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水木しげるロード
境港市観光協会 観光案内所 〒684-0004 鳥取県境港市大正町215 みなとさかい交流館1F
TEL 0859-47-0121 FAX 0859-47-0122 E-mail info@sakaiminato.net
水木しげるサイン 水木しげる
発行所:実業之日本社

監修:水木しげる

著者:五十嵐桂子

協力:境港観光協会

書籍「妖怪の町」より

撮影/野口さとこ
 
水木サンの人生は苦労も多かったけれど、いつも幸せでした。

それは子どものときに境港でたくさんの妖怪たちと出会ったおかげです。

この本を手にしたみなさんは、きっと妖怪との出会いを求めているのです。

ならば、水木サンを信じて、迷わず境港においでなさい。

境港の美しい自然や変わらぬ町並み、素朴で心温かい町の人たち、水木サンの世界を体感できる水木しげる記念館、そして妖怪たちのブロンズ像……境港は妖怪たちに愛されているバカバカしい場所です。

だからこそ心の底から望みさえすれば、妖怪と出会える場所なんです。

水木サンは、ひとりでも多くの人が妖怪と幸福な出会いをはたすことを、いつもいつも祈ってあげていますよ。

のんのんばあとの出会い
 
妖怪はいないという人もいるが、妖怪はいるのだと思わなければいけません。ただ感じにくいかたちをしているので、なかなかつかまえられないだけなんです。

それに、妖怪を感じるか感じないかは、もつて生まれた『妖怪感度』によるんです。それだからこそ、常に妖怪感度を磨いていないと、いけません。

水木サンのように妖怪感度が高くなると、妖怪は人前に姿をみせたがっているのだ、とわかります。

水木サンが妖怪と付き合うようになったのは、境港に住んでいた4、5歳からですから、ざっと80年近くの付き合いになります。

付き合ったというより、水木サンは、妖怪に愛されたといっていいかもしれないな。もしくは、妖怪につかわれているといってもいいかもしれない。

ま、とにかく、小学校に入るまでにはもう、水木サンは40近い、妖怪を知っていました」と水木さんは、ひょろりといってのけた。

水木さんは自分のことを「水木サン」と呼ぶ。水木さんときたら、妖怪である。その故郷・境港が、今、妖怪の町となった。

よく妖怪と幽霊を同じものだと思う人がいるけれど、それはまちがいでね、妖怪ははじめからそこにいるものなんです。あるいは、あるものなんです。

人間の恨みとかねたみとかが原因で現れる陰惨な幽霊と、混同してはいけません。

水木サンは、ベビイのころから、妖怪学校に入り、先生について勉強をしたので、そういうことがわかるんです。

学校の通信簿には、こうしたことは点数に入らなかったので、成績はあまりょくなかったのですが、水木サンは決してなまけものではなく、おもしろいと思う妖怪については一所懸命、勉強してきました。

先生は家に手伝いに来ていた「のんのんばあ」という婆さんでした。

なぜ、のんのんばあというかというと、境港あたりでは、神仏に仕えたりする「拝み手」のことをのんのんさんといっていて、婆さんなら、のんのんばあさん、子どもが呼べばのんのんばあとなるわけです。

のんのんばあという呼び名の通り、その婆さんは人いち倍、信心深かった。そして妖怪世界の隅々まで知っていました。

病気になったときなどに、神様に拝んでくれる「拝み手」のじいさんと結婚していたのだけど、じいさんが死ぬと、ときどき、水木サンのうちに泊まりに来るようになったんです。

今、考えると、のんのんばあは、寂しかったのかもしれんね。泊まるところは、決まってうちの台所でした。

のんのんばあがうちに泊まるときには、水木サンは、のんのんばあの話が聞きたくて、隣に寝たものです。

のんのんばあの話は、こわい。けれど、おもしろい。お化けとか、妖怪の話ばかりするんです。

天井のシミを見つければ、「天井なめ」という妖怪の話をしてくれる。夜、みんなが寝静まった後、天井なめがやってきて、天井をなめてシミをつけるのだと、のんのんばあはいうんです。

で、なるほど、そうかと水木サンは思う。疑う余地はありません。目の前の、台所の天井にシミがあるんだから。そうでしょ。

夜、家がミシミシと鳴ると、のんのんばあは怖い顔をして、それは「家鳴り」だというんです。小鬼のようなものがバタバタと駆け回っているのだと。

海が荒れてゴーゴーという風と波の音が聞こえる日には「海坊主」の話をしてくれる。

例えばこんな風に。

昔、近くに、強い男がおったげな。ある日のこと、町まで用があって出かけたが、帰りは夜になっとつた。ふっと海を見ると、沖のほうに星みたいに光るものがおる。

それは次第に近づいてきた。よく見ると、一つ目の化け物だ。そいつが、海の上をのたり、のたりと歩いてくる。どうなることかと、男が見ているうちに、その化け物が陸に上がってきて、男にもたれかかってきた。

男は化け物に組みついて、押し倒そうとしたんだが、ところがどっこい、体全体がぬるぬるして、つかめない。何べんも何べんも化け物に組みついて、男は疲れはてたんだけど、化け物のほうもだんだん弱ってきた。

そこでもう一押ししてみると、化け物は倒れてしまった。

男は帯をといて、化け物をひっくくると、引きずって家まで帰り、木にくくりつけてそのまま寝てしまったげな。

あくる朝になって、村人がそれを見てびっくりした。けれど、その化け物の名前を知っている人はひとりもおらんかったげな。

ただひとり、90歳ばかりの古老が「これは海坊主というものじゃ、人さえ見ればもたれかかり、体のぬるぬるしたものをなすりつけようとするんじゃ、きっと体がかゆいんだろう」と話したげな。

水木サンは、この話を聞いたとき、海坊主が海の上を歩いてくるのを見たような気持ちになりました。

のんのんばあと歩いているときに、急に晴れた空から雨がふりだせば、必ず『キツネの嫁入り』の話をしてくれました。

でも、水木サンは昔から疑り深いんです。

キツネなんか見たこともないし、だいいちキツネなんて、本当にこのへんにいるのかとも思った。それをのんのんばあに尋ねると、『夜中にいつもコンコンと山で鳴いちょるがな』と、もっともらしくいうわけです。

そこであるとき水木サンは、キツネが鳴いているときに、起こしてくれとたのみました。

それから何日かして、『キツネだ! キツネの声だー ! 』 と、のんのんばあに夜中に起こされた。

耳をすましてみると……コーン、コーン。かすかに向こうの山からキツネの声が聞こえてきた。やっぱり、のんのんばあのいうことは本当なんですよ。

ベビイだった水木サンのために、のんのんばあは、キツネの声が聞こえるまで、何日も毎夜、耳をすましてくれたんです。のんのんばあにはそういうところがありました。

子どもとおとなと区別せず、キツネがいることを水木サンに教えようと、夜中まで起きてくれていたんです。

いろんな妖怪の話をしてくれました。「サザエオニ」「川赤子」「野寺坊」「白うねり」「あかなめ」「猪又」…

のんのんばあによれば、いたるところに妖怪がいるということでした。

日本古来の、普通の人が信仰していた世界を、のんのんばあは人より強く感じていたんだろうと思います。そういうわけで……水木サンもそうなったわけです。

それにしても、水木さんの話を聞けば聞くほど、境港という町が水木しげるロードができたから妖怪の町になったというわけではなく、もとから妖怪を呼び寄せる場所であったような気がしてくる。

境港は妖怪がいたるところに、うじやうじや住みついていた場所で、それを信じている人がたくさんいて、だからこそ、水木少年がのびのび妖怪学の勉強に励めたのではないか、と。

境港は、筆でサッとはいたように海に突き出た弓ヶ浜の先端に位置する港町である。

東は美保湾に、西は中海に、北は境水道を隔てて、島根県松江市に、南は米子市と接している。

弓ヶ浜は、流砂が堆積して形成された砂洲で、伯耆富士と呼ばれて親しまれる大山をバックに、ゆるやかなカーブを描く海岸線は「日本の白砂青松百選」や「日本の渚百選」に選ばれているほど美しい。

奈良時代に記された出雲風土記にこんな弓ヶ浜の逸話も残っている。

今は昔、八束水臣津野命(やつかみずおみづぬのみこと)が国づくりをした際、出雲国は小さすぎると、新羅、越などから国を引っ張ってきて縫い合わせたという。その時、引き綱をつないだくいは三瓶山と大山であり、そして引き綱として用いたのが、出雲国の長浜と弓ヶ浜(夜見島)だという。

 
【古代人の埋葬場所だった夜見島】

夜見島はスサノオが天降りした船通山(鳥上山)に、源を発した肥の河(斐伊川)の、砂土が積ってなった島である。

それが長い年月を経て、現在のような弓状の半島にまで成長したのである。

つまり、当時は綱のような細長い島であったのであろう。

古代には死者を砂浜に葬る風習が在り、この「夜見(よみ)ガ浜」は、古いころから「黄泉の島」であって、死者の住むところであると信じられていた。

 
港という名の通り、境港は古くから天然の良港として知られてきた。山陰随一の海の玄関であり、今もカニと生マグロの水揚げは日本一である。

水木さんはいう。

「境港は港だから、特別に、いろいろな妖怪が入ってきたんだろうと思いますよ。

昔から、いっぱい船が港に入ってきていましたから。妖怪も船に来って、人とともに境港に上陸したんじゃないかな。

それに、境港にはあらゆる妖怪が住みつける条件が整っていたんじゃないでしょうか。

川も海もあります。噴水道を隔てた島根半島の山もすぐ近くです。日本の自然の要素がすべてコンパクトに揃っているんです。

全国が神無月のときに、神様があらゆる場所から終結して、唯一、神有月となる出雲も近くにあります。

水木サンがベビイのころ、境港では妖怪が生活の中にしみこんでいました。

うちの近くには小さな川が流れていたのですが、そこには河童がいるとみんな、信じていました。だから、子どもがその川でおぼれたりすると、『河童にやられた』と大騒ぎになりました。

そういえば、こんなこともありましたよ。

河童にもいろいろあって、中でも「沼の主」といわれる河童は沼の祭りのときに出る河童で、それにつかれると河童つきになるといわれていたんです。水木サンの同級生がその沼の主に興味を持って、沼の主にとりつかれたんですよ。

それでその両親が祈躊師のところに連れて行ったら『ついた河童は一生とれないが、心配は要らない。ただ死ぬときに河童の姿になるだけだ』といわれたそうで、その同級生はひどく気味悪がっていました。

水木サンは、その同級生より長生きして、本当に河童になるかどうか確かめたいと思っていましたが、いつのまにか、同級生の居場所がわからなくなってしまって……残念なことでした。

水木サンは注意深いですからね、とりつかれるような、そんなバカなことはしませんでした。

下の川の浮草とりに行くときは、カッパに命をとられないように、ちゃんと注意をしたものです。

また境港では、七夕とかお盆とか、祭りが人々の大イベントでした。あのころは娯楽が少なかったので、日本全国そうだったのかもしれませんが、今では考えられないほど、年中行事を楽しみにしていたのです。

のんのんばあは、特にそうした年中行事を大事に思っていて、その由来や約束事をよく知っていて、水木サンにいろんな話を聞かせてくれました。

中でも、お盆が近づくと、毎年、のんのんばあは興奮して、お盆にはトンボをとつちゃいけないとか、いろいろ教えてもらいました。

なぜ、トンボを? だって、お盆の間の殺生は許されないし、トンボの背中には仏さんが乗っているからなんです。

トンボをよ〜くみてごらんなさい。本当に、トンボの背中には仏さんのような形がみえますから。

境港では、お盆の三日間は海で泳いではいけないという暗黙の了解もありました。

お盆の三日間には先祖の霊がこの世に滞在していて、その霊に引っ張られるといけないというんですね。ちゃんと合理的な理由があるんです。

水木サンは、ベビイのころから、お盆に行われる灯寵流しが好きでした。

板の上に、紙で灯籠をつくり、中にローソクを入れて海に流すんですが、夜の海に何千もの灯龍が浮かび、光を水に映しながら、プッカリブッカリと流れていって……それはきれいなんです。

そのひとつひとつに霊魂が来っていて、どこかへ移動していくような気がするんです。

のんのんばあは霊はお盆が終わると、十万億土(仏の国)に帰っていくといいました。

水木サンは、その十万億土が、灯寵が流れていく島根半島の先のほうにあると思いました。

本当に幻想的な情景でした。

お盆の最後の日には「送り火」もしました。

のんのんばあが木を燃やして、それから『また、来年もござっしゃれや一っ』と、びっくりするような大声で叫ぶんです。ふと空を見上げると、空の上に登っでいく、霊魂が見えるような気がしたものです。

小学校五年で地理を習ったとき、探しても十万億土という地名が見つからないので、『日本海のどこらへんに十万億土があるのですか』と先生に質問して、笑われましたが、地図にのっていないところにあるんだろうと思いました。そのくらい身近なものだったんです。

いまは復活していますが、一時は、海を汚すとかで、境港では灯籠流しをしなかったそうだけど、残念なことだなと思います。

伝統行事というものは、一種のゆとりのようなもので、自然や祖先の霊とともにあるというような、穏やかな気分にさせてくれるものだと思いますよ」

のんのんばあは水木さんを毎日のように連れて、「正福寺」というお寺に通っていたという。

正福寺は、境港の中でも、由緒ある大きなお寺だ。そこには地獄極楽が詳細に描かれた六道絵が飾られている。

地獄絵が三枚、極楽を描いたものが一枚。

「のんのんばあも水木サンの子守をしているだけでは退屈だったんでしょう。正福寺という寺の和尚さんと話しに行くんです。

その正福寺の本堂には、ものすごい地獄極楽の絵が飾ってあって、のんのんばあは、それを指差して、死んだら人は、本当にこういうところにいくんだぞ、と、水木サンに教えてくれました。

水木サンは素直だから、そうか、こういうところにいくのかと、思う。見れば見るほど恐ろしい。大変なことだ、と思うわけです。

のんのんばあと和尚さんが話をしている間、水木サンは一時間でも二時間でも、その地獄極楽の絵を眺めていました。飽きたりなんかしませんよ。いずれ、自分がいくところなんだから。

それに、絵を見ていると、まるでその世界に入り込んだような気持ちになりました。

この世の他に、別の世界があることを水木サンが知ったのは、そのときだろうと思います。

水木サンが妖怪の世界に惹かれたのも、その地獄極楽の絵を見た経験があったからだと思います。

…文 五十嵐 佳子

  
水木しげるロードの探索
 
駅のすぐ隣は、隠岐へ向かうフェリー乗場だ。運がよければ、一反木綿にまたがる鬼太郎が船体に描かれた「鬼太郎フェリー(しらしま)」が見られるかもしれない。

駅の前には、執筆中の水木さんを鬼太郎たちが見守る大きなブロンズ像がドンと置かれている。

頬杖をついて水木さんを見つめる愛らしい鬼太郎、足を組んで、あごに手をおき、よからぬことを考えている(!?)ねずみ男、一段高いところから見守っている目玉おやじ。

 
 

鬼太郎が上に来っている「鬼太郎ポスト」もある。駅前広場にもたくさんの妖怪がいる。

「河童の三平・タヌキ・カッパ」、「ぬらりひょん」、「ぬっペっぼう」、「がしゃどくろ」、「百々爺」、……。

もうここで、頭のてっぺんがすうすうする気がしてくるはずだ。空を見上げてみればその理由に気づくだろう。

境港はなんと高い建物がひとつもない町なのである。

妖怪の町・境港の空は、頭上に高く、まあるく、カラ〜ンと広がっている。

それゆえ、ふわりと心が軽く柔らかくなるような、ポカ〜ンとした開放感で、訪れる人を包んでくれるのだ。頭のすうすうはそのせいだ。

しかし、もしかしたら、なんでもない町のたたずまいに、あら、と拍子抜けする人もいるかもしれない。

昭和30年代を思わせる、いかにもひなびた感じの商店街だ。

同じようなお土産をどっさり並べた、どれがどれか区別がつかないほどよく似たお土産屋さんがざわざわと軒を連ねる町を思い描いていたなら、たぶん、ものたりなさを感じてしまうかもしれない。

でも、このなんでもなさが、徐々に効いてくる。

 

ふだん着の町だからこそ、じわじわとおもしろさがにじんでくる。

町の人々の日常に、妖怪のエッセンスが無理なく自然に溶け込んでいるからこそ、やがて人の世界に、妖怪の世界が淡く二重写しにみえてくる。そして、じんと、心にしみてくるのだ。

それが妖怪の町・境港と、これみよがしなつくり物の観光地との大きなちがいといっていい。

ここはお土産を買いに来るだけの町ではない。

妖怪の世界と人の世界の両方を呼吸することができる、一種、摩詞不思議な、世界にたった一つの、怪しい町なのである。

  

まずはブロンズ像がたくさん並ぶ、通りの右側を歩いてみよう。

「あかなめ」「田の神」「口裂け女」「豆腐小僧」「大かむろ」「鍛冶姐」「輸入道」……。

いかにもこわい顔をした妖怪もいれば、不気味さ漂う妖怪もいる。愛嫡を感じさせる妖怪もいる。

ところどころ、頭の色が変わっている妖怪にも気がつくはずだ。みんながせっせとなでたために、そんな色になったのだ。変色の有無は人気のバロメーターといっていい。

「袖引小僧」「ねこ娘」「ぬりかべ」「朱の盆」……。

海へと続くきれいなせせらざが真ん中に流れる「しげぇーさん通り」にかかる橋には、てのひらに目玉おやじをのせた鬼太郎が座っている。

 
 

橋の欄干に設置されているのが「鬼太郎と目だま玉おやじ」だ。

数あるブロンズ像の中でも人気が高い鬼太郎親子と一緒に、記念写真を撮った人も多いのではなかろうか。

境港市は、鬼太郎たちの魅力にひかれ訪れる人でにぎわっている。

そんな今、妖怪たちはブロンズ像になっておとなしく道に並んでいるだけではない。

ポストや街灯も妖僅。道行く人の携帯電話にも妖怪グッズがぶら下がり、市役所に行けば、名札には妖怪の絵、住民票だって妖怪の透かしが入っている。

そして境港市では毎年、妖怪にちなんだイベントがつぎつぎと開催されている。妖怪たちの勢いはとどまることを知らないのだ。

季節ごとに折々の表情を見せ、楽しませてくれる妖怪たちのいる水木ロードは、みんなに「いつでもおいで!」と呼びかけている。

橋を渡ると、「川猿」「やまびこ」「自うねり」「倉ぼっこ」 ……と続く。

倉ぼっこの前に、「鬼太郎茶屋」の看板をみつけたら、迷わず入ってほしい。コーヒー一杯200円也。その上、コーヒーにも生妾煎餅がサービスでついてくる。

ここ「鬼太郎茶屋」を営む荒木千童子さんは、水木しげるロードの名物おばさんである。

土日には「ただいまあ」と、まるで親戚のような顔をして入っていくリピーターが引きも切らない。

もちろん、初めて訪ねるお客さんにも、「あんたら、どこから来たの?」と話しかけてくれるはずだ。

荒木さんは「鬼太郎音頭」の作詞家でもあり、鬼太郎音頭保存会の会長でもある。そして水木しげるロードの生き字引でもある。

ただし、「おいくつですか?」といった野暮なことはきかないこと。

「妖怪は年をとりません」と軽くいなされるのがオチである。おいしいコーヒーで一息入れたら、またブロンズ像を見て歩こう。

「木の葉天狗」「雨降り小僧」……そして「鬼太郎」「鬼太郎のゲタ」「目玉おやじ」……。

一緒に写真をとるならこの鬼太郎だ。正面をしっかり向いて、なかなかフォトジュックである。

……「ねずみ男」「カシヤボ」「家獣」「魔方陣の悪魔くんとメフィスト」「座敷童子」。

このねずみ男も人気スポット。写真をとる人でいつもにぎわっている。

「なんじゃもんじゃ通り」の信号を渡れば、アーケード街である。

アーケード街の角には昭和30年代を思わせる日の丸食堂がある。

昔、東京のイタリア料理店で修業したというマスターのつくるカツどん、カレー、オムライス、ラーメンなど、どれもびっくりするほどおいしく、手頃な値段でしかも盛がいい。

しかし、盛のよさは、どうやら、この店に限らないようだ。

境港では、どの食堂でもレストランでも、概してド〜ンと出てくる。それを、老若男女を問わず、もくもくと、みんなのこさずにたいらげる。

食べることにかける水木さんの執念には定評があるが、境港全体の食欲のアベレージもかなり高いのではなかろうか。なんだかとても健康的ではないか。

このアーケードに入れば、水木しげるロードの中心、「水木しげる記念館」はもうすぐだ。

「まる毛」「だるま」「金霊」「大元神」「のんのんばあとオレ」「鬼太郎(赤ん坊)」。

 
 
水木しげる記念館は、白壁の美しい和の建物である。以前は高級料亭として使われていた建物を改装したという。そのせいかしっとりとしたたたずまいを見せ、雅さすら感じさせる。

玄関の前には、広い前庭があり、「赤ん坊の鬼太郎と目玉おやじ」「のんのんばあとオレ」の二つのブロンズ像と、妖怪灯寵が置かれている。

この前庭には、ベンチも置かれていて、天気がよい日にはひなたぼっこをしがてら、近所のおばあさんやおじいさんが、おしゃべりする姿もみられる。

記念館はみどころ満載だ。

まずは東京・調布市にある水木さんの仕事場を再現した「水木しげるの仕事場」。

 
 
山のような資料に囲まれて、コツコツと数々の名作を生み出してきた水木さんの姿を知ることができる。

そして水木さんの人生年表。

 
 

幼い日を過ごした境港での日々から、戦時中、激戦区ラバウルで、九死に一生を得たこと、そしてマンガ家としての活躍の軌跡がまとめられている。

水木さんの過ごしてきた日々を通して、みる人にもまた自分の生きた時代を思いおこさせるような味わい深いものになっている。

そして妖怪はわんさと揃っている。

鬼太郎一家が住む「妖怪アパート」のジオラマ、妖怪のジオラマの前にある水晶球「のんのんばあとオレ」、「妖怪洞窟」、「あやしの土蔵」、「妖怪まぼろし絵巻」。そして水木しげるさんが世界中を旅して集めた妖怪コレクション、その旅の記録。

 
妖怪アパート 妖怪洞窟
異国の仮面
 
企画展示室にはマンガや本、キャラクター商品などが、テーマに応じて紹介してある。

マンガ家としてばかりではなく、生涯をかけて行動する研究家として、妖怪というテーマでアプローチしてきた水木さんの生き方が、ずんと伝わってくる。

と同時に、言葉や肌の色はちがっても、世界中で、多くの人々がたくさんの妖怪の存在を信じ、それぞれの妖怪が、その地方の文化を反映していることに、あらためて驚かされる。

展示品をじっと見つめながら、奥へ奥へと進んでいくと、ふっと視線を感じてはっと振り返っても、誰もいないというようなことが起きるかもしれない。

次の瞬間、背中に下からスススッと寒気が走り、何も見えないのにやはり怪しい気配が背後で渦をまいているような……。

毎日、泣き出して先に進めなくなる子がひとりはいるとスタッフが教えてくれたが、なるほどと、素直にうなずける迫力が記念館には漂っている。

また別のスタッフによれば、開館前や開館後に、ときどき、館内でぴきびき、ばりばり音がすることもあるとか。

記念館では、あっという間に、1、2時間がたってしまう。

水木しげる記念館を見学し終えたら、今度は、きた道の向かい側を通って戻っていこう。

こちら側は、ブロンズ像とレリーフ、妖怪絵タイルとが混在している。

でもその前に、日の丸食堂の向かい側にある「辰巳屋商店」をのぞいてみてほしい。

昭和30年代、まだお菓子類が量り売りだったころの、懐かしいショーケースが今も涼しい顔で活躍しているお店なのだ。

おお、懐かしいと、声をあげてしまいそうな、駄菓子にもお目にかかることもできる。

そして「なんじゃもんじゃ通り」を駅のほうに渡ると、まるで昭和初期を舞台にした映画のセットから抜け出したような、床屋さん「理容いしたに」がある。

白い下見板張りの洋館風の建物に、赤白青のくるくるまわる看板が鮮やかで、中の内装も、昔のまんま。大きな鏡には風格さえ漂っている。シャンプー、顔そりなど、丁寧にやってくれるので、見学かたがた、きれいになるというのもおすすめだ。

「理容いしたに」の前はレリーフゾーン。「海からこんにちは」「世界妖怪会議」「妖怪学校」。レリーフには、いくつもの妖怪が描かれているので、いくつわかるか、チェックしてみるのも楽しい。

「べとべとさん通り」を渡ると、再びブロンズ像に注目だ。

「サラリーマン山田」「コロボック」「魔女の花子」……。

さらに、「おやじ通り」を渡って、「一つ目小僧」「岩魚坊主」「算盤小僧」「閣魔大王」……。

「もくもくれん通り」を渡れば、「べとべとさん」「枕返し」「いそがし」……。

「しげぇーさん通り」のこちら側の橋には、「ねずみ男」が馴染みある例の格好でだらりと寝そべっている。

 
 

ぼかぼか温かい日にそんなねずみ男の姿を見ると、「試験もなんにもなぁい」「仕事もなんにもなぁい」、おまけに自他ともに認める怠け者でも、平気の平左で生きていける、妖怪があらためてうらやましくなってしまう。

小金が好きで、目先の金もうけのためなら平気で仲間を裏切る。

話術が巧みだが、怠け者だから、鬼太郎親子からは離れて生きていけない。

ずるいが憎めないキャラクターである。

よく晴れた休日などに水木しげるロードを歩くと、たまに「ねずみ男」にばったり会うことがある。

ブロンズ像ではない、生きたねずみ男が実際に水木ロードを歩いているのだ。

 
 

ねずみ男がおどけたしぐさで歩くと、観光客たちが集まってきて記念撮影したり、握手したりと、大人も子どもも大喜び。

ねずみ男がロードのごみ拾いをして歩くと、それを見た子どもたちも道に落ちている空き缶やごみを拾ってきてくれるという。

今日も水木ロードでは、子どもたちを抱きあげて楽しそうにしている、着ぐるみのねずみ男に会えるかもしれない。

「こなき爺」「泥田坊」「鉄鼠」……。

境港では、港の常か、ネコの姿をあちこちに見かける。

だが、中でも、なぜか、こなき爺のあたりに、ネコの姿を頻繁に見かけた。

一匹二匹ではなく、ぞろぞろとネコがたまっていたこともあった。

こなき爺が猫だまりに設置されたのか、ネコがこなき爺を慕って集まってくるのかは、定かではないが、ネコと妖怪はやっばりしつくりくると感じさせられる。ネコ好きには見逃せないポイントだ。

さて、ここまできたら、「妖怪神社」にお参りしたい。念を入れるなら、妖怪神社の左隣にある工芸館「むじゃら」で「妖怪念力棒」を購入し、願い事を書き、神社におさめよう。

 
 
この神社の御神体は、二個の黒御影石と樹齢300年のケヤキである。この御神体にふれると、妖怪の持つパワー・妖力によって安らぎと癒しを感じることができるという。

実際にさわってみると、確かに、じんわりと何かが体の中に入ってきて、口がポカッと開き、そこからホヤンとした、目には見えぬ塊が抜け出るような感じだ。

人間界で暮らしているがゆえに澱のようにたまってしまった汚れが抜け出るのか、それとも魂が抜き取られているのかはわからないが、まあ、とにかく気持ちが軽くなることだけはうけあえる。

こでは一反木綿をデザインした鳥居も、見逃せない。

妖怪神社では年末、「妖怪厄払護摩供養」もとり行われる。

今年起きた不幸な出来事をつづり、神社の壷の中で燃やしてもらうと、厄払いになるのだそうだ。妖力が厄を浄化するというのだろう。

妖怪神社に参拝したら、ひとつ戻って、「妖怪ショップゲゲゲ」をのぞいていこう。昔ながら の駄菓子屋さんのような、雑然とした店内なのだが、よく見ると、そこに並んでいるものが並のものではないということに気づくはずだ。

棚にズラリと並んだ妖しく精巧な妖怪たち。

携帯電話を持つ指までが細かく描かれた目玉おやじのストラップ(しかも目玉が光る!)、クリスマスの季節にはサンタクロースの帽子とプレゼント袋を背負ったぬりかべのストラップまで出現する。

その正確な、独創的な作品は観光客にも大変な人気で、歌手の福山雅治がラジオ番組で「目玉おやじストラップ」を絶賛したために、この店を目的に水木ロードを訪れる女の子たちまで現れている。

ここに並んでいるものは、すべて店主・野々村久徳さんの手づくりだ。

本職は電気工事なのだが、そちらは基本的に息子にまかせ、店の中にある大きな木のテーブルで、夜中までコツコツと
妖怪グッズを一人で制作している。

店がこみ合っていないときには、「ま、座ってください」と、テーブルの前にあるベンチをすすめてくれるはずだ。

その穏やかな風貌とやさしい語り口にすっかり打ち解けて、何時間も話し込んでしまう人たちもたくさんいるとか。

野々村さんの机の脇には、そうした人たちからのお礼状が山のように積んである。

また、野々村さんは水木しげるロード振興会会長として、何かイベントがあれば、ねずみ男のかぶりものをかぶって、どこにでもすっとんでいくという別の顔も持っている。

松葉ガニの初ゼリの市場で、カニのかぶりものの隣で、ココ笑顔(のように見えた) のねずみ男は野々村さんだった。

野々村さんはいう。「せっかく境港に来られたんだから、楽しんで帰ってもらいたいんです。こちらからも声をかけさせていただいていますが、いらしたらぜひ、私に声をかけてください。遠慮は無用です」。

「妖怪ショップゲゲゲ」には妖怪ポスト(ちやんと郵便として配達される)があって、投函すると、おなじみのキャラクターの消印(全六種類)を押してもらえるので、野々村さんの机で友人知人、ときには自分宛に手紙やハガキを書く人も多いとか。

さて妖怪神社から水木しげるロードを駅のほうに向かったところに、本物の水木ロード郵便局もある。局員の制服の胸には鬼太郎のプリントが……。手紙や郵便を投函すれば、こちらもまた鬼太郎の消印を押してくれる。

郵便局の前のベンチには、よく、ねこ娘が座っているので気をつけてほしい。

じい一つと座っているので、人形かと思って通り過ぎようとすると、不意に足をぶらぶらさせて、こつちをチラッと見たりする。そして、またじい一つと動きを止めたりするのだから、まったく油断できない。

気配を消したねこ娘に気づかず、観光客が通り過ぎようとしたら、突然、ねこ娘がすっくと立ち上がり、頭を右に左にふらふらさせながら近づいてきたために、のけぞるほど驚かされた人もいるとか。

郵便局からさらに駅に戻ったところには、大人気の「砂かけ婆」のブロンズ像がある。

ここで右に曲がって、噴水道のほうに進もう。

すぐにド迫力の「妖怪倉庫」がふたつ並んで見えてくる。そこには境港が妖怪の中心地になることを願う「日本妖怪地図」と、陸・海・空の安全を見守る「出撃ゲゲゲの鬼太郎」、それに妖怪が自然に溶け込む姿を描いた「妖怪のつづら」の絵が素晴らしいタッチで描いてある。

この倉庫は、境港海陸運送のもので、「境港が貿易・交流の中心になること」、「海陸運送が地域、ならびにお客様に信頼される会社になること」、さらに「地域との共生関係を大切にし積極的に地域貢献する」という決意がこめられているという。

この倉庫、夜はライトアップされて、昼とはがらりと趣を変える。

人気が途絶えた夜、暗闇の中にフワッと浮かびあがる妖怪倉庫は、海鳴りや風の音などの天然のサウンド・エフェクトも加わって、鬼気迫る雰囲気に包まれるので、妖怪好きにはこたえられない光景だそうな。

妖怪倉庫からもうちょっと進み、海沿いの道路にぶつかったところで、「カランコロン通り」を向かい側に渡り、もと来た道を引き返そう。

この通りにも、「さがり」「方相氏」などのブロンズ像が並んでいる。

水木ロードに戻ったら、河童の泉がある。

 
 

2008(平成20)年3月、水木しげるロード内の「ポケットパーク」に新しく出現した泉。

縦5メートル、横7メ−トル、深さ30センチの泉のまわりに、高さ3メートルの塔や切り株や小屋があり、9体の妖怪たちが思い思いにくつろいでいる。

水辺の妖怪といえばやはり河童。

水木しげるロードに泉が出現したと聞きつけて、「河童の三平」が仲良しのを連れてあらわれた。

人気者の「鬼太郎」、「ねずみ男」もやって来た。

「鬼太郎」はのんびりと小便をし、「ねずみ男」は泳ぎはじめた。

河童の仲間の「岸涯小僧」、長生きしたさざえの「さざえ鬼」も仲間に加わった。「小豆洗い」もショキショキと音をたてて小豆を洗っている。

ひときわ高い塔の窓には「悪魔くん」が杖を持って腰かけている。

となりの三平と一緒に、泉で遊ぶ仲間を見守っているのだろう。

水木しげるロードには「やすらぎ、癒し」の妖怪パワーが漂っている。といわれている。そんなロードの中の、ここはまさに妖怪のオアシス。

ロードの妖怪たちは一体一体に効能があるが、ここには9体のパワーが集まっているので、効能も幅広く強力だ。

「河童の泉」で願いごとをすれば、きっとかなえられることだろう。

水木しげるロード7体目の鬼太郎はその姿が印象的な「小便小僧の鬼太郎」。

そもそも小便小僧といったら人間の男の子で発祥はベルギーのブリュツセル。

ルイ15世から衣装をプレゼントされたことがきっかけで世界中から衣装が贈られ、いまでは世界一の衣装持ちだという。

対するわれらが鬼太郎の一張羅といえば黄色と黒の縞模様のチャンチヤンコ。先祖の霊がやどっていて、鬼太郎を守ってくれる特別なものだ。

「河童の泉」とともにあらわれた、水木しげるロード四体目の「ねずみ男」。

これまでの三体の「ねずみ男」は、どれも調子がよくて、なまけものの「ねずみ男」らしい、少し力の抜けた余裕のある表情を見せている。

ところがこの「河童の泉」の「ねずみ男」は、ちょっとほかとはちがっている。なんだかいつもより顔つきに余裕がない。

見ようによっては、一生懸命な表情にも見える。どうやら「ねずみ男」はあまり泳ぎは得意でないようだ。

もしかしたら仲間たちからばかにされないように、泳ぎれんしゅうの練習をしているのかもしれない。

ブロンズ像はまだ続く。

「提灯小僧」「川赤子」……、そして「ゲゲゲの鬼太郎」の塔。

実は水木しげるロードの中でもつとも高さが高い像が、このゲゲゲの鬼太郎の塔である。

両手をあげて大地を踏みしめる鬼太郎を高さ2.3メートルの八雲石の上からひざまずいて見守る目玉おやじ。その大胆な構成の中に、自然への畏敬の念をかきたてる力強さと親子の温かな情愛が流れている。

「キジムナー」「濡れ女」……。これで水木しげるロードを一巡、境港駅へとかえってくる。

 
妖怪たちが語るこの国のかたち
 
境港を実際に訪ねてみて、私が感じたのは、一般の観光地とは異なり、どんな詳細な情報を詰めこんだ「ガイドブック」作ったとしても、境港の本当の魅力は伝わらないだろうということだった。

あれをして、これをみて、そこの店で何を食べて……境港のおもしろさは、そうした情報だけではとても、語り尽くせない。

そんな境港の本当の魅力をどうやったら伝えられるかと、担当編集者とともに知恵を絞った末に誕生したのが、この本である。

観光情報だけでなく、「水木しげるの故郷への思い」そして「町おこしの経緯と現在」を3本柱にしたいと考え、そのために、ガイドブックのような、水木さん本のような、町おこし本のような、こんな奇妙な本ができあがった。

よい意味でいっているので、誤解しないでいただきたいのだが、そもそも、境港には、一冊の観光ガイドブックが成立するほど、観光情報の対象になるアイテムが多くない。

もちろん、お土産を売っている店は少しずつ増えてきたが、一般に期待されるような数や種類が揃っているわけではない。

観光日当てに整備された酒落た町並みがあるわけでもないし、レジャー的施設や華な宿泊施設、洗練されたレストランや料亭が、もれなく軒を連ねているわけでもない。

もちろん、妖怪ムードを盛り上げるべく、いろいろな工夫はなされているが、境港は、かつては日本全国、どこにでもあった、ごくありきたりな、地方の商店街に、水木妖怪のブロンズ像がずらりと並んだだけの町である。

だが、一度、訪ねれば、なるほど、だからこそ、境港に人々が魅了されるのだと感じずにはいられない、何かが確かに存在する。これまでの「観光」の概念をがらりとひっくり返してくれる町、それが境港なのである。

境港に人々がなぜ魅力を感じるのか。

最後に、改めて、この点について考えてみたいと思う。

境港の現在の活況の中に、今の日本人が心の奥底で求めているものが見えるような気がするのだ。

 
巨匠・水木しげるの偉業
 
境港の人気の理由として、まずは、水木妖怪の魅力があげられるだろう。

水木しげるさんは、誰もが認める日本のマンガ界を代表する巨匠である。が、かつては、「どこかかわったマンガ家」あるいは、「妙なものをテーマとしたマンガ家」と一般的に思われてきた。

明るくモダンで、インテリで、人類愛を説き続けた手塚治さんとは対極的に、どこか暗い、人間の負の部分を好んでとりあげたマンガ家だと思われがちだった。

だが、水木しげるロードに立ったときに感じる「安息感」「幸福感」はどうだろう。

アニミズム的イメージを凝縮した神秘的存在である妖怪が、するりと自分の中に入り込み、心の深いところがホッと寛ぐような、肩の力が抜けていくような。

妖怪なるものに囲まれていることで、私たちは、こんなにも自然で穏やかな気持ちになれるものかと、深く納得させられてしまうのだ。

こうしたことについては、水木マンガを愛する荒俣宏氏、京極夏彦氏、足立倫行氏、そして宮部みゆき氏までもが、様々な角度から発言しているし、民俗学などの多くの研究者がいろいろと考察を試みてきた。

しかし、あえていわせていただけるなら ──

どんな宗教を信じていようと、無神論者であっても唯物論者であっても、境港の水木しげるロードを訪ねたとき、私たち日本人の心の奥底に、「多神教的な価値観」「アニミズム的価値観」が今も根強く生きていることに気づかされるのではないだろうか。

同時に、近代化、戦後の大衆民主主義化という社会の変化の中で、ときにはとるにたらぬムダなものと無視され、ときには打ち捨てるべきものとして否定されてきたにもかかわらず、それらは、決して人々から奪いとることの出来なかったものであったことを、私たちは自らの中に再発見するのではないだろうか。

水木しげるさんは、マンガ、それから派生したアニメ、また妖怪研究の成果としての「妖怪の映像化」という、もっとも現代的なメディアを通じて、極めて魅力的な表現活動をなしとげてきた。

その偉業のおかげで、いったんは断絶したかのように見えた日本人の心性、そして文化的伝統が、次の世代へと引き継がれたといえるのではないか。そして、境港の水木しげるロードは、その意味を、まさに実感できる場所であるのではないだろうか。

 
発行所:実業之日本社 監修:水木しげる 著者:五十嵐桂子 協力:境港観光協会 書籍「妖怪の町」より
 
【水木 しげる(みずき しげる)】
本名武良茂。1922(大正11)年生まれ。鳥取県境港市に育つ。少年時代はガキ大将でならし、同時に景山ふささん(のんのんばあ)の影響を受けて妖怪の世界に目覚める。1943(昭和18)年、21歳で応召しラバウルヘ出征、爆撃で左腕を失う重傷を負うも現地人と深く交流。1946(昭和21)年に帰国後、得意の絵をいかして紙芝居作家となり、1957(昭和32)年には貸本漫画家としてデビュー。1964(昭和39)年から雑誌『ガロ』に発表した連作で人気を博す。翌1965(昭和40)年、『テレビくん』で第6回講談社児童漫画賞を受賞。以後、『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』『河童の三平』といった妖怪マンガの代表作を次々に発表、それらはテレビ番組化され「妖怪ブーム」を巻き起こす。マンガ界を代表する巨匠の地位を固める一方、妖怪研究家、冒険家としての多彩な活躍による文化貢献も評価され、1991(平成3)年に紫綬褒章、2003(平成15)年には旭日小綬章受章。また、境港での少年時代を題材とした自伝的作品『のんのんばあとオレ』は1991(平成3)年にNHKでテレビドラマ化され文化庁芸術作品賞を受賞した。
 
【五十嵐 佳子(いがらし けいこ)】
お茶の水女子大学文教青学部卒。ライターとして女性誌を中心に活躍する−方、小説なども発表。主な著書に「Shoes&Foot」(エクスナレッジ)、「優しい時間」(旬報社)、「女性弁護士物語」(共著日本評論社)などがある。
 
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