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オロチ退治伝説の地を訪ねて →雲南市

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草枕(くさまくら)雲南市加茂町神原 ↑トップ
 
斐伊川と赤川の合流点に近いところに位置する草枕山は、八塩折の酒(やしおりのさけ)を飲んだヤマタノオロチが、苦しんで枕にして寝た山であるといわれています。

赤川は安政年間まで草枕山を迂回して斐伊川に注いでいましたが、度重なる水難のため山を真二つに切り開き流れを変え、現在に至っています。

赤川により真っ二つにされた草枕山
 
八口神社(やぐちじんじゃ)雲南市加茂町神原98 ↑トップ
 
出雲国風土記には、「矢口社」と記載されています。また延喜式には「八口社」と記載されています。

須佐之男命が八俣大蛇の八つの頭を斬られたにより八口大明神といわれた。

また、八塩折(やしおり)の酒に酔い草枕山を枕に伏せっているところを、男命(みこと)が矢をもって射られたので矢代郷、式内社矢口社という。

 
八口神社の神域
八口神社
 
尾留大明神旧社地(おとめだいみょうじんきゅうしゃち)雲南市加茂町三代 ↑トップ
 
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の発祥地である。

八塩折(やしおり)の酒(さけ)に酔いつぶれた大蛇を退治した須佐之男命(すさのおのみこと)は、この御立薮(おたてやぶ)で大蛇の尾を開いて宝剣を得られたが、

その宝剣の上に怪しき雲があったので、「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」と名づけて天照大神(あまてらすおおみかみ)に献上になり、

後、三種の神器の一つとして今も名古屋の熱田神宮に祭られている。

この御立薮(おたてやぶ)(現在は畑地)は須佐之男命(すさのおのみこと)と稲田姫を尾留大明神(おとめだいみょうじん)と称し広く崇拝されていたが、

斐伊川の氾濫により、延亨元年(1744)、約200メートル南方のここ大津の兵陵中腹に移転。

明治4年に御代(みしろ)神社と改称され、

更に大正元年日吉神社地に移転合祀して今の御代(みしろ)神社(南方500メートル)となっている。

 
大蛇の尾を開いて宝剣を得られといわれる、斐伊川と赤川の合流地点の田園風景。
兵陵中腹にある尾留大明神旧社地
御代神社…地元の人は「みよじんじゃ」と呼んでいる
 
八本杉(はっぽんすぎ)雲南市木次町里方 ↑トップ
 
出雲神話での主役は須佐之男命と八俣大蛇ですが、この八本杉はその古戦場です。

古事記の八俣大蛇退治には、体が一つで頭が八つ、尾が八つの大蛇を退治し、その八つの蛇頭をこの地に埋めて、記念に八本の杉を植た場所といわれています。

 
八本杉
大蛇退治古戦場
 
八俣大蛇公園(やまたのおろちこうえん)雲南市木次町新市 ↑トップ
 
古事記(712年)によれば、出雲神話は高天原を追われた須佐之男命が、肥河(ひのかわ)の上流、鳥髪(とりかみ)の地に向かう途中、

上流からはしが流れてきたので訪ねてみると、足名椎(あしなづち)・手名椎(てなづち)の老夫婦とその娘櫛名田比売(くしなだひめ)から八俣大蛇(やまたのおろち)の話を聞き、

これを退治した「ヤマタノオロチ退治」から始まります。

須佐之男命は大蛇を退治して、櫛名田比売と結婚し、須賀の地に宮を造り、「八雲立つ 出雲八重垣妻ごみに…。」の歌を詠み、

八島士奴美神(やしましぬみのかみ)をはじめ、出雲系の神々をもうけ、

子孫の大国主命(おおくにぬしのみこと)(大黒さま)の「因幡の白兎」、更に事代主命(恵美須さま)を交えた「国譲り」へと続きます。

出雲神話は、こうして須佐之男命が斐伊川で流れ下る箸を発見されたところから幕が開く訳ですが、

その場所は伝説などから当地とされ、現在「八俣の大蛇公園」となっています。

 
スサノオノミコトとヤマタノオロチが対決した場面を再現した石像と「箸拾いの碑」
 
佐世神社(させじんじゃ)雲南市大東町下佐世1202 ↑トップ
 
古事記によれば、「八岐の大蛇」を征服した素豊嶋尊は此の地(佐世)の小高い丘を選び、稲田姫と一緒に勝利の御旗をあげたと伝承されてきました。

傍らの木の枝を手折りこれを頭に刺して勝利の歓声をあげながら踊躍(おどり)を舞いその時頭に刺した髪刺(かんざし)の小枝がぽとりと地面に落ちました。

これを見た素羞鳴尊は即座に「サセ」と宜もうたと伝えられ、サセと即座に判断された素蓋鳴尊の言葉に因んで当地を是よりサセと号し以来「佐懶」「佐世」と記されるようになりました。

のち此の伝承の地は、天皇永代記念の地として、更に権力の砦として征服者素豊嶋尊を祀る「佐世神社」が誕生したのです。

此の他素豊嶋尊を祀る神社は各地に点在していると云いますのも、素豊嶋尊は出雲国平定後、出雲に良鉄のある事を発見し、

斐伊川をさかのぽり雲南二郡の外、広く各地で砂鉄製鉄の業をも伝えたと言われ、伝説も数多く伝えられているからです。

佐世神社が創建されたのは五世紀前後の古墳時代の頃からと思われ、その頃、朝廷から派遣された白髪の部において是を知ることができます。

清寧(せいねい)天皇(480)の御代、名神とされる素豊嶋尊を永代記念するため天皇御名代として白髪王子とその部の民が派遣されていることは、

後に記述された「古事記」「日本書紀」に於て知ることができます。

是等の記述から見て、佐世神社は白髪王子の部の民に依り守り伝えられてきたことが「佐世神社」とその境内周辺の地名を白神(白神・白上共に白髪の借用)と称し、

佐世神社は白神山に鎮座されていることなどに依り明らかです。

また素蓋鳴尊に伝承された「サセの木」の地に「佐世神社」を祀り、それが永代伝承されてきたのは白神山であり、

素豊嶋尊に伝承された踊躍の地は白神山であったことも白髪の部により明瞭とするところです。

以来此の地は佐世、白神と呼称も両用されてきました。

佐世神社の境内には五代の森があり、素蓋鳴尊が、佐世(させ)の木(ツツジ科の植物)の葉を頭に挿して踊っているときに、その枝が地に落ち、生長したといわれるシイの巨木があります。

新しく芽を吹き老いては又芽を吹く素晴しく達しい巨木で、是を素豊嶋尊に例えるにふさわしく、「佐世の木」として伝承された巨木です。

 
…白神尚彦・白神敏玲共著「獅子頭は語る」より
 
この地は巨大な霊感スポットである。

佐世神社宮司の白神尚彦さん宅に、磁場が反転する場所がある。

磁石をその上に持ってくると南北が逆になった。

白神さんの話では、出雲の古い神社ではこのような現象は珍しいことではないという。

出雲の古い神社を探索するときには、磁石を持参すべし !

きっと、あなたと神様の対話ができる、霊感スポットが見つかるかもしれません。

 
五代の森
佐世(させ)の木
佐世神社
 
布須神社(ふすじんじゃ)雲南市木次町宇谷367 ↑トップ
 
建立の年代は不詳、当社は延喜式に記載のお社で出雲国風土記にいう布須社(ふすのやしろ)である。昔から人々に室山(むろやま)さんと呼ばれて崇拝されている。

風土記には「神須佐乃呼命(かみすさのおのみこと)御室令造給所宿給故云御室」と記されている。

神代の昔須佐之男命が八岐の大蛇を退治されたときに「八塩折(やしおり)の酒」を造らせられ御室(神の御座所)を設けて宿せられた所であるという。

神社は室山の南半腹に造営されており、太古から御本殿は室山そのものを御神体として崇拝する。

神社の麓には「釜石」といわれる神石があり、須佐之男命がここで酒を造られたものと言い伝えがある。

また、室山の裏側には「赤床」と呼ばれる場所があり、平安時代の初期から鎌倉時代(800〜1300年ごろ)にはここに「42坊」があって山岳佛教として栄えていたと伝えられ、

今も昔の根跡をとどめる石の階段などが往時を物語っている。

 
布須神社
布須神社は甘奈備式のお社で拝殿の奥に磐座がある
 
釜石(かまいし)雲南市木次町寺領 ↑トップ
 
御室山(みむろやま)にはスサノオノミコトとクシイナダヒメを祀る布須神社(ふすじんじゃ)があります。

その麓にある岩は「釜石」といわれ、スサノオノミコトがオロチ退治のときに「八塩折の酒(やしおりのさけ)」を造らせた釜跡であると伝えられています。

 
釜石
 
長者の福竹(ちょうじゃのふくたけ)雲南市木次町西日登 ↑トップ
 
アシナヅチ、テナヅチとクシイダダヒメは、ヤマタノオロチの危害から逃れるとき、この地に立ち寄り休息されました。

使っていた竹の杖を地面に立てたところ、杖から根が出たことから「長者の福竹」という地名になったといわれています。

また、登った山の峰は「伴昇峰(ばんしょうがみね)」と呼ばれています。

 
長者の福竹…現在畑になっていて中心に南天が植えてある
 
印瀬の壷神(いんぜのつぼがみ)雲南市木次町西日登1524-1 ↑トップ
 
印瀬の八口神社(やぐちじんじゃ)の境内にある壷は、スサノオノミコトがオロチ退治の時に「八塩折の酒(やしおりのさけ)」を入れた八つの壷のうちの一つと伝えられ、

「壷神さん」として祀られています。

昔土民がこの壷に触れたところ、俄(にわ)かに天はかきくもり山は鳴動して止まず、

八本の弊と八品の供物を献じて神に祈ったところようやく静まったという。

村人たちは人の手に触れることを恐れ、多くの石で壷をおおい、玉垣で囲み注連縄(しめなわ)をめぐらし、

昔のままの姿で昔のままの場所に安置することにつとめ、現在にいたっているものである。

 
八口神社神域
八口神社と壷神
石で覆われた「印瀬の壷神」
 
大森神社(おおもりじんじゃ)雲南市木次町東日登1345 ↑トップ
 
スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治してクシナダヒメを救い、結婚の約束をして須賀の地へ向かう途中、大森の地にしばし宿られ、

婚儀の準備をされたといわれています。

 
大森神社境内
大森神社
 
河辺神社(かわべじんじゃ)雲南市木次町上熊谷1462-1 ↑トップ
 
スサノオノミコトの妻、クシイナダヒメが懐妊されたとき、産湯に使う良い水を探し求めたところ、「甚く久麻久麻志枳谷なり(いたくくまくましきたになり)」と仰せられ、

河辺神社を御産所に定められたといわれています。

「久麻久麻志枳谷」は奥まった静かできれいな谷という意味であり、

これから熊谷(くまたに)という地名がついたといわれ、「熊谷(くまがい)さん」と呼ばれる産湯に使う水を汲んだ井戸の跡も残されています。

 
河辺神社境内
河辺神社
河辺神社本殿
 
天が淵(あまがふち)雲南市木次町湯村
 
斐伊川上流、木次町と吉田町境にある天が淵は、ヤマタノオロチが棲んでいたところといわれています。
 
天が淵
 
温泉神社(おんせんじんしゃ)雲南市木次町湯村1060 ↑トップ
 
むかし、万歳山のふもとに住んでいた足名椎(あしなづち)と手名椎(てなづち)には八人の娘がいたが、

天が淵に棲む八俣(やまた)の遠呂智(おろち)(大蛇)(大岐蛇)によって次々にたべられ稲田姫一人となった。

そこに須佐之男命が参られ遠呂智退治となる。須佐之男命は稲田姫を妻にむかえられ、国づくりがなされていく。

稲田姫の父神足名椎、母神手名椎を祭った二神岩(ふたごいわ)は万歳山の中腹にあるが、

山崩れで参道道がなくなり、天ヶ淵の上に玉垣を設けて拝神していた。

国道改修にともない、その神陵が温泉神社境内に遷座されたものである。

 
温泉神社
足名椎・手名椎神陵
温泉神社本殿
 
日本最古の宮「須我神社」(すがじんじゃ)雲南市大東町須賀260
 
古事記は、肥河上(ひのかみかみ)で八俣遠呂智(やまたのおろち)を退治せられた速(はや)須佐之男命は、宮造るべき所を求めて此処、出雲国須賀の地においでになり、「吾此地に来まして、我が心須賀須賀(すがすが)し」と仰せになつて、此地に宮殿を御作りになりましたが、其地より美しい雲が立ち勝るのを御覧になり、
 
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を
 

(雲までが八重に 湧き立ち 宮に八重垣を 作っている。 わたしたち二人を 寵らせようと 雲が立つのだ ああその八重の 瑞垣よ。)

の歌を詠んだとする。

尊の姫への思いが伝わってくる作品である。

即ちこの宮が古事記・日本書紀に顕われる日本最古の宮「日本初之宮」である。

そして、ここが「三十一文字和歌発祥の地」であり、この御歌の出雲が出雲の国名の起元でもあります。

又須佐之男命と奇稲田比売命の間の御子神が清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)で、この三神が当社の主祭神である。

出雲風土記(天平五年、西暦733年)では、此処を須我神社、須賀山、須我小川等の名に表現され、

風土記抄(天和三年、西暦1683年)には須我村とあり、須我は広く此の地方の総称であつたことがうかがえる。

須我小川の流域に、曽つて十二の村があつて、この須我神社は、この地方の総氏神として信仰されていたものであり、

また、須我山(御室山、八雲山)の山ふところには巨岩夫婦岩並びに少祠があり、須我神社奥宮(磐座=いわくら)として祭祀信仰されている。

須我山の主峰八雲山は、眼下に中海や宍道湖を見おろし、島根半島から弓ヶ浜、東方遥かには出雲富士(伯耆大山)を望む景勝地で、

近年から頂上で盛大に行なわれる歌祭りをはじめ、四季にわたって全国各地から来遊の登山(参拝)者が多くなっている。

 
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須我神社
須我神社奥宮参道にある御祓所
日本初之宮跡地の須我神社奥宮(磐座=いわくら)
 
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