| 古事記によれば、「八岐の大蛇」を征服した素豊嶋尊は此の地(佐世)の小高い丘を選び、稲田姫と一緒に勝利の御旗をあげたと伝承されてきました。
傍らの木の枝を手折りこれを頭に刺して勝利の歓声をあげながら踊躍(おどり)を舞いその時頭に刺した髪刺(かんざし)の小枝がぽとりと地面に落ちました。
これを見た素羞鳴尊は即座に「サセ」と宜もうたと伝えられ、サセと即座に判断された素蓋鳴尊の言葉に因んで当地を是よりサセと号し以来「佐懶」「佐世」と記されるようになりました。
のち此の伝承の地は、天皇永代記念の地として、更に権力の砦として征服者素豊嶋尊を祀る「佐世神社」が誕生したのです。
此の他素豊嶋尊を祀る神社は各地に点在していると云いますのも、素豊嶋尊は出雲国平定後、出雲に良鉄のある事を発見し、
斐伊川をさかのぽり雲南二郡の外、広く各地で砂鉄製鉄の業をも伝えたと言われ、伝説も数多く伝えられているからです。
佐世神社が創建されたのは五世紀前後の古墳時代の頃からと思われ、その頃、朝廷から派遣された白髪の部において是を知ることができます。
清寧(せいねい)天皇(480)の御代、名神とされる素豊嶋尊を永代記念するため天皇御名代として白髪王子とその部の民が派遣されていることは、
後に記述された「古事記」「日本書紀」に於て知ることができます。
是等の記述から見て、佐世神社は白髪王子の部の民に依り守り伝えられてきたことが「佐世神社」とその境内周辺の地名を白神(白神・白上共に白髪の借用)と称し、
佐世神社は白神山に鎮座されていることなどに依り明らかです。
また素蓋鳴尊に伝承された「サセの木」の地に「佐世神社」を祀り、それが永代伝承されてきたのは白神山であり、
素豊嶋尊に伝承された踊躍の地は白神山であったことも白髪の部により明瞭とするところです。
以来此の地は佐世、白神と呼称も両用されてきました。
佐世神社の境内には五代の森があり、素蓋鳴尊が、佐世(させ)の木(ツツジ科の植物)の葉を頭に挿して踊っているときに、その枝が地に落ち、生長したといわれるシイの巨木があります。
新しく芽を吹き老いては又芽を吹く素晴しく達しい巨木で、是を素豊嶋尊に例えるにふさわしく、「佐世の木」として伝承された巨木です。
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