古事記・日本書紀に捏造・歪曲・抹殺された出雲王朝の歴史
━ 目次(クリック)━
日本民族源流新羅の逆襲と吉備国誕生 韓半島の歴史的推移 壬申の乱スクナヒコ還り来る謎の古代氏族鳥取氏は捕鳥の氏族か 消されたウガヤ王朝史日御碕神社韓竃神社スサノオオロチ退治伝説の地亀太夫神事タケミナカタ後裔出雲大社の創建葦原の中つ国国譲りに登場する神々と神社国造りに登場する神々と神社古事記の出雲神話出雲国風土記の世界青柴垣神事と高句麗文化日本神話捏造中心人物稲羽の素兎とは高句麗勢力と意宇氏高句麗の出雲地方進出と定着高句麗文化と古代出雲国史捏造の企み青柴垣神事 について出雲神族の伝承出雲王朝の滅亡金氏熊襲王朝の誕生太陽王朝の系譜天皇家のふるさと狗奴国天孫降臨女王卑弥呼の出現倭国大乱の真相太陽紋章の行方 末廬国の存在伽耶族の影日本の中の高句麗ヤマタノオロチの正体太古の日本列島の住民黄泉の国伊邪那美の神陵伊邪那美大神佐太神社サルタヒコの実体アマテラスはいなかった妣の国物語 クナトノ大神熊野大社須佐神社神魂神社八重垣神社須我神社鉄の路文化圏古代出雲の出発点熊野三山神符と高句麗  大和紀伊は出雲の分国出雲神族の系譜出雲の国の風土と神出雲の国の心象
 駕篭立・人形岩小浜海岸戸田柿本神社・人麻呂遺髪塚高津柿本神社・万葉公園高津柿本神社・万葉公園鴨山と浜田川・城山秋葉神社畳ヶ浦人麻呂の墓伊甘神社伊甘神社室神山多鳩神社大飯彦命神社恵良の里江西駅・人丸渡し人麻呂に相対する依羅娘子銅像人麻呂に相対する依羅娘子銅像高角山・都野津平野真島の岬・和木海岸・大崎鼻・都野津の海岸柿本神社断魚渓・雲海ロード志都岩屋神社上山・斎藤茂吉揮毫歌碑坂灘遺跡漢女神社韓縞・宅野の集落静之窟・静間神社静之窟・静間神社東の岬・韓神新羅神社・五十猛神社ひとまろさん人麻呂相聞歌・終焉の地を訪ねて人麻呂相聞歌・終焉の地を訪ねて鴨島海底調査古今伝授と御法楽柿本神社と霊元上皇柿本神社と霊元上皇人麻呂影供高津柿本神社益田市高津鴨島説湯抱説の反論湯抱説の反論邑智町湯抱説鴨山の異説万寿の大津波高津の鴨山擬報歌と或本歌擬報歌と或本歌鴨山五首とその異伝石見相聞歌と高角山相聞歌群とその異伝と推敲相聞歌群とその異伝と推敲柿本人麻呂と石見歌聖人麻呂の没落とその晩年人麻呂と持統天皇の出会い人麻呂と持統天皇の出会い百済歌人人麻呂の境遇出雲国出身新羅昔王家への弾圧当時の韓半島情勢人麻呂の出自万葉集と記紀
神在.com
 
 

神話として捏造歪曲され、古事記・日本書紀にに抹殺された、古代日本のルーツをたずねて。

 

平成24年は「古事記編纂1300年」……

日本という国は、自民族のルーツも言葉のルーツも不明だという「謎に包まれた国」である。

いったいなぜ、このような、「盲目同然の状態」におかれるようになったのだろうか……?

それは、日本の国民は、生まれたときから『記紀』による国史教育を受けてきたからである。

『記紀』の成立以来、今日にいたるまでの…

ほぼ千三百年間、子孫代々が、このように教えられてきた日本人は、

「皇国史観」という、世界にも類のない……

 
皇国史観
 

天皇=神→絶対服従」という、隷属思想の持ち主に育てられた。

 
【新道国家政策】

明治政府は天皇を政治的に利用するために、

慶応4年(1868)〜明治5年の短期間に集中的に神道国教化政策を実地し、

伊勢神宮を「天皇家の宗廟」として位置付けた。

新道は、日本固有の民族信仰で祖先神への尊崇を中心とする古来の民間信仰が、外来思想である仏教・儒教の影響を受けつつ成立し理論化されたものである。

(→古来の民間信仰

国家新道は、明治維新後、神道国教化政策により、神社神道を皇室神道の下に再編成してつくられた国家宗教で、軍国主義・国家主義と結びついて推進され、

天皇を現人神(アラヒトガミ)とし、天皇制支配の思想的支柱となった。

第二次大戦後、神道指令によって解体された。

その教義は天皇の万世一系、現人神(あらひとがみ)論日本神国論、忠孝一致説などを柱としていた。

国民への浸透にあたっては、神社参拝や教育の果たした役割が大きい。

 
マインドコントロールするために……

国史を神話にした天武の呪縛……

 
日本の古代史を「グジャグジャ」にした日本神話捏造の中心人物
 
皇(神)国史観にかぶれた学者が多い !

それによれば、神国である日本列島には、他の民族とは何の関わりもない「ヤマト民族」が住んでおり、

彼らは、外国のどの言葉とも語源の違う、この島国に自然発生した、「ヤマト言葉」を使っているというのだ。

 
高句麗語は日本語と朝鮮語との親縁関係をつなぐミッシング・リンク
 
だが、諸外国の人びとが、自身を「神の子孫」という日本人を、

どのような目で見るだろうかに思いがいたれば、まったく暗澹たるものだといわざるをえまい。

 

712年に完成した『古事記』とその八年後に完成した『日本書紀』は、

日本国の歴史の上限を、わずか紀元前数百年としていて、

それ以前は、まったくの暗やみにしてしまっている。

 

このように、日本人の前途に、大きな影をおとしてしまったことの責めは、

『古事記』と『日本書紀』を編纂した、天武王朝(プロパガンダ=伊勢神宮も創建)に、問わなければならない。

 
天武のプロパガンダ伊勢神宮の実体
 
なぜなれば、「記紀」編纂の目的は、壬申の乱という日本史上最大の革命戦争によって、
 
壬申の乱
 
皇位を纂奪した天武天皇が……

自身を、正統な皇位継承者であると国民に認めさせることによって、

 
国史捏造の企み
 

万世に揺るがない天武王朝を確立しようとするものであったからだ。

 

そのような目的を達成するために、諸豪族に伝承されてきた多くの文献が抹殺された。

その結果、日本人は、国史に関するかぎり、暗やみにたたされることになった。

天武が造作した『古事記』『日本書紀』『伊勢神宮』による、

捏造されたおとぎ話のような民族の歴史は、

民族としての自我の欠落という、

大きな負の遺産となって、

我々の心にインプットされてしまった。

 

現在の日本の姿や、日本人の精神・文化は、天武が造作したものである。

古事記編纂1300年を迎え、

原住民族のルーツである出雲の国は、

 
原住民族の誇りのために……
 
出雲国の無念さを表す「国引き神話」
 

日本の古代史から完全に抹殺された、

原住民族の歴史を明らかにする責務がある。

 
消された出雲国古事記『多氏古事記』
 
日韓古代史を解明するうえで『大きな支障』となっていることの一つに、

韓半島の南端にあって早い時期に滅びた、伽耶族の歴史が、正しく伝えられていないことがある。

 
伽耶族の影
 
後日、韓半島を統一した新羅も、もとをただせば伽耶族の一員であった。

韓国の東南部、慶尚道を縦断して流れる洛東江(らくとうこう)の両岸流域に、

稲作と青銅器文明の花を咲かせた伽耶は、五ないし六の部族国家から成り立っていたという。

伽耶には上伽耶(うがや)と呼ばれる本家と、それから分家した多くの群小諸国があった。

独立した伽耶族の分家は、それぞれが独立した部族国家として、『日本書紀』にその名を記された。

欽明紀二十三年春正月条には次のような記事がのこされている。

新羅(しんら)、任那(みまな)の宮家(みやけ)を、打ち滅ぼしつ。

ある本(ふみ)にいわく、二十一年に任那滅ぶという。

すべては、任那(みまな)といい、

別(わ)きては、

加羅国(からのくに)、安羅国(あらのくに)、斯二岐国(しにきのくに)、多羅国(たらのくに)、

卒麻国(そちまのくに)、古嵯国(こさのくに)、子他国(したのくに)、散半下国(さんはんげのくに)、

乞嵯国(こちさんのくに)、稔礼国(にむれのくに)という、

あわせて十国なり…

卒麻(薩摩)はもちろんのこと、安羅伽耶(出雲郷)、多羅、末羅(松浦)など、

そのまま日本の地名になっているものが多い。

これらの国名や、地名の中にある「羅」とは、太陽をさす「ラ」の漢字による表現である。

洛東江の流域で稲作に成功した伽耶族たちは、急激に増加した人口を養うために、

新天地を開拓する必要に迫られる。

韓半島の北半分は、今でも稲作の難しい気象風土であるから、

彼らの目標は、当然のことながら、緑の森林と葦の原野の広がる温暖な日本列島に向けられた。

彼らは思い思いの土地へ進出して、上伽耶(ウガヤ)を中心とした国家(ウガヤ王朝)を形成していった。

 
消されたウガヤ王朝史 
 
太古の日本列島に流入した種族のなかで、「北西からの人々」は、「オロ族」や粛慎族と呼ばれる群れである。
 
日本民族の源流
 
彼らは本来同じ民族で、後日、高句麗を建てた人々の遠い祖先でもある。

そのなかで、大陸から切り離された日本列島に、後世まで引き続き大きな影響を及ぼしたのは、

「オロチ=オロ族」と呼ばれた部族であった。

 
多氏(オウ氏)の系譜
 
越の国が、彼ら「オロチ」の根拠地になったのは……

沿海州や韓半島北部に住んでいた彼らは、船に乗ると、北上する対馬暖流の影響で、

ほとんどの場合、能登半島に到着したからである。

オロチ退治は、南下してきた「オロ族」と、出雲の伽耶族(安羅伽耶)が斐伊川流域で衝突し、アラカヤがオロチに勝利した史実を、説話にしたものである。

 
太古の日本列島住民
 
出雲の主人公は「オロチ」を退治して、新しい実力者「スサノオノミコト」になった。

出雲の地方ではその後、高句麗族との混血が円満に進み、

高句麗と伽耶の両部族は、「オウ=意宇」と称するようになった。

 
──大(オウ)国の誕生─
 
オウ氏の系譜 →高句麗文化と古代出雲 →高句麗の出雲地方進出と定着 →高句麗勢力と意宇氏
 
一方、列島においては、ウガヤ王朝が衰退し、伽耶族の分家同士でも一族としての自覚を失い、

同じ血族でありながら数多い小国に分裂しつつ、たがいに相手より上に立とうとして、

熾烈に争うようになった、

 
倭国大乱の真相
 
弥生時代の終末期にあたる180年前後に、倭国に大きな内乱のあったことを記す中国の記録がある。

『後漢書』東夷伝の中に「桓霊間倭国大乱(かんれいかんわこくたいらん)」の記述がある。

「桓」と「霊」とは後漠の皇帝の名で桓帝は146〜67年、霊帝は167〜79年の在位であるから、

2世紀の中頃から終わりにかけて、倭国の伽耶族の間では、長期の内戦が繰り広げられたことを示している。

内戦の収束は、伽耶族の有力な諸国の王たちの話し合いによるのであるが、

群小の伽耶諸国がたくさんある中で、

当時最大の勢力を持っていた、アラカヤの出雲国の王(昔氏)が、

倭国の諸王たち、とくに北部九州の諸王を説得したからである。

 
女王卑弥呼の出現 →スクナヒコ還り来る →金氏熊襲王朝(第二期ヤマト政権)の誕生
 
この国では、神代には毎年陰暦の10月になると……

国々から八百万(やおろず)の神々が、出雲に集まって談合する習わしがあったという。

 
神在祭 →神在祭のルーツ…初期新羅(実際には伽耶時代)で行なわれた「和白制度」
 

男子の王を立てたのではまとまらない、伽耶族の部族長たちが、

納得することのできた女王「卑弥呼」とは、どのような存在だったのだろうか。

まず、自分たちに固有の『太陽信仰の巫女』たり得る人物で、

伽耶の本家である上伽耶(=ウガヤ)(朴王朝)の血筋であった。

伽耶族の本家が王位に就くのであれば、分家諸国は異論をはさむことができないからである。

そして新しく建国されたこの国の名を、

ミオヤマ国(上伽耶の別名で、聖なる太陽神の国の意)を基(=台=ト)にして建国されたので、ヤマト国と名づけた。

新しい女王の都は、ウガヤがすでに進出していた土地、今日の大和といわれるところの、夜摩郷(ヤマ郷)に定められた。

そこを斑鳩=イカルガというのは、

「ウカラガ」つまり、「上伽羅=上伽耶」の「郷=処」という意味である。

その結果、九州の諸王家はこぞって新しい都である大和の地に移ることとなった。

北部九州の地名と奈良県内の地名には、極端に同じものが多いのはそのためである。

吉野という有名な地名が、奈良県にあるのも、その一例である。

 

弥生時代と呼ばれている古代には……

文明の波は大陸や半島から日本海を隔てた「於投馬=出雲」の海辺を潤したはずである。

つまり出雲国のほうが、後日の大和国よりもはるかに先進した文明の地となっていた。

それだからこそ、記紀には……

「出雲は大和(島)根(ね)の国」と、記録されているのである。

 
消された出雲国古事記『多氏古事記』
 
 
加藤義成著「出雲国風土記参究」、谷川健一著「出雲の神々」、永田義直編著「日本の神話」、小山 和著「古道紀行出雲路」、吉田大洋著「謎の出雲帝国」、門脇禎二著「古代出雲」、武光 誠著「古代出雲王国の謎」、江原 護著「出雲の神々に魅せられて」、原 武史著「出雲という思想」、朴 炳植著「ヤマト渡来王朝の秘密」、曹 喜勝「高句麗の人々の出雲地方への進出と定着」、全 浩天「高句麗と古代出雲」、山本 昭著「謎の古代氏族 鳥取氏」、佐治芳彦著「謎の上記」、田中勝也著「異端日本古代史書の謎」、和久利康一「古代出雲と神楽」、上田正昭「古代を考える 出雲」、三上次男・神田信夫編「東北アジアの民族と歴史」、日朝国際交流会議「古代朝鮮文化と山陰」より。
 
加藤義成(かとう よしなり)
明治38年(1905)11月10日加茂町に生まる。昭和3年島根師範専攻科卒、小学校訓導となり、試験検定により中等学校国語漢文科、及び高等学校国語科教員免許。三刀屋中学校、益田農林学校、島根師範学校教諭、教授。昭和21年病気退職。昭和26年より島根県嘱託、島根大学非常勤講師、大社国学館講師、島根県文化財保護審議会委員、島根県立博物館専門員等歴任。国語学会、古事記学会々貝。編著は「中央出雲方言考」「古事記鈔」「古事記参究」「修訂風土記時代の出雲」「校本出雲国風土記」・「校注出雲国風土記」療養歌集「旭楓(あさひかへで)」「風土記にみる古代出雲びと」昭和58年3月23日死去。
 
谷川健一(たにがわ けんいち)
民俗学者、地名学者、作家。1921年7月28日熊本県水俣生まれ。詩人谷川雁・東洋史家谷川道雄の長兄。熊本中学、東京帝国大学文学部卒業。平凡社の編集者として、『風土記日本』(1957 - 60年)、『日本残酷物語』(1959 - 61年)などを企画編集し、1963年創刊の『太陽』初代編集長を務める。その後執筆活動に入り、『最後の攘夷党』『青銅の神の足跡』や『鍛冶屋の母』『日本庶民生活史料集成・全20巻』1981年、神奈川県川崎市に日本地名研究所を設立、所長に就任し現在に至る。
 
永田義直(ながた よしなお)
明治41年(1908)横浜市に生まれる。昭和6年東洋大学(旧制)卒。兵庫県公立高校教諭・校長。主な著書は「日本神話の研究」「古事記の話」「日本文化のあけぼの」その他。 千葉県印旛郡八街町富山1332
 
小山 和(こやま かず)
大正14(1925)年大阪府生まれ。元文学思潮同人。日刊自動車新聞京都支局長,東京本社企画次長,日曜版編集長,月刊誌モータリスト編集長ののち,1961年旅行作家として独立した。著書は河出書房新社刊『ドライブガイド全集』5巻,文芸春秋刊『文春ドライブ』2冊,『文春トラベル』8冊,日本交通公社刊『古寺ガイド』3冊,『行楽ガイド』3冊,東方出版刊『密教古寺巡礼』,保育社刊『秘宝のある寺京都』『秘宝のある寺鎌倉』『秘宝のある寺奈良』『古道紀行、木曽路、近江路、吉備路、熊野路、出雲路』など50余冊。 東京都板橋区赤塚1-18-11-201
 
吉田大洋(よしだ たいよう)
1935年 満州に生まれる。1957年 早稲田大学文学部卒業,週刊『女性自身』の記者を経てフリー,企業誌編集長を歴任、古代史の研究家。著書『家紋と姓名』『家紋の源流』『鈴木さんの本』『佐藤さんの本』『苗字と祖先』など。
 
門脇禎二(かどわき ていじ)
1925年 高知県生まれ。京都大学文学部史学科卒業。奈良女子大学教授,京都府立大学教授,同学長,京都橘女子大学学長を歴任。現在,京都府立大学・京都橘女子大学名誉教授。主な著書に『日本古代共同体の研究』『「大化改新」史論(上・下)』『日本古代政治史論』『采女』『新版・飛鳥−その古代史と風土』『出雲の古代史』『吉備の古代史』『飛鳥古京』『日本海域の古代史』『古代日本の「地域王国」と「ヤマト王国」(上・下)』『飛鳥と亀形石』『葛城と古代国家』(学術文庫)などがある。
 
武光 誠(たけみつ まこと)
1950年、山口県防府市生まれ。東京大学文学部国史学科卒業、同大学院国史学博士課程修了。現在、明治学院大学教授。歴史哲学の手法を基本として文化人類学、科学史等の幅広い視点から日本史、日本思想史を研究。
主な著書に、『律令太政官制の研究』(吉川弘文館)、『名字と日本人一先祖からのメッセージ』(文春新書)、『日本人なら知っておきたい神道』(河出書房新社)、『藩から読む幕末維新』『藩と日本人』(以上、PHP新書)、『世界戦史99の謎』『古代史大逆転』『「鬼と魔」で読む日本古代史』(以上、PHP文庫)など多数ある。
 
上田正昭(うえだ まさあき)
1927年 兵庫県生まれ。京都大学文学部卒、京都大学教授、大阪女子大学学長などを歴任。現在、京都大学名誉教授、高麗美術館館長。『日本古代国家成立史の研究』『帰化人』『日本神話』『古代伝承史の研究』『上田正昭著作集』など著書多数。
 
江原 護(えばら まもる)
1944年 京都府生まれ。政治活動.中小企業運動、在日朝鮮人問題などに関わり、新聞編集者、議員秘書を経て1990年都市間題研究所研究員。現在、都市問題研究所主任研究員、民族学校を考える会事務局長。 主な著述に、「参政権問題を考える」「民族学校を考える」「出雲の古代を歩く」「京都の古墳を訪ねて」など。
 
原 武史(はら たけし)
1962年生まれ。東京大学大学院博士課程中退。東京大学社会科学研究所助手,山梨学院大学助教授を経て,現在,明治学院大学教授。専攻は日本政治思想史。著書に『直訴と王権』『「民都」大阪対「帝都」東京』『大正天皇』『可視化された帝国』など。
 
朴 炳植(パク・ピョングシク)
1930年,北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の咸鏡北道鏡城に生まれる。高靂大学校礎営大学院修了。韓国で海外建設会社を経営の後,古代言語研究生活に入る。現在 島根大学講師著書に『ヤマト言葉の起源と古代朝鮮語』(島根総合研究所),『日本語の悲劇』『日本語の成立証明』『日本原記』(情報センター出版局),『日本語の発見』『万葉集の発見』(学研),『ハツケヨイ!ハングル』『クマソは何語を話したか』『スサノオの来た道』『出雲風土記の謎』(毎日新聞社),『万葉集枕詞辞典』(小学館)など。
 
洪 淳昶(ホン・スンチャン)
1917年、忠清南道礼山郡光時面下場岱里生まれ。早稲田大学文学部支那学科卒。前嶺南大学校教授、韓日関係研究所長、大邸師範大学校教授。名誉文学博士。主著『文化の創造』『国史概要』『韓日古代文化交渉史研究』
 
曹 喜勝(朝鮮社会科学院歴史研究所)
1952年岡山県倉敷市で出生朝鮮大学校から金日成総合大学卒業 1976年社会科学院歴史研究所研究助手 1983年同研究士 《著書》『初期朝日関係史』(上)『日本のなかの朝鮮小国の形成と発展』 『朝鮮全史』 『朝鮮手工業史』
 
全 浩天(歴史考古学研究者)
1932年北海道で出生 北海道大学文学部卒業朝鮮大学校教員を経て現在九月書房副社長 在日本朝鮮社会科学者協会理事 朝鮮民主主義人民共和国副教授 《著書》『朝鮮史に生きる人びと』(そしえて社)『古代朝日関係史ノート』(そしえて社)『古代史における朝鮮観』(朝鮮青年社)『朝鮮からみた古代日本』(未来社)『前方後円墳の源涜』(未来社)
 
山本 昭(やまもと あきら)
1927年岡山県生まれ。近畿大学法学部卒業。京都大学文学部研修員(考古学専攻)、大阪学院大学講師、八尾市教育委員会(文化財)を経て、現在、帝塚山短期大学・大阪経済法科大学講師。主要著書・論文に『柏原市史』文化財編・古代編・資料編、「河内国と古代吉備文化」「古市古墳群と在地豪族」「河内竜華寺と渋川寺」「松岳山古墳群の被葬者集団」「三野県主」ほか『東弓削』・『八尾南』追跡発掘調査報告書などがある。
 
佐治芳彦(さじ よしひこ)
福島県会津若松市に生まれる。1951年 東北学院大学英文学科卒業。1954年 束北大学文学部史学科卒業。編集者を経て、小学館、講談社の百科事典プロジェクトチームに参加、現在、古代史評論家として活躍中。著者『アスアサ四ジ ジ シンアル』(みんと)、『謎の竹内文書』『謎の神代文字』、『謎の東日流外三郡誌』、『謎のシルクロード』、『謎の九鬼文書』、『謎の宮下文書』、『謎の秀真伝』、『超古代の謎をとく13の鍵』(いずれも徳間書店刊)。訳書『人工人間』(プレジデント社)
 
田中勝也(たなか かつや)
1937年山梨県甲府市に生まれる。1961年東京大学文学部西洋史学科卒業。TBS報道局勤務。著書『倭とサンカ」(新国民社)、「偽書考』(桃源社)、『日本原住民と神武東征』(新泉社)など。
 
和久利康一(わくり こういち)
1929年島根県大原郡木次町に生る。旧制三刀屋中学校、旧制松江高等学校卒業後、東京大学法学部において日本政治思想史を専攻。1954年 労働省入省。茨城労働基準局長、京都労働基準局長などを経て、現在、日本労働研究機構参与、松江市東京事務所顧問。著書『日本のアイデンティティ』(潮文社)『古代出雲と斐伊川』(新泉社)『よみがえる古代出雲王国』(新泉社)
 
上田正昭(うえだ まさあき)
1927年兵庫県に生まれる。1950年京都大学文学部史学科卒業。大阪女子大学学長・京都大学名誉教授・文学博士。主要著書『日本古代国家成立史の研究』(1959年・青木書店)・『日本武尊』(1960年・吉川弘文館)・『日本古代国家論究』(1968年・塙書房)・『日本神話』(1970年・岩波書店、毎日出版文化賞)・『古代の道教と朝鮮文化』(1989年・人文書院)・『古代伝承史の研究』(1991年・塙書房、江馬賞)・『日本の神話を考える』(1991年・小学館)
 
三上次男(みかみ つぎお)
1907年生まれ。1932年東京大学文学部卒業,36年同大学院修了。東京大学教養学部教授,青山学院大学文学部教授,中近東文化センター理事長などを歴任。1974年恩賜賞・日本学士院賞受賞,86年日本学士院会員。主要著書:『満鮮原始墳墓の研究』(吉川弘文館,1961),『古代東北アジア史研究』(吉川弘文館,1966),『陶磁の道』(岩波新書,1969),『金史研究』1・2・3(中央公論美術出版,1972・70・73),『陶磁貿易史研究』上・中・下(中央公論美術出版,1987・88・88)など。
 
神田信夫(かんだ のぶお)
1921年生まれ。1943年東京大学文学部卒業。東京大学文学部助手,明治大学文学部教授をへて,現在明治大学名誉教授。主要著書:『満文老トウ』1〜4(共著,東洋文庫,1955〜63),『大世界史11紫禁城の栄光』(文藝春秋,1968),『旧満州トウ 天聴九年』1・2(共著,東洋文庫・1972・75),『図説中国の歴史8 清帝国の盛衰』(講談社,1977),『北アジア史(新版)』(共編,山川出版社,1981)など。
 
加藤晋平(かとう しんぺい)
1931年生まれ。1954年千葉大学文理学部史学科卒業,61年東京大学大学院博士課程単位取得退学。筑波大学歴史人類学系助教授,同大学教授をへて,現在千葉大学教養部教授。主要著書:『マンモス・ハンター』(学生社,1970),『日本の旧石器文化』全5巻(共編著,雄山閣出版,1984),『岩波講座日本考古学』全8巻(共編著,岩波書店,1986),『森を追われたサルたち』(共著,同成社,1986),『シベリアの先史文化と日本』(六興出版,1987),『日本人はどこから来たか』(岩波新書,1988),『最古のハンター』(毎日新聞社,1989)など。
 
荻原眞子(おぎはら しんこ)
1965年上智大学外国語学部ロシア語科卒業,76年東京大学大学院文化人類学科博士課程修了。東京国際大学教養学部助教授をへて,現在湘南国際女子短期大学教授。主要論文:「アイヌとアムールランドの文化複合」(『蝦夷』社会思想社,1979),「アイヌの動物説話一神謡の一考察」(『国立民族学博物館研究報告』第5号,1988),「アムール川地域の神話世界一創世神話を中心として」(君島久子編『日本民間伝承の源流』小学館,1980)など。
 
池上二良(いけがみ じろう)
1920年生まれ。1944年東京大学文学部卒業,45〜50年東京大学文学部大学院特別研究生。群馬大学助教授,北海道大学文学部教授(北方文化研究施設長併任),札幌大学女子短期大学部教授をへて,現在北海道大学名誉教授。主要著書:『言語の変化』(編著,大修館書店,1980),『ウイルタ語基礎語彙』(北海道大学文学部言語学研究室,1980),『ウイルタ古画集録』(北海道教育委員会,北海道文化財保護協会,1979),『ウイルタロ頭文芸原文集』(北海道教育委員会,網走市北方民俗文化保存協会,1984)など。
 
梅田博之(うめだ ひろゆき)
1931年生まれ。1954年東京大学文学部卒業,59年同大学院博士課程単位取得退学。現在東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授。主要著書:『現代朝鮮語基礎語彙集』(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所,1971),『韓国語の音声学的研究』(ハングル・韓国螢雪出版社,1983),『NHKハングル入門』日本放送出版協会,1985), 『スタンダード・ハングル講座』1−5(編著,大修館書店,1989〜)など。
 
田村晃一(たむら こういち)
1932年生まれ。1957年東京大学文学部卒業,62年同大学院修士課程単位取得退学。文部省文化財保護委員会記念物課文部技官,文化庁文化財保護部文化財調査官,青山学院大学文学部助教授をへて,現在青山学院大学文学部教授。主要著書・論文:『楼上・崗上』(共訳,六興出版,1986),「朝鮮半島から見た日本の青銅器」(『MUSEUM』311,1977),「楽浪郡地域の木槨墓」(『三上次男博士頒寿記念東洋史・考古学論集』,1979),「高句麗積石塚の構造と分類について」(『考古学雑誌』68−1,1982),(高句麗の積石塚の年代と被葬者をめぐる問題について」(『青山史学』8,1984),「その後の支石墓研究」(『三上次男博士喜寿記念論文集』考古編,1985)など。
 
河内良弘(かわち よしひろ) 
1928年生まれ。1954年京都大学文学部卒業,59年同大学院博士課程修了。1967〜68年ワシントン大学留学。天理大学教授,78〜79年インディアナ大学客員教授,京都大学文学部教授をへて,現在天理大学文学部教授。文学博士。主要著書:『騎馬民族史』1(共編,平凡社,1971),『日本における東北アジア研究論文目録』(天理時報社,1972),『明代女真史の研究』(同朋舎,1992),『満洲語文語文典』(京都大学学術出版会,1996),主要論文:「明代東北テジアの貂皮貿易」(『東洋史研究』30−1,1971),「ニシャン・サマン博 譯注」(『京都大学文学部研究紀要』26,1987),「崇徳二年正月分満文樽案講注」(『京都大学文学部研究紀要』28,1989)など。
 
井上秀雄(いのうえ ひでお)
1924年生まれ。1950年京都大学文学部卒業,62年同大学院(旧制)退学。京都市立高校教諭,大阪工業大学教授,東北大学文学部教授をへて,現在樟蔭女子短期大学学長,東北大学名誉教授。主要著書:『古代朝鮮』(日本放送出版協会,1972),『任那日本府と倭』(東出版寧楽社,1973),『新羅史基礎研究』(同,1974),『東アジア民族史』1・2(共著,平凡社,1974・76),『古代朝鮮史序説』(東出版寧楽社,1978),『三国史記』1〜4(平凡社,1980〜88),『変動期の東アジアと日本』(日本書籍,1983),『古代日本人の外国観』(学生社,1991),『実証古代朝鮮』(日本放送出版協会,1992),『古代東アジアの文化交流』(溪水社,1993)など。
 
武田幸男(たけだ ゆきお)
1934年生まれ。1959年東京大学文学部卒業,64年同大学院博士課程修了。北海道大学文学部教授,東京大学文学部教授をへて,現在名古屋市立大学人文社会学部教授,東洋文庫研究員。主要著書:『朝鮮戸籍大帳の基礎的研究』(学習院大学東洋文化研究所,1983),『朝鮮史』(編著,山川出版社,1985),『広開土王碑原石拓本集成』(編著,東京大学出版会,1988),『高句麗史と東アジア』(岩波書店,1989)など。
 
加藤九祚(かとう きゅうぞう) 
1922年生まれ。1945〜50年シベリア抑留,1953年上智大学文学部卒業。平凡社勤務,上智大学講師,上智短期大学助教授,国立民族博物館教授,相愛大学教授をへて,現在創価大学教授,国立民族学博物館名誉教授。主要著書:『シベリアの歴史』(紀伊国屋書店,1963),『シベリアに憑かれた人々』(岩波書店,1974),『天の蛇──ニコライ・ネフスキーの生涯』(河出書房新社,1976),『シベリア記』(潮出版社,1980),『北東アジア民族学史の研究(恒文社,1986)など。
 
宇野重昭(うの しげあき)
1930年生まれ。1953年東京大学教養学部卒業,62年同大学院博士課程修了。成蹊大学政治経済学部助教授をへて,現在成蹊大学法学部教授。主要著書:『太平洋戦争への道』第2・3巻(共著,朝日新聞社出版部,1962),『毛沢東』(清水書院,1970),『中国共産党史序説』上・下(日本放送出版協会,1973),『中国と国際関係』(晃洋書房,1981),『現代中国の歴史』(共著,有斐閣,1986)など。
 
環日本海日朝国際交流会議関係団体
主 催 島根県・松江市・島根大学・山陰放送
後 援
外務省・国際交流基金・島根県市長会・島根県町村会・島根県教育委員会・松江市教育委員会・島根県商工会議所連合会・島根県商工会連合会・島根県農業協同組合連合会・島根県漁業協同組合連合会・島根経済同友会・日本青年会議所島根ブロック協議会・島根県連合婦人会・山陰合同銀行・日朝友好島根県民会議・連合島根・在日本韓国居留民団島根県地方本部・在日本朝鮮人総聯合会島根県本部
 
日本全国の観光温泉特産品グルメガイド ハイライトジャパン お問い合せはこちらへ→ info@tokusen.info