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| 大元神鎮座地 |
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| 大元神楽の夜、「今年のこの月この日この時、神楽の斎庭で神遊びしよう」との歌を挟んで、注蓮主が神名帳で舞殿に勧請する神々の主客は、大元の神々である。
「大元神はどこに祀られてあるのか」
大きい社が建立され、そこに祀られてある名の通った神よりも、ずっと前から土地の人々が守り続けてきたのが、「大元さん」である。
「大元さんは神木に祀られてある」を古い態とし、後に祠(ほこら)が建てられたり、神社境内に移されたり、合祀されたりの運命とともに、時代を経て現在がある。
「鎮座地」の名称はこのようにして、生まれている。
伝承保存会では、平成5年度事業として、その実態調査を実施した。
各地の神社文書を中心に、土地に残る文書や、云い伝え事項などから調査を進め、明治20年刊行の藤井宗雄者「石見国神社記」を重要確認資料とするなど、組織を挙げての取り組みであった。
その結果は冊子「大元の神々(大本神鎮座地調査報告書)」として刊行した。
この書は貴重な資料として重宝されている。
本誌には、すべての鎮座地の名称を伝えるため、まず前著からの目次を掲げる。
その上で約三分の一の場所を選んで、個別資料を転記することとした。
ときは刻々に過ぎてゆく。
調査時点よりすでに8年経過している。
鎮座地を知る人も減ってゆく実態であろう。
いにしえの人が手をあわせた文化遺跡が大切に保存されることを願って止まない。
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| …邑智郡大元神楽伝承保存会編集「伝承大元神楽」より |
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| 大判の大元神 |
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| 鎮座地 |
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| 邑南町(羽須美地区)今井 |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「今井村大判の大元神」とあり |
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| 祭地の状況 |
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| 金井谷川と宇都井川の合流するところ、宇都井と今井の境に祀る。
御神木は椿の古木であったが、昭和10年頃の大雪に根本から倒れ、芽生えもなかった。
昭和23年頃故服部藤馬医師の遺志により、遺族によって元の古木跡から少し下がったところに、一枚石の自然石で石室を造り斎場となし現在に至る。
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| 維持状況 |
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| 普段の管理は地主の松島静男氏が草刈り等を行っている。 |
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| 伝承事項 |
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| 大正3年、宇都井今井、御崎帳を伝える。23神が記されてある。
故高橋重夫氏の遺稿(昭和50年代)によると、阿須那村時代の大元神楽として「天蓋の緑の糸に〜」による天蓋の舞、「今年のこの月〜」による藁蛇(御崎)の舞のことが丹念にのべられている。
なお「神楽」と言えば御崎と天蓋のあるもの、それのないものはただ「舞」と称していたという。
他にこの地に、石見国神社記には「宇津井村宮の谷大元神」があるが不明。
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| 式年祭との関係他 |
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| 5年ごとに行われる宇都井地区年季祭に、この大元神が勧請される。
場所は戦前の小学校校庭時代を経て戦後は小学校内、そして今は児童館である。
御崎綱(藁蛇)に御崎幣をたてて神勧請がなされる。
終わったあとの御崎綱はこの地に収められる。
他地より神楽団を招聴。
宇都井神楽団は明治5年頃、宮内松島社家より伝授され、松島しょういち、松島秋太郎、三上隆重の各氏に伝えられ、戦後は松島悟氏等に伝えられていたが昭和32年に解散した。
九天蓋の奏楽、恵美須舞については後世に残したい。
(松島悟氏談)
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| 大元神社 |
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| 鎮座地 |
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| 邑南町(羽須美地区)雪田国信山(くにのぶやま) |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「雪田村天満宮末社大元神」とあり |
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| 祭地の状況 |
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| 雪田集落は現在戸数122戸で、瑞穂町出羽、和田の地に接する地である。
かって旧雪田村天満宮境内杜として祀り、樅の大木を御神木としていたが、いまは跡地に御神木だけが残っている。
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| 維持状況 |
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| 祭地の草刈り等は、田中春一氏、田中善治氏により行われている。
しめ縄は地主の田中善治氏により、張り渡されている。
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| 伝承事項 |
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| 阿須那賀茂神社の棟札によると、「元亀元年(1570年)八達一本、大神楽並びに柱松二十三本」とあり。
(日高伊三氏資料)
石見国神社記によると「棟札奉寄進大元大明神御舎亨和三癸亥年菊月中六日大願主富組中」とあり。
神社文書によると、「豊受姫命は大元神社と称し、大字雪田字国信山に鎮座、村杜天満宮の境内神社としてありしものにして、由緒不詳、明治四十一年二月合祀出願の上許可を経て同年四月十八日、阿須那羽尾山賀茂神社に合祀す」とあれり。
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| 式年祭との関係他 |
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| 4年ごとに行われる雪田地区年季祭に、この大元神が勧請される。
場所は神社舞殿、雪田倶楽部、旧公民館を経て、現在雪田集会所である。
雪田神楽団が神楽を奉納する。
この団は阿須那の斎藤宮司から民土地の熱心な人々により受け継がれて現在に至っているもので、お得意の出し物は「天の岩戸」である。
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| 松尾山八幡宮境内大元神社 |
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| 鎮座地 |
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| 美郷町(大和地区)都賀本郷字松尾山470番地 |
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| 拠所 |
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| 都賀式年祭神楽神名帳に「境内大元神」とあり |
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| 祭地の状況 |
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| 松尾山は都賀地区江川右岸の地にある。
八幡宮境内には本殿、拝殿の他諸境内社があるが、大元神は拝殿に向かって斜め左前にある、樫の大木を御神木として祀られてある。
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| 維持状況 |
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| 八幡宮とともに維持。 |
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| 伝承事項 |
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| 古い神名帳を伝える。
二頭の藁蛇を作り、そのうちの一つを納める塩谷の地は「石見国神社記」によれば旧塩谷村に「御堂原の大元神」が記されてある。
旧都賀村に隣接する飯石郡赤来町塩谷、井戸谷、畑田等の集落とのつながりのことが偲ばれる。
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| 式年祭との関係他 |
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| 7年ごとに行われる式年祭(年季祭)に「境内大元神」は勧請されている。
10月21日と定められている。
御綱祭と天蓋の両演目を大切に伝承している。
藁蛇は雌雄二頑を作り並べて舞殿に吊る。
終了後は一つは境内神木に納め、他の一つは赤来町塩谷の桂の古木に収める。
天蓋は五個曳きで一人で操る。
八幡宮氏子による神楽組はない。
町内にある大和神楽団、大和神楽同好会ほかにより奉納神楽が演ぜられる。
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| 小尾山八幡宮境内大元神社 |
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| 鎮座地 |
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| 美郷町(大和地区)都賀西字小尾山470番地(ほそおやま) |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「都賀西村大判の大元神」とあり
都賀西式年祭神楽神名帳に「境内大元神社」とあり
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| 祭地の状況 |
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| 小尾山は都賀地区江川左岸の地にある。
八幡宮境内正面の本殿の前に通殿、拝殿があり大元神はその向かって左にある樫の大木を御神木として祀られてある。
かって大判の地に祀られてあった。
この地は境内から二百メートルほどの谷を登った地で、杉の古木に祀られてあったが、平成の始頃現在地に祀り替えを行ったものである。
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| 維持状況 |
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| 八幡宮と共に維持。 |
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| 伝承事項 |
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| 古い「都賀西神名帳」を伝える。
小尾山は細尾山の字も当てられている。
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| 式年祭との関係他 |
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| 7年ごとに行われる式年祭(年季祭)に「境内大元神」は勧請されている。
10月20日と定められている。
御綱祭と天蓋の両演目を大切に伝承している。
天蓋は五個曳きで一人で操る。
藁蛇は神楽終了後は境内神木に納める。
氏子による都賀西神楽保存会が神楽を奉納する。
この会は伝統の土地の神楽を戟後復興したもので、「黒塚」の継承などを特色とする。
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| 水玉山八幡宮境内大元神社 |
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| 鎮座地 |
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| 美郷町(大和地区)都賀行水玉山(みたまやま) |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「都賀行村水玉山の大元神」とあり
都賀行式年祭神楽神名帳に「境内大元神」とあり
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| 祭地の状況 |
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| 水玉山は都賀行地区左岸の地にある。
水玉山八幡宮はこの地一帯のかさ上げ事業により、解体を余儀なくされ、現在仮りの宮が建てられている。
敷地造成後ははぼ現在地に新宮造営の由である。
大元神は今も残って神社裏の山の斜面にある椿の古木に祀られる。
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| 伝承事項 |
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| 特になし |
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| 式年祭との関係他 |
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| 7年ごとに行われる式年祭(年季祭)に「境内大元神」は勧請されている。
御綱祭と天蓋の両演目を大切に伝承している。
天蓋は五個曳きで一人で操る。
藁蛇は神楽終了後は椿の古木に納める。
氏子による神楽組はない。
かって土地の神楽があって、当時舞っていた人も現存しているという。
復活しようとの話がある。
現在は村内、村外の神楽団を招いて奉納神楽が演ぜられる。
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| 田立山の大元神 |
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| 鎮座地 |
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| 美郷町(大和地区)宮内238番地 |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「宮内村田立山の大元神」とあり |
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| 祭地の状況 |
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| 県道川本赤来線で瑞穂町布施地区を越えて大和村に入り、村の郷集落を経てこの集落に入る。
氏神神社である田立建埋根命神社の境内地の、向かって右側に末社として鏡座。
嗣は高さ150センチ、奥行き75センチ、間口55センチ、けやき材の流れ造りである。
大元神社の右隣は、稲荷社の嗣である。
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| 維持状況 |
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| 神社とともに維持。 |
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| 伝承事項 |
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| 明治5年9月8日、松島重友(現宮司の祖父)祭主のもとに行われた大元神楽の役記帳が残っている。
五龍王を含む正統なものである。
(邑智郡大元神楽資料編)
子供の頃(昭和一桁代)藁蛇を作って大元神楽が行われたのを見た記憶がある。
(松島重斌氏談)
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| 式年祭との関係他 |
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| 現在は式年祭は行われていない。
秋の氏神例祭を10月第3日曜に行い、その翌日奉賽のお祭りが行われている。
毎年地域内の大元さん、荒神さん、水神さんなどの諸神を勧請してのもので、氏子多数が参詣する。
かって地元神楽があった。子供神楽も盛んであったが、いまは絶えている。
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| 地頭所八幡宮境内大元神 |
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| 鎮座地 |
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| 邑智町地頭所187番地甲 |
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| 拠所 |
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| 地頭所大元神楽神名帳に「地頭所八幡宮境内の大元神」とあり |
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| 祭地の状況 |
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| 国道261号線より、君谷川本線に入り、地頭所集落に至る。地頭所八幡宮社殿に合祀されている。 |
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| 維持状況 |
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| 神社椎持に合わせ氏子組織により維持されている。
元は托綱を神社より左に1キロばかり入った御崎谷のたぶの木に巻いていた。
ここがもともとの鎮座地であったものか。
この木は20年位前に腐って折れて今はない。
土地では、神さんは明治の頃より、本殿に帰っておられる、と言われている。
(安田奨氏談)
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| 伝承事項 |
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| この地の神楽は六調子であった。
先代森脇宮司の御縁により、明治5年頃、広島県山県郡より習ったと云う。
四方拝、塩抜い、岩戸、剣舞、鈴合せ、かっこ切目、他各種鬼舞を保持していた。
今も面、衣装は保存されていて、鐘馗の面ほか、伝統の「市木面」も含まれている。
今この舞の手は木路原神楽団に残っていると云える。
(安田奨氏談)
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| 式年祭との関係他 |
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| 5年ごとに地頭所八幡宮境内において、大元神楽が行われている。
神名帳により、「地頭所八幡宮境内の大元神」が勧請されている。
地元では、大元祭(おおもとさい)と言っている。
祭場は托綱、天蓋、山の俵、なげし張り等を施し、祭式は川筋系の流れと云う。
托綱は久喜原自治会が受け持つ。
托舞は元神職舞であったが、今は氏子も加わっている。
奉納舞は10年位前まで地元の神楽団で行っていたが、今絶えている。
今は木路原、雪田などの舞に釆てもらっている。
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| 三崎風呂の大元 |
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| 鎮座地 |
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| 邑智町吾郷1660 |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「吾郷村御崎廻の御崎神」とあり |
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| 祭地の状況 |
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| 江川右岸の丘陵地である。
天津神社の後の谷間を約500メートルほど入った地帯で、江川支流の小川が流れ湿地帯である。
その源にある山林の一角を三崎迫風呂と言っている。その366平方メートルの中に神木があると言われていが現在どの木が神木か不明。
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| 維持状況 |
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| 特に管理はなされていない。 |
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| 伝承事項 |
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| 古老の言によると、おじいさんが語ってくれた言として「子供の頃、天津神社で大元神楽舞があって、済むと朝早く托綱を、若い者が担いで、三崎追風呂へ納めに行ったものである」とのことである。 |
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| 式年祭との関係他 |
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| 社家の牛尾家が徳川時代後期に焼失しているので、大元神楽が何時頃ま・で舞われていたか書類がなくて不明であるが、古いものとして「大元舞熟書之事」元和元年八月記(378年前)が残っているのが貴重である。
これによると当時天津神社で大元神楽が行われていたことが確かであるが、少なくとも明治以降は行われていない。
現在地元に神楽組織はない。
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| 御崎の大元神 |
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| 鎮座地 |
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| 邑智町奥山100番地 |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「奥山村御崎迫の御崎神」とあり
奥山大元神楽神名帳に「御崎の大元神」とあり
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| 祭地の状況 |
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| 江川右岸をはしる主要道より山地に入り、奥山集落道を上がる。
奥山集落はかって80軒の戸数があったが、今は30戸である。
道路の行き詰まり点に至り、垣田豊子さん宅50メートル左側を、小さな谷沿いに150メートル上がった地点である。
小さな堤があり、そのほとりの神木たぶの木に祀ってあったが、その木は十数年前に枯れた。
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| 維持状況 |
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| 青木馨さん所有地である。
かっての山道が形を留めるのみで、訪れる人はなく、祭地は跡地といった所となっている。
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| 伝承事項 |
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| この地の堤は砂鉄採集のためのものであった。
大正年間まで行われていた。
大元神楽において神懸りのあった言い伝えはない。
(木村和男氏談)
石見国神社記によれば、一帯に金屋子神鎮座地が四ヶ所のせられてあり、地元のたたら伝承とあわせ、土俗信仰を感じさせるものがある。
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| 式年祭との関係他 |
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| 7年ごとの、巳と亥年に奥山八幡宮で、大元神楽が行われる。
神名帳により、「御崎の大元神」が勧請されている。
土地では大元祭(おおもとさい)と呼ぶ。
全戸がよって托綱を打ち奉納する。
神職方による托舞がある。
奉納神楽は昔は地元のものであったが、終戦後は絶えた。
奉納舞は毎年はなく、大元神楽の年に限り行われる。
現在は他よりの雇い舞で、町内、大田、大和方面から招いたことがある。
場所は最近宮の下の集会所となっている。
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| 南佐木の大元神 |
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| 鎮座地 |
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| 川本町三原南佐木234 |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「南佐木村河尻の大元神、南佐木鑪の大元神」とあり
三原大元神楽神名帳に「南佐木の大元神」とあり
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| 祭地の状況 |
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| 三原八幡宮の本殿横の林中に祀る。 |
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| 維持状況 |
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| 神木の大木が、平成3年9月の台風19号に遭い、倒れたので、直ちに伐採し、整地がなされた。
集落60戸の信仰を受けている。
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| 伝承事項 |
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| 南佐木白地の河尻の大元神と、南佐木平田氏願主による平田鑪の大元神が、明治年中合祀、三原八幡宮の境内社として本殿横に遷された。
この時以来南佐木の大元さまと呼ばれている。
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| 式年祭との関係他 |
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| 7年ごとに、申と寅の年に、三原八幡宮で大元神楽が行われている。
神名帳により「南佐木の大元神」が勧請されている。
托綱による御綱祭を中心とした、伝統ある祭式である。
三原神楽団が奉納舞を献ずる。
この地の神楽は、小笠原公伝説と共に、長い伝続を持つものと云われている。
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| 勝田谷の大元さま |
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| 鎮座地 |
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| 川本町三原勝田谷 |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「三原村勝田の大元神」とあり
三原大元神楽神名帳に「勝田の大元神」とあり
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| 祭地の状況 |
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| 水辺にあり、神木はたぶの木である。
その根本に三十センチ四方位の石で囲んだ両がある。
昔は桜の木が神木であった。付近の人の信仰あつく詣ずる人が多い。
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| 維持状況 |
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| 勝田谷40戸の信仰により維持されている。
今は樹が茂り、森の中はほの暗い状態で、水田にひく水が下を流れている。
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| 伝承事項 |
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| 祭地を流れる溝の掃除をする度に、願いごとをすると云われている。
神楽年は必ず寅年であるが、この年は人心が一新して、神に通ずるものか、必ず豊作であると云われている。
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| 式年祭との関係他 |
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| 13年ごとの寅の年に、武明八幡宮で大元神楽が行われている。
神名帳によりこの神が勧請されている。
三原神楽団が奉納舞を献ずる。
祭の成就した朝、神木のたぶの木に龍を送る。
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| 湯谷上組の大元神 |
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| 鎮座地 |
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| 川本町湯谷上組 |
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| 拠所 |
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| 湯谷大元神楽神名帳に「湯谷上組の大元神」とあり |
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| 祭地の状況 |
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| 三原地内より、大田市大家に向かう道路を北上し、旧バス停北佐木口より右手約五百メートル小道をゆく。
百メートル位下がったところ、小川に沿った谷間にお堂が立っている。
半畳程度の広さのもので、昔からあったものを、近年建て替えている。
神木はない。
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| 維持状況 |
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| 一帯を大元集落と云い、この十戸位の小集落を含む地域二十数戸で、維持管理がなされている。 |
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| 伝承事項 |
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| 湯谷地方では「申酉(さるとり)荒れて成(いぬ)ぬくし」という諺があるが、神楽年である戊年は豊作で年が良いと云われている。
(昭和50年伊藤信夫稿)
この地ではこの「上組大元神」を元山とし、「下郷大元神」を端山とする呼称を持つ。
これは大元神楽における、舞殿の構図であるが、このことを、広く神社単位で称しているのは、珍しいものである。
「天保8年湯谷村大元尊神夜神楽常例初穂人別表」によると、米一升以上を出した42戸の氏名が記されている。
(邑智郡大元神楽)
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| 式年祭との関係他 |
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| 7年ごとの成、辰年に岩椴山八幡宮において、大元神楽が行われる。
神名帳により、「湯谷上組の大元神」が勧請されている。
托綱は上組集落が作成して持参し、一連の神事舞が行われる。終わった後の托綱は再び集落に持ち帰り、上組大元神の裏山に送る。
神懸りのあったことは聞かれない。
地元の三谷神楽団が神楽を奉納する。
この神楽団はござ舞を伝承するなどの古い伝統を持つ。
石見国神社記によると「大田屋の大元神」があるが関連不明である。
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| 三俣下条の大元神 |
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| 鎮座地 |
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| 川本町三俣下条 |
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| 拠所 |
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| 三俣大元神楽神名帳に「下条の大元神」とあり |
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| 祭地の状況 |
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| 県道川本大家線を川本に向かうところ、下条集落地内で大島橋を渡って川の左岸に至り、竹下富男氏宅から二、三百メートル川下の山手に祀られてある。
神木があり堅い木である。
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| 維持状況 |
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| 山林地主と氏子の協力により維持されている。 |
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| 伝承事項 |
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| この地では、この「下条の大元神」を元山とし、「奥三俣大元神」を端山とする呼称を持つ。
このことは隣の湯谷集落と同じ在り方のようである。
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| 式年祭との関係他 |
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| 7年ごとに、三俣八幡宮において、大元神楽が行われる。
神名帳により、「下条の大元神」が勧請されている。
神楽年は隣の湯谷地区より一年遅れの年である。
托綱による一連の神事舞が行われる。
終った後の托綱と一束幣は、下条大元神と、奥三俣大元神とに、交互に送る習わしである。
奉納舞は三谷神楽団が概ね奉仕する。(三谷というのは、かって湯谷地区と、三俣地区合わせて三谷村といっていたことから来る。)
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| 道免(みちふたぎ)の大元神 |
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| 鎮座地 |
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| 邑南町(瑞穂地区)上田所1365(田迫) |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「上田所村道免の大元神」とあり
田所大元神楽御崎帳に「道免の大元神」とあり
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| 祭地の状況 |
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| 杉の木の神木がある。
あたり一帯は広く平地であり、以前は嗣があったものか。
土地の人は地主さんと言っている。
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| 維持状況 |
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| 小林集落の田迫(たのさこ)の人々が共同で毎年4月20日に祭りをおこなう。
今7軒であり、代表3人が氏神神社で供物をして祭りを受け、現地にかえっておさがりを分ける。
土地所有者若佐俊之氏は町外に転出。
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| 伝承事項 |
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| 付近一帯鉄分を多量に含有する。
鉄棒が多くあって、往時の高殿、野鑪跡が散在するところから、金屋子神が祀られてあったと思われる。
神名帳にはこの大元神のほか、田迫の地主神が記されてある。
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| 式年祭との関係他 |
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| 子、辰、申年を御年祭として、亀谷山八幡神社神楽殿において、大元神楽が行われている。
奉称神名帳により「道免の大元神」が勧請されている。
あと「玉田の大元神」に同じ。
尚石見国神社記によれば旧上田所村分として中谷、立岩、小林の各大元神の記載があるが、調査の結果確認できなかった。
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| 萩原(大元谷)の大元神 |
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| 鎮座地 |
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| 邑南町(瑞穂地区)高見字萩原 |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「高見村萩原の大元神」とあり |
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| 祭地の状況 |
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| 主要地方道仁摩瑞穂線を、川本に向かうところ、道路左側下に萩原集落がある。町道萩原中線を経て町道久庄原線の終点に至る。
終点より川向こうに円の板集落への山越えの山道約500メートルを登ると、溜池があり、そのほとりに神木モチの木がある。
地元ではふくれしばの木といっている。
此の地は大元谷と言っている。
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| 維持状況 |
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| 現在は放置の状況にある。
かっては地主が正月に鏡餅を供えていたと云う。
10年前萩原集落で神楽を奉納した。
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| 伝承事項 |
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| 石見国神社記によると萩原の大元神、地主神と書かれてある。
大元神が祭られているので大切にするようにと伝えられている。
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| 式年祭との関係他 |
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| 現在祭りは行われていない。
高原地区で大元神楽(托舞)の神事が行われたのは、終戦間もなくであったということである。
かって藁蛇を作って祭が行なわれていたことが物語られている。
平成2年11月3日、安田集落で集落感謝祭を催し大元神楽の神事(托舞)を再現した。
高原神楽団は昭和20年代まで六調子で存続していたが中絶し、昭和46年雪田神楽団の指導により再建した。
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| 大元神社(八幡宮境内) |
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| 鎮座地 |
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| 邑南町(瑞穂地区)市木 |
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| 拠所 |
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| 瑞穂町市木大元神楽神名帳に「八幡宮境内の大元神」とあり |
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| 祭地の状況 |
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| 榲尾八幡宮に、境内社として金比羅神社に合祀されてある。
一間四方位の社で鳥居が建つている。
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| 維持状況 |
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| 昔はここから約五百メートルはなれたところ、現在御神事所となっている場所に、大元神社があったが、氏神社境内に合祀したものである。
合祀は明治40年3月5日、県社第735号を持って許可となり移転した。
現在は氏子全体で9月1日に祭事を行っている。
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| 伝承事項 |
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| 昔は大元神楽の一般の桟敷は、1人米二合半を出して自分の家の人数分を確保していた。
それを破ると他の者より大変な不満が出て、氏子総代に苦情を言っていたとされているが、現在は個別平等に出している。
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| 式年祭との関係他 |
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| 5年ごとに榲尾八幡宮において大元神楽が行われている。
このときは、境内大元神社より、斎場に遷御して、大元神楽式が執行され、神名帳により「八幡宮境内の大元神」が勧請される。
托舞(寄托)を伝承する。
地元の榲尾神楽団は、多くの演目を伝承して古い伝統を持ち、なかでも剣舞の実力は近郷に定評のあるところである。
嘉永元年の銘の入った衣装(大口)を保持している。
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| 大元の大元さん |
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| 鎮座地 |
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| 邑南町(瑞穂地区)市木 |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「市木村大元の大元神」とあり |
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| 祭地の状況 |
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| 根尾八幡宮から約三百メートル、旭町市木方面に向かう。道路の左側斉木宮司宅の隣の地である。
大元さんが境内社に合祀されて以来は、元の大元神社の跡地であるが、神木の栃の木は健在である。
根本の径1メートル程で梢の部分は朽ちて古さを物語る。
今も大元神楽の後の托綱をこの木に巻く。
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| 維持状況 |
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| 整地された土地は氏神祭のときの御旅所とも言える「神幸所」となっている。
神輿を安置する台座が三基固定されてある。
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| 伝承事項 |
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| この地一帯は大元町という呼称である。 |
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| 式年祭との関係他 |
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| 大元神楽は榲尾地区170軒によって昔ながらに支えられており、この地は現在古宮といったことになるが、祭地として管理されている。 |
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| 市木神社境内大元社 |
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| 鎮座地 |
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| 邑南町市木(旧市木村) |
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| 拠所 |
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| 旭町市木大元神楽神名帳に「境内の大元神」とあり |
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| 祭地の状況 |
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| 明治39年以降に、市木神社境内にある金屋子社に合祀されている。
その社は一間四方位の大きさである。
後方高手に神木として、樹令200年といわれる椿の古木があり、大元神楽後の託綱を巻く。
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| 維持状況 |
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| 神社管理 |
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| 伝承事項 |
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| 神社の境内社に合祀した当時は、神懸り的な人もあり、大元の神が元の社に帰りたいと、しばしば夢枕に現れるので、元の社でお祀りをしたこともあると、先代宮司が語っておられたということである。 |
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| 式年祭との関係他 |
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| 4年ごとに市木神社において大元神楽が行われている。
神名帳により「境内の大元神」が勧請される。
藁蛇による託舞(寄託)があり、支える氏子組織は六集落約150戸で構成されている。
地元の「市木神社神楽団」が神楽を奉納する。
五龍王、貴船などを伝承しており、伝統の気風が守られている地である。
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| 口鑪大元神社 |
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| 鎮座地 |
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| 邑南町(石見地区)井原3581(日向古鑪) |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「井原村古鑪の大元神」とあり
井原大元神楽神名帳に「古鑪大元神」とあり
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| 祭地の状況 |
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| 井原大字日向の玉屋(石飛兼義宅)裏山の樫の木に鎮座。
この木は根本から六本に別れており、幹回り約80センチである。
かってこのあたりに鑪があり、古鑪の地名を残している。
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| 維持状況 |
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| 井原日向の玉屋、石飛兼義民が個人で祀る。
毎年現地で祭りをする。
例祭日8月14日。
古くは森田家が祀っていたが、昭和初期に広島へ転出したため、井原字日向の福田屋(野田)が祀ることになった。
その後昭和23年に土地を譲り受けた玉屋が申し受けて現在祀っている。
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| 伝承事項 |
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| 石見国神社記によると「古鑪日向の地主神、同所の大元神」となっている。
賀茂神社古文書に次の様に記されている。
正徳年間「両村祭神記全」鑪大元神、井原村古鑪二有。
慶応元年11月2日「井原鎮座神名帳」大元大明神古鑪二有り。
昭和年代「大元神社式年祭神名帳」古鑪大元神社。
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| 式年祭との関係他 |
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| 丑、巳、酉の年の10月28日、井原体育館内特設舞殿において大元神楽が行なわれている。
神名帳により「古鑪大元神」は勧請される。
托綱による神事舞を伝承している。
托綱は古鑪大元神の神木に送る。
特設舞殿は氏子総代、神楽団の奉仕で館内に四方柱を立てて作る。
昭和20年後半頃までは、折居神社境内に神殿、桟敷を設けていたが、ある年転落事故があって今のやり方に変えた。
井原神楽団が奉納舞を献ずる。
近時若い舞子も加わって大元神楽の伝承に意欲を示している。
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| 田原の大元神社 |
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| 鎮座地 |
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| 邑南町(石見地区)井原田原(たのはら) |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「今井村田原の大元神」とあり |
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| 祭地の状況 |
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| 井原集落から野原谷(のんばらだに)を経て.徒歩で1時間余坂道を登った所が田原で昭和45年頃まで人家があり、昔はこの道は川本への要道であった。
鎮座地は猟越に下りる分れ道の右側の小高い所で、棒の大木が神木であったが戦後伐られ古株が残る。
現在2.5メートル横の「かんの木」に祀る。
幹に鹿子まだらあり。
(田原諭さん談)
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| 維持状況 |
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| 昔は古土居(こどい、故田原静雄)を中心に集落で祀っていたが、戦後は家も減り、現在では田原に居住する者はなくなった。 |
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| 伝承事項 |
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| 賀茂神社古文書に次のように記されている。
正徳年間「両村祭神記・全」大元尊神田野原二有 国常立命 天御中主命 田の原。
慶応元年11月2日「井原鎮座神名帳」大元尊神 田の原大元ノ森二有り。
昭和29年、33年「大元神社式年祭神名帳」に田野原大元神社の神名は見えず。
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| 式年祭との関係他 |
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| 昭和10年頃、現地で大元舞が賑やかに奉納されのを覚えている。
(当時 田原居住者 田原諭さん談)
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| 氷上岡(ひかみおか)の大元神社 |
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| 鎮座地 |
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| 邑南町(石見地区)中野字小原迫(氷上岡) |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「中野村氷上岡の大元神」とあり
中野大元神楽神名帳に「大元尊神、大元大明神」とあり
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| 祭地の状況 |
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| 賀茂神社社有地宮山西方山麓に鎮座。
この地は古くは亀慶山、賀茂山とも称していた。
神木は榊の木で、幹周り約50センチである。
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| 維持状況 |
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| 賀茂神社の境内社として祀る。 |
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| 伝承事項 |
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| 賀茂神社古文書に次のように記されている。
天正4年(1576年)「年中祭祀の規式」大元大明神二座亀慶山之内ニ在嗣、祭祀子辰申四年ニ一度九月十日一夜之神楽ヲ奏す、郡内祀官行之。正徳年間「両村祭神記・全」大元尊神、国常立命、文化十年「神名帳」末社大元大明神祭神国常立命天保十二年「神社書」大元尊神賀茂宮境内鎮座。慶応三年「神社書」大元尊神水上岡之内二鏡座。明治三年「神社取調書上帳」大元大明神氷上岡。明治十一年「神社明細帳」氷上岡大元神社。
昭和年代「大元神社式年祭神名帳」大元尊神。
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| 式年祭との関係他 |
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| 子、辰、申の年の10月10日、賀茂神社境内において大元神楽が行なわれている。
神名帳により「氷上岡の大元尊神」は勧請されている。
伝統として、10月10日早朝、氏子総出で行う境内での桟敷掛けがある。
はでご、むしろ、わらなどを手分けして持ち寄り舞殿、楽屋、客席一切を小屋掛けをする。
桟敷は四自治会割としている。
中野大元神楽団が奉納舞を献ずる。
旧神楽団は昭和10年ころ、出雲大社に大元神楽を奉納した実績を残す。
現神楽団はおよそ20年前に復興した。
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| 大元迫の大元神社 |
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| 鎮座地 |
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| 邑南町(石見地区)中野大字仮屋(大元迫) |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「中野村大元迫の大元神」とあり
中野大元神楽神名帳に「大元迫の大元神」とあり
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| 祭地の状況 |
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| 仮屋大元迫にある大元迫屋敷の裏山に鎮座。
嗣がある。間口‥約45センチ 奥行‥約30センチ 高さ‥約60センチ
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| 維持状況 |
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| 個人、椿友幸氏が祀る。
毎年現地で祭りを行う。
例祭日は昭和年代においては11月13日としてきたが、現在は11月中の日曜日としている。
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| 伝承事項 |
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| 賀茂神社古文書に次のように記されている。
正徳年間「両村祭神記・全」大元尊神大元迫森有明治三年「神社取調書上帳」大元大明神字大元迫明治十一年「神社明細帳」大元迫大元神社。
昭和年代「大元神社式年祭神名帳」大元迫大元神社嗣の棟札(表)大正十三年十二月六日午前十時奉轉地再建立大元神社一宇、正遷宮神職天津旦、祭主椿辰治勝市(裏)元杜地大元谷川ノ地ハ湿地ニシテ社モ破損シ易く祭主父子年来之ヲ患イ杜地ヲ轉ゼント思イ起コシ日当テの良キ地二再建ス。
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| 式年祭との関係他 |
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| 子、辰、申の年の10月10日、賀茂神社境内において大元神楽が行なわれている。
神名帳により「大元迫の大元神」は勧請されている。
あと「氷上岡の大元神社」に同じ
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| 才神谷(さいじんだに)大元神社 |
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| 鎮座地 |
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| 邑南町(石見地区)日貫3144番地一(鳴滝) |
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| 拠所 |
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| 日貫神楽神名帳に「才神谷の大元神」とあり |
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| 祭地の状況 |
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| 公道浜田作木線より鳴滝の才神谷川の左岸の道を約200m登った所に神殿(一間×一間半)神楽殿(六間×四間半)いずれも木造瓦葺きがある。
神殿は昭和25年、拝殿(神楽殿)は大正15年に建立された棟札を有する。
他に明治44年社地の奉納を受けた札があり、この頃以前には草葺きの神殿があったと聞く。
榧(かや)の神木がある。
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| 維持状況 |
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| 旧日貫村一円を圏域とする大元社であるが、社殿社地は鳴滝集落の22戸(明治の頃は30戸程度)のトネ組を以って管理している。
例祭は毎年9月1日に通称「八朔祭」として執行されている。
祭神は「豊受大神」
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| 伝承事項 |
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| 「託宣があった」との話は伝わっていない。
才神谷大元神社膝元の吉原(旧来は鳴滝)大元神楽団では昭和4年1月に指導を受けた折の牛尾菅磨氏直筆の 「岩戸、蛭子、貴布禰」の口上本が残っている。
邑智郡史によるとこの地付近で、「道ケ河地の蛇の池」伝説が残されている。
日貫ではこの地以外に旧小字名として大元谷、大元山、大元木山という地名を残す。
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| 式年祭との関係他 |
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| 丑・巳・酉の年に大原神社において大元神楽が行われている。
神名帳により「才神谷の大元神」が勧請される。
神職方により藁蛇(托綱)による御綱祭りを中心とした神事舞があり、あわせて旧日貫村内五社中である吉原、桜井、春日、福原、山の内が共演の形で神楽を奉納する。
日貫の地はこの大元神楽の他、五社中がそれぞれの地で随時「谷舞」を行うが、それぞれにおいて「五龍王」を保持するなど熱心な舞どころである。
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| 正青山(しょうせいざん)大元神 |
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| 鎮座地 |
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| 邑南町(石見地区)日和173 |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「日和村青龍山の大元社」とあり
日和大元神楽神名帳に「正青山大元神社」とあり
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| 祭地の状況 |
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| 青龍山は日和北部の奥谷集落にあり、中村松市さん宅のそらである。
ここの鎮座地は不詳であるが、現在はすぐ近くの正青山の麓にある、日和の氏神、桜井太詔刀命神社に合祀されてている。
境内右の高手にある金屋子神社に合祀されたもので、金屋子神社は一間四方の社で、中に鑪遺物が置かれてある。
神域には杉の古木が立並ぶ。
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| 維持状況 |
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| 本社例祭時に祭祀が行われる。 |
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| 伝承事項 |
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| 古文書によると、天文6年、金屋子神勧請時に於て、青龍山鎮座大元神を含む、上ねんばら、下ねんばら付近の社を合祀したと伝える。
鑪地帯に祀ったことが偲ばれる。
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| 式年祭との関係他 |
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| 4年毎(寅、巳、申、亥)に太詔刀命神社において、大元神楽が行われている。
この時、神名帳により「正青山大元神」が勧請される。
托綱は奥谷集落(現在16戸)が奉納する。
托舞は神職の他に舞子3人が加わってひく。
かって神がかりのあった言い伝えを残す。
天蓋の舞を伝承している。
終わった後の托綱は境内金屋子神社(大元神合祀)の前の樫の木に送る。
舞を奉納する日和神楽団は昭和6年、寺本周一氏、神田義居氏等により設立以来の伝統を守る。八衢、国譲の演目を保持している。
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| 大元ふろの大元神社 |
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| 鎮座地 |
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| 邑南町(石見地区)矢上 |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「矢上村大元ふろの大元神社」とあり
矢上大元神楽神名帳に「大元ふろの大元神」とあり
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| 祭地の状況 |
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| 於保地盆地を見下ろすところ、大元ふろば、御射山の西南に見える小山である。
昔はこの山頂に大元神社があり、傍の松の大木に藁蛇が巻かれてあった。
この松は明治の頃倒れた。
明治45年10月24日付で、諏訪神社境内にある、稲荷神社に合祀、現在に至る。
諏訪神社参道杉並木は県指定の天然記念物である。
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| 維持状況 |
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| 矢上地区の氏子組織による、神社維持の中に含まれる。 |
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| 伝承事項 |
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| 石見国神社記によると「祭神豊受大神祭日十一月卯日建物無し神木に鎮座」とあり |
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| 式年祭との関係他 |
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| 丑巳酉の5年毎に、諏訪神社において、大元神楽が行われる。
神名帳により「大元ふろの大元神」が勧請される。
藁蛇による、御綱祭を中心とした神楽である。
藁蛇は氏子総代が担当し、頑は太田義隆氏により作られていたが、亡くなってからは、新井甚三郎氏が受け継いでいる。
神楽後の藁蛇は神社裏の大きな木に送り、森に帰っていただく。
矢上神楽団が奉納舞を献ずる。
この団は明治5年、神職より伝授を受けて以来の伝統を持つ。
桟敷つくりの伝統が守られていて、今は現代化された折りたたみ式の専用のものを保持している。
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| 小掛の大元社 |
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| 鎮座地 |
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| 邑南町(石見地区)矢上2534 |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「矢上村小掛の大元社」とあり
矢上大元神楽神名帳に「小掛の大元神」とあり
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| 祭地の状況 |
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| 矢上から日貫へ向かうところ、萩原を経て小掛谷である。
その町道小掛谷沢田線の側に鎮座地がある。
神木に紀る。
その神木は石見町内で一番といわれる名木で、周囲6.3メートル、高さ35メートルで、樹齢350年と推定されている。
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| 維持状況 |
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| 三宅松四郎氏所有の山林で、清掃等管理がなされている。
小掛谷集落の氏神として信仰篤く、毎年9月1日に祭りが行われていたが、現在は9月または10月の日曜日に行われている。
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| 伝承事項 |
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| 伝説の「やまんば」が住んでいたといわれる洞窟がある。
戸数30足らずの小集落であるが、神楽の盛んな地で昭和25年頃までは、毎年のように谷舞が行われていた。
昭和59年10月22日、34年ぶりに、谷舞が行なわれ、矢上神楽団が演じた。
当時の新聞記事に、地区のお年寄りたちから「生きているうちに、もう一度神楽の賑わいを味わいたい」との要望があり、実現したと書かれてある。
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| 式年祭との関係他 |
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| 丑巳酉の5年毎に、諏訪神社において、大元神楽が行われている。
この時、神名帳により、「小掛の大元神」が勧請される。
あと「大元ふろの大元神社」に同じ。
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| 八戸大元神社 |
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| 鎮座地 |
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| 江津市桜江町八戸入江 |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「八戸村大元大明神」とあり |
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| 祭地の状況 |
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| 八戸川と支流家古家川が合流するところ、左岸の平地である。
鳥居のすぐ奥に神殿、拝殿(約六畳)神楽殿(二間半×四間半)がある。
昭和12年頃建立のもの。
以前は小さい嗣があるのみであった。
当時は裏地は良く繁った森であったが、戦後になって伐採し、建築費の一部に充当したという。
あと植林がなされている。
社の横に神木むくの木(径約1.5m)がそびえる。町の天然記念物に指定されている。
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| 維持状況 |
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| かっては地主神であったものを何時の噴からか集落神に様変わりして祭るようになた。
現在式年祭は行われていないが毎年11月4日に集落民寄り合って祭りを行う。
神職の手により、神名帳による神々に対する祝詞があり、あと餅撒きがある。
この地ではもう一社八幡宮の祭りが10月6日にありこの両祭りにそれぞれ地元の神楽舞が奉納されている。
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| 伝承事項 |
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| 石見国神社記によると宮殿山鎮座の八幡宮の相殿として、大元大明神、祭神稲倉魂命祭日九月八日とある。
この時以降において現在地への遷座があったものであろう。
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| 式年祭との関係他 |
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| 戦時中を除き6年に一度の大元神楽が続いていた。
この時は八戸八幡宮社殿に大元神を勧請して行なわれていたが、昭和41年11月3日を最後に途絶えている。
この時は湯浅政一さんに激しく神懸りがあったことが書き残されている。
また昭和50年11月15日には国の文化財の選定を受けての現地公開が、八戸八幡宮社殿で行なわれている。
現在奉納神楽は伝承されており、八戸自治会芸能部として運営されている。
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| 井沢(いそう)大元神 |
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| 鎮座地 |
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| 江津市井沢町古宮(旧長谷村) |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「井沢村大元神社」とあり |
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| 祭地の状況 |
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| 町道から入って屋号本地賀(ほんじが)宅より裏山を上って行く。
雑木林と湿地帯をしばらくかきわけて行ったところに、神木のかやの古木がある。
かずらが巻きついており蒼然とした様相である。
素焼きの盃が置かれていたが古いものである。
新しい托綱が巻かれてあった。
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| 維持状況 |
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| 神木のすぐ下のろく地に旧井沢村村杜大元神社があったという。
安政3年3月鎮座の由。
この社は明治42年井沢八幡宮に合祀された。
今土地の人はこの地を古宮と呼んでおり、大元の神さんといって崇敬している。
八幡宮の社は約80年前に改築され現在に至る。
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| 伝承事項 |
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| 石見国神社記によると、大元神社神体は木像で、祭日10月17日、建物本社神楽所とある。
80数年前新しく八幡宮建立のとき、この建材のうちの大きい柱はもとの大元神社の山から出したが、山から下す時、木が途中で止まったのでこれは神の意なるべしと云ったという。
(横田勝氏談)
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| 式年祭との関係他 |
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| 井沢大元神楽は6年ごとに行われている。
平成4年11月7日、井沢八幡宮において注連主河野通明宮司により、また能舞の部分は浜田市細谷社中が奉納して、大元神楽が行なわれた。
伝統の地として「邑智流」芝托方式の一夜で、天蓋も曳かれ、氏子代表共々藁蛇で巡り、参碧ひとしく喜びの一夜であったと吾。
地元神楽のほうは、衣装も持っているが、過疎のことも手伝って近時活動は止まっている。
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| 八幡宮境内大元大明神 |
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| 鎮座地 |
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| 江津市桜江町市山474 |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「市山村飯尾山鎮座八幡宮末社大元社」とあり
市山大元神楽神名帳に「八幡宮境内大元大明神」とあり
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| 祭地の状況 |
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| 市山本町、飯尾山に八幡宮鎮座。
境内向かって左側、本殿に並んで牛尾祖霊社があり、その左が神明社であるが、その社のすぐ裏に杉の木があり、この木を神木とする。
大元神楽が終わって托綱をこの神木に送る。
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| 維持状況 |
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| 特に大元神維持のことはなく、集落氏子組織による八幡宮維持のなかに含まれている。
大元神楽は古より6年に一度の周期が守られているが、明治このかた本托のあったとの伝承はなく、いわゆる柴托による神楽が継承されている。
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| 伝承事項 |
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| 大元神に関する言い伝えなどの乏しい地帯であるが、八幡宮境内からやや離れて三孝社のお堂がある。
さんこさんといって親しまれており、明治初期に廃された神宮寺の名残である。
市山大元神楽神名帳にも見える。
この周辺の南斜面はかっての葬祭地であったことを前牛尾宮司は話しておられた。
古墓の跡も多く、大元神鎮座地としての漂うものの感ぜられる一帯である。
先代の牛尾三千夫宮司の祖父菅麿宮司は神楽舞の名手であった。
昭和10年に近郷神楽組が相集い、引退舞が盛大に行われた。
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| 式年祭との関係他 |
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| 7年ごとに市山八幡宮において大元神楽が行われている。
この時、神名帳により「八幡宮境内大元大明神」が勧請される。
大正12年に神職だけによる最後の大元神楽が行われた記録が残っている。
かっての牛尾三千夫宮司は大元神楽の重要無形文化財指定の原動力となった方である。
市山神友会が神楽を奉納する。
近時意欲的に廃れた演目の復元に努め、正調六調子の伝承に取り組んでいる。
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| 小一山の大元神 |
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| 鎮座地 |
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| 江津市桜江町市山685番地 |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「市山村小一山の大元神」とあり
市山大元神楽神名帳に「小一山の大元神」とあり
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| 祭地の状況 |
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| 小一山集落は市山飯尾山背後の小盆地で、八戸川を眼下にできる高台の地である。
ひっそりとした竹林の傾斜地に祀られている。
もとは大きな神木があったが、伐られて現在は若木にしめ縄が張られている。
もと祠があったかどうか不明である。
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| 維持状況 |
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| 昔から20戸に足らない集落である。かっては真屋、新屋、矢折の三家が宮もりの役であった。
最近は集落で当屋を決め、毎年全戸が寄って神職を招いて祭りをしている。
それは大元さん、権現さん、何ケ所かの地主神など土地のすべての神々に対するものとして行われている。
(湯浅経芳氏談)
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| 伝承事項 |
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| この地の権現山に権現さんを祀る小さな杜があり、春秋の祭りで賑わっていた。
昭和55年頃落雷により社が焼出して以来祭りはとどこおっている。
(湯浅経芳氏談)
戦前まで宝珠寺(無住)があった。
その場所は城山を一望できる地であり、市山城天野氏の菩提寺であった。
(桜江町史)
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| 式年祭との関係他 |
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| 7年ごとに市山八幡宮において大元神楽が行われている。
この時、神名帳により「小一山大元神」が勧請される。
このときは地区として藁蛇(托綱)を作って奉納し、終ったら持ち帰り神木に巻きつける。
その他「八幡宮境内大元大明神」に同じ
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| 江尾大元神社 |
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| 鎮座地 |
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| 江津市桜江町江尾110番地の15 |
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| 拠所 |
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| 江尾大元神楽神名帳に「江尾の里鎮座大元大明神」とあり |
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| 祭地の状況 |
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| 江尾地区南西平田山麓、杉の木立に囲まれた閑静な高台の119.98平方メートルの敷地に本殿6.6平方メートル、拝殿90平方メートルの社が建てられている。
昭和26年に建立、その後増築、屋根替え等が行われ現在に至っているものである。
向かって左のひのき(径15センチ)を神木と定めている。
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| 維持状況 |
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| この社は昭和24年の式年祭において、故牛尾管夫氏に神懸りがあり、その托宣を受けて、市山八幡宮からの遷座が決まり、現在地に新しく鎮座願ったものである。
江尾地区52戸の氏神的な社として、氏子組織を作り、式年祭はもとより元旦祭、記念祭、秋祭り、新嘗祭を行っている。
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| 伝承事項 |
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| 昔田んぼに桟敷を作り、神楽が舞われていたとのいい伝えがある。
また大正の始め日和川沿いに会場(集会所)ができてからは、そこへ大元さんを迎え神楽が行なわれていた。
当時を知る人の話ではご神体を白布で巻き、神官は白マスクをし、神々しくお迎えの儀が行われていたと云う。
この会場は昭和18年水害で流出した。
神楽は一貫して江尾地区にとっては欠くことのできない行事であったと申し送られている。
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| 式年祭との関係他 |
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| 7年ごとの丑歳と未歳に、秋祭りとは別の日に、この社において大元神楽が行われている。
この時、神名帳により「江尾の里鎮座大元大明神」が勧請される。
戦時中の一時期をの除いて今に続いている。
托舞は本托の伝統を維持しており、最近では、平成4年地区をあげて執行がなされた。
その時の様子は書き物として、またビデオに収録して残されている。
奉納舞を奉仕する舞子連中は自治会の中に位置付けられ、廃れかけている演目を復元するなど意欲的に活動している。
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| 小田の大元神 |
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| 鎮座地 |
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| 江津市桜江町小田 |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「小田村大元神社」とあり
小田大元神楽神名帳に「小田の大元神」とあり
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| 祭地の状況 |
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| 川戸地区の八戸川左岸、市山に接する地で、平坦地である。
山寄りにある小田地区集会所のすぐ後のタブの古木に祀られてある。
周囲はタブ、せんだんなどのこんもりとした小さな森をなしている。
石垣が築かれ、そこに木製の祠がある。
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| 維持状況 |
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| 地元の人は大元さんと言って大事にしている。
毎年11月に集会所でお祭をする。
このお祭の為毎年藁蛇(托綱)を打ち変えている。
地元神楽の奉納が行なわれている。
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| 伝承事項 |
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| 石見国神社記に次の記載あり
小田大元神社 大元山銭座 祭神国常立尊祭日六月廿五日 建物本社無し 森木鎮座 拝所
地元の言い伝えによると、昔寝ている人に神懸りがあったなどのことなどが残されている。
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| 式年祭との関係他 |
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| 小田八幡宮で行われる小田大元神楽に勧請される。
周期は6年に一度とされている。
秋に行われる大元神楽においては、夕闇迫るころ、集落や神楽関係者など、紋付き正装に威儀を正した人々により、約1キロ離れている大元さんの森から托綱を先頭に神迎えの行列儀式が行われている。
終わった後の托綱を再び大元の森の神木に送る。
地元の小田神楽社中が神楽を奉納する。
儀式舞の継承などに伝統が守られている。
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| 川戸の大元神 |
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| 鎮座地 |
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| 江津市桜江町川戸大和田 |
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| 拠所 |
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| 川戸大元神楽神名帳に「川戸の大元神」とあり |
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| 祭地の状況 |
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| 川戸集落で、江の川沿いの道路を上流に行くところ、水神の祀ってあるところに行く途中にある。
かっては道路から下のタブの木に祀ってあったが、今は道路の上の椎の木に変わっている。
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| 維持状況 |
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| 川戸氏神から近い場所であり、特に維持のことはない。 |
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| 伝承事項 |
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| 石見国神社記では、旧川戸村に「左名口の大元神」「小材木の大元神」があるが、これらについては不明である。
古い桟敷図が二様に伝えられている。
宝歴3年酉10月19日のものと、延亭4年卯10月20日のもので、いずれも「野舞台桟敷割覚」となっている。
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| 式年祭との関係他 |
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| 太詔刀命神社で行われる、川戸大元神楽に勧請される。
周期は6年に一度とされている。
托綱が作られ諸神勧請がなされる。
終わったあとの托綱はこの地の神木に送られる。
川戸舞子連中が奉納神楽を演ずる。
古い伝統を持ち、特に子供神楽の腕前には定評があり、その伝承育成には、戦前からの実績をもつ。
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| 八幡宮境内大元神 |
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| 鎮座地 |
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| 江津市桜江町谷住郷 |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「住郷村大平の大元神」とあり
旧谷住郷大元神楽神名帳に「谷住郷本郷区大元神」とあり
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| 祭地の状況 |
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| 見水山八幡宮資料によると旧神名帳に記されている、本郷、谷、長戸路の三ケ所鎮座の大元神は現在八幡宮の境内社として金比羅社に合祀されている由である。 |
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| 維持状況 |
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| 氏子組織により本社と共に維持されている。
毎年12月1日に杵築祭が行われ、あわせて境内合祀の三大元神の祭が行われている。
また4月3日には金毘羅杜の祭にあわせ、大元さんの祭が行われている。
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| 伝承事項 |
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| 石見国神社記にある「大平」、八幡宮文書としての旧谷住郷大元神神名帳にある「本郷」については、これが同一のものを指すものか、その他調査するも不明である。 |
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| 式年祭との関係他 |
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| この地では旧谷住郷村の時代に至るまで、大元神楽が行われていた。
最後となったのは昭和29年頃、八幡宮で行われたものであった。
この時は境内に桟敷掛けがなされた。高い神社敷地に下からはでごなどの材料を多勢で担ぎ上げて作ったと云う。
神楽は拝殿の一段高い神殿で行われ、托綱による神事舞があったが奉仕申の神職に神懸りがあった。
注連主であった元山実宮司の談によると、凄い形相でそれは人間の顔とも思えないものであったと云うことであった。
奉納舞は長戸路集落の舞子によるものであった。
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| 森の大元神 |
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| 鎮座地 |
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| 江津市桜江町大貫(久井谷)899 |
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| 拠所 |
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| 石見国神社記に「大貫村森の大元神」とあり |
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| 祭地の状況 |
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| 久井谷、仲津博宅から参道を登り、その山頂に所在。
現在もその社が残っている。
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| 維持状況 |
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| 約400年前に、旧御嶽神社を宮の谷に移転するとき、合祀したとのこと。
現在はその地で祭り等は行っていないが、御嶽神社の秋の例祭においてこの神に対しての祝詞がある。
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| 伝承事項 |
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| この社は400年前に合祀されたとのことであるから、建立はそれ以前と思われる。
この神は蔵王権現とも伝えられるが、金屋子神社ではないと伝えられている。
(塩田卓爾氏談)
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| 式年祭との関係他 |
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| この集落の氏神である御嶽神社において、大正末期(10年頃)に大元神楽がおこなわれたことがある由。
その時は神職と、中野村(現石見町)の舞子連中により行われたが、托宣はなかったとのことである。
それ以後は行われていない。
現在地元に神楽組はない。
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