| 琴引山とは『出雲国風土記』に、
琴引山(ことびきやま)。郡家の正南三十五里二百歩なり。高さ三百丈、周り一十一里あり。古老の伝へに云へらく、此の山の峯に窟(いはや)あり。裏(うち)に所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)の御琴(みこと)あり。長さ七尺、広さ三尺、厚さ一尺五寸あり。又、石神あり。高さ二丈、周り四丈あり。故(かれ)、琴引山と云ふ。
『風土記抄』に、
「俗呼んで琴神山という是なり。来嶋郷由来村に在り。山頂に権現祠あり。謂わゆる所造天下大神なり」
とあって、今の飯南町の琴引山である。
弥山ともいう。
琴引山という名は、大神がこの琴を弾かれたというような伝承によるものであろう。
山頂に切り岩を積んだ塔があり、やや下った所に神社がある。
登山口は頓原町の西南二粁ばかりの所であるから、「三十五里」は「四十五里」とあるべきところを誤ったのであろう。
窟(いはや)は岩穴。
登山道の裏側、頂上より少し下った八・九合目あたりに、自然の岩でできた洞窟があるのがそれであろうとされていたが、記述が合わない。
この山の表側塔の谷を頂上から100mばかり下ったところに、大神岩と呼ばれる岩組があって、
屋根状にすがり合った巨岩の中に、三枚の石が切石のように並び、
手前のは2.4m米、巾90m、厚さ平均50mくらいで琴石の記述に近い。
恐らく上古は土に蔽われた岩窟であったのが露出したのであろう。
大神岩と呼ばれている点からも、これが大神の琴の窟と考えられる。
琴は上古巫子が神意を問う時に用いたので、重要な祭器であった。
古事記神代巻に、大国主神が須佐之男命の生太刀・生弓矢及び、天の沼琴を受けて国作りを始められたことが見えるのも、
太刀弓矢をもって従わぬものを平らげ、またその琴を弾き神意を問うて国作りされる意味があったのである。
石神は大神岩の北方50mの陵線に立つ「烏帽子岩」で、三角錐状・高さ6.1m・周囲12mで、よくここの記述に合っている。
石を神として祀ったものは、楯縫郡の神名樋山にあった。
『三代実録』の貞観16年(874年)9月8日、
「石見国の上言に、石神二、出雲国より来るという。是の日従五位下を授く」
とあるのを始め、当時石神信仰は広く行われていた。
ここでは同じ大神の神霊の岩と仰いだのである。
|