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『古事記』の創成神話では、まず高天の原にアメノミナカヌシノ神が生まれ、つづいてタカミムスピノ神・カミムスピノ神の三神が、単独神として現われた。
次に国土がいまだ出来たての状態で、水面に浮かんだ油や、海に漂っているクラゲのように、流動していた時に、泥の中から葦の芽のような、若く力たくましい物によって、ウマシアシカビヒコジノ神、アメノトコタチノ神が生まれる。
これについで、クエトコタチノ神、トヨクモヌノ神……と、男女の性別をもった双生神が生まれ、最後にイザナギノ神・イザナミノ神が生まれてくる。
イザナキ・イザナミは、葦原中国に降り、結婚して、大八洲と呼ばれる日本列島を形成する島々を次々と生み出していった。
国生みを終ったイザナギ・イザナミの両神は、つづいて神生みを行なうことになった。
そして、生まれて来たのは、岩石の神、土砂の神、家屋の神、風雨の神、海川の神、オオヤマツミノ神などの山野の神、草木の神、渓谷の神、アメノトリフネノ神などの船舶の神、それ豊穀の神などであった。
ところが、最後にヒノカグツチノ神という、火の神を生んだ時に、イザナミノ神は陰部に火傷を負って、頻死の床についてしまった。
イザナギノ神の祈りもついに空しく、イザナミノ神は火の神であるカグツチノ神を生んだために、死んでいった。
最愛の妻を失くしたイザナギノ神は、「いとしい妻よ、一人の子のために、そなたを失ってしまった」と、悲しみのあまりそのなきがらの枕もとや、足の方に這い臥して泣いた。
そして、イザナミノ神のなきがらは、出雲の国と伯耆の国との境にある比婆の山に、葬られたのである。
黄泉の国へ行ってしまった妻イザナミのあとを患って、イザナギはもう一度妻を現世に取り戻そうと、黄泉の国まで追っていき、御殿の石の戸口の前に立った。
イザナミは思いがけなく、夫に会うことができたので、喜んでその石の戸口まで出迎えてくれた。
イザナギは妻を見ると、口早にいった。
おお、いとしいわが妻よ。わたしとあなたが作った国は、まだ作り終ってはいない。さあ、一緒に帰っておくれ。
すると、─ イザナミは、
はい、でも、もう少しあなたが早く、迎えにおいで下されば、よかったのに……。
わたしはもう、この黄泉の国の不浄の火で、炊いた食物を食べましたので、からだが穢れてしまいました。
しかし、あなたがせっかくお出で下さったのですから、何とかして帰りたいと思います。
黄泉の国の神と、かけあってみましょう。
しかし、わたしが戻って来るまでは、決してわたしを見ないで下さい。
こういい残して、イザナミは御殿の内に入っていったが、いつまで経っても姿をあらわさなかった。
とうとうしびれを切らしたイザナギは、女神のいったいましめを忘れて、左の髪にさしていた櫛の歯を一本折り取って、火をつけた。
そして、中に入ってみると、そこにイザナミは横たわっていた。
そのさまを見ると、イザナミのからだには、何とまあ姐がわいて、ドロドロになり、しかも頭・胸・腹・陰部・両手・両足などには、その穢れから生まれた八柱の雷の神が、うずくまっていたのである。
こうした情景を見たイザナギは、びっくり仰天した。そして、一目散に逃げ出したが、イザナミは逃げていく男神の背に、浴びせかけるように叫んだ。
よくもまあ、わたしに恥をかかせましたのね。
さっそく、女神は黄泉醜女(よもつしこめ)というおそろしい女鬼に、その後を追わせた。
イザナギはこの醜女を追い払うために、髪につけていた黒い蔓草の輪をとって、投げつけると、それがたちまち野葡萄の実になった。
これを醜女がむさぼるようにして、食べている間に、イザナギは逃げのびた。
が、食べ終るとまた、醜女は追いかけて来たので、今度は右の髪に挿した櫛の歯を欠いて投げた。
すると、見事なタケノコが生えた。
醜女がそれを抜いて食べている問に、イザナギは逃げ去ったのであった。
こんどは女神の方では、そのからだから生まれた八柱の雷神に、黄泉の国のたくさんの軍勢をそえて、追わせて来た。
そこで、イザナギはせまってくる軍勢たちを、追い払うために、腰の十拳(とつか)の剣を抜いて、これを後手に振りながら逃げのびた。
それでもまだ、黄泉の国の軍勢たちは、黄泉比良坂の坂下まで追って来たので、イザナギはその傍らにあった桃の実を三つとって、投げつけると、とうとう黄泉の軍勢はことごとく逃げ還っていった。
そこでイザナギは、桃の実に向かって、「お前が今、わたしを助けてくれたように、この葦原の中つ国にすむすべての民草が、苦難に陥って憂え悩んでいる時には、助けてやってくれよ。」といって、その手柄を讃めたたえて、オオカムヅミノ命という名をつけたのであった。
最後には女神みずからが追って来た。
それを知ると、イザナギはそこにあった千引石(ちびきいわ)…千人もかかって引くほどの大きな岩石を、黄泉比良坂にふさいで、その石を中において向かいあい、絶縁のことばを交した。
すると、女神はその時、
「いとしいわが夫よ。それならわたしは、これからあなたの国の人たちを、一日に千人殺してやりますから。」というと、
イザナギはそれに答えていった。
いとしい妻の命よ。あなたがそうするならば、わたしはー日に千五百の産屋(うぶや)を、建てることにしょう。
そういうわけで、この世では一日に必ず千人はどは死に、また一日に必ず千五百人ほどは、生まれてくるのである。
こうしたことから、女神のイザナミを黄泉大神(よもつおおかみ)といい、また追いついたことから、道敷(ちしき)の大神ともいうようになった。
また、黄泉の坂をふさいでいた大岩を、道反(ちがえし)の大神とも、塞(さや)ります黄泉戸(よみど)の大神ともうようになった。
そして、この黄泉比良坂(よもつひらさか)は、出雲の国の伊賦夜坂(いふやさか)(東出雲町)のことであるといわれている。
死という穢れに触れて、黄泉の国から戻って来たイザナギノ神は、「わたしはほんとに、いやな穢い国へ行ったものだ。どーれ、禊でもして、からだを洗い浄めよう。」といって、九州の日向の橘の小戸(おど)のアハギ原へ、出かけていった。
そして、そこで杖・帯・袋・衣・褌(はかま)・冠・左右の腕巻などを、次々に投げすてると、それからさまざまな十二柱の神々が誕生した。
衝立船戸神(つきたつふなとのかみ、杖から生まれる)…クナトノ大神
道之長乳歯神(みちのながちはのかみ、帯から生まれる)
時量師神(ときはかしのかみ、袋から生まれる)
和豆良比能宇斯能神(わづらひのうしのかみ、衣から生まれる)
道俣神(みちまたのかみ、袴から生まれる)
飽咋之宇斯能神(あきぐひのうしのかみ、冠から生まれる)
奥疎神(おきざかるのかみ、左手の腕輪から生まれる)
奥津那芸佐毘古神(おくつなぎさびこのかみ、同上)
奥津甲斐弁羅神(おきつかひべらのかみ、同上)
辺疎神(へざかるのかみ、右手の腕輪から生まれる)
辺津那芸佐毘古神(へつなぎさびこのかみ、同上)
辺津甲斐弁羅神(へつかひべらのかみ、同上)
イザナギノ神は、こうしてその川の流れを見ながら、「どうも上っ瀬は瀬が速いし、下っ瀬は瀬が弱い。」と、流水のぐあいのちょうどいい中っ瀬におり立って、からだを洗ったが、その穢れから二柱のマガツヒノ神が現われた。
次にその二柱の神がもたらす禍を直そうとして、カムナオピノ神などの三柱の神が誕生した。
次に水底・水中・水面の順で、からだを洗うと、三柱のワタツミノ神と、三柱のツツノオノ神の誕生を見た。
この三柱のワタツミノ神は、安曇連(あずみのむらじ)などの祖先神として、いつも祭られる神で、安曇連はワタッミノ神の子の、ウツシヒガナサクノ命の子孫なのである。
また、三柱のツツノオノ命は、住吉神社に祭られている三座の神である。
こうして、一番最後に左の目を洗うと、うるわしく照り輝く神、アマテラス大神が誕生し、右の目を洗うとツキヨミノ命、鼻を洗うとタケハヤスサノオノ命が、現われたのであった。
こうして、イザナギの神の左右の眼と鼻から、三柱の神が出現すると、イザナギはたいへんに喜んで、
「わたしは次々に子を生んで、その最後に三柱の貴い子を得た。」といって、
玉の首かざりをはずし、美しい音をさせながら、これをアマテラス大神に授け、「あなたは高天の原を治めなさい。」と、神勅をくだした。そして、この首かざりの玉を、ミクラタナノ神といった。
また、ツキヨミノ命には、夜の世界を、スサノオノ命には海原(うなばら)を、治めるように命じた。
これによって、この三貴子の世界分治が決ったのである。
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