘の狭間(はざま)の襞(ひだ)に隠された模型のように小さな村落を見せてくれる。
右手の幻影(げんえい)のような海岸はいつまで進んで行っても変りない。
だが突然、小さな郵便船は汽笛を鳴らし、左舷の無気味な岬の方へ船首を向ける。そしてその岩石畳々(じょうじょう)たる岬(みさき)の根に沿って滑るように進んで行く。
そしてそれまで視界から隠されていた世にも可愛らしい小さな入江の一つの中にはいる。
海岸線の中に貝型(かいがた)にくりこまれた割目で、澄(す)んだ深い水をたたえた半円形の湾である。
周囲はみな樹林で蔽(おお)われた、緑色の高いごつごつした岩山である。その入江の縁(へり)に沿って、日本の小さな町という町の中でももっとも雅趣(がしゅ)に富める町 美保関がひろがっている。
砂浜はない。石で出来た波止場(はとば)が半円形にひろがっている。
そしてその波止場の上には家が建ち並び、家の上には樹(こ)の葉隠(はがく)れに神社の屋根が一つ二つ角(かど)だけ見える。そこは神域の丘で美しい緑に蔽われている。
どの家も裏手から石段が続いて水際まで降りている。そして小舟がどの家の裏木戸にもつないである。
私たちの蒸気船は美保神社の御前で停まった。
神社の石畳(いしだた)みの参道は水汀(みぎわ)までゆるやかにくだって来る。
そこでも石段のところに舟が何艘かつないである。
その幅の広い参道をずっと見やると、向うに大鳥居があり、巨大な石燈寵(いしどうろう)が並んで見える。
二匹のすばらしい彫刻をほどこされた唐獅子(からじし)が高い台座の上に据えられて十五尺ほどの高さから下行く人々を見おろしている。こうした一連のものの向うに神社の外まわりの囲いと門とが見える。
そしてその向うに大きな拝殿(はいでん)の屋根と、そして一段と高く神社の御本体である御明神(ごみょうじん)の尖(とが)った千木(ちぎ)が左右に交差して、こんもり森で蔽われた山の緑を背景にくっきりと浮びあがっている。
絵のような帆掛船(ほかけぶね)が並んで錨をおろしている。二艘遠洋航海用の船もいる。これは近代風の造りで、大阪から来た船らしい。
切り出した石で造ってある、いかにもロマンティックな小さな防波堤もある。その突端には石燈龍(いしどうろう)が据(す)えてあって、そこから小さな太鼓橋(たいこばし)が小島にかかっているが、その小島には水の神様でもある弁天様の御社(おやしろ)が見える。
さて卵は手にはいるだろうか。(中略)
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